ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

奇跡は終焉させない。

TCPC conversionを受けた人は日本にどのくらいいるのだろうか。はっきりした数はわからないが、おいらが子供の時に手術を受け、おそらく日本で最もフォンタン手術の実施数が多いTJ病院では、70例あるようだ。このほかに、やはり先天性心疾患の手術実績の多いSKB病院では35例、関西で循環器専門の病院では2004年の段階で15例あるという。これ以外に、おいらが受けたNC病院を始め全国の病院でそれぞれ数例ある。以前日本全体でフォンタン手術を受けた人は4000人と医者から聞いたことがあるので、その一割400人くらいがTCPC conversionを受けたのではないかと思う。

 多くの研究で、旧式(APCフォンタンやLateral tunnelフォンタン)より、心外導管型のTCPCフォンタンの方が、長期予後が良いと報告されている。実際おいらも、APCフォンタンからTCPCに転換したことで、心臓の状態はかなり安定した。今こうして元気に過ごせるのは、再手術を受けたからに他ならない。だが、本当にTCPCフォンタンの長期予後が良いのかは少し疑問がある。

 まず、TCPCフォンタンの歴史が浅く、本当の意味で長期予後を観察できていない。TCPCフォンタンを受けた人はまだ長い人でも術後10数年といったところだろう。それに対し、APCフォンタンを受けた人はおいらのように術後30年近く経っている人もいる。それだけ長くたてば、合併症などが出てくることも否めない。おいらに合併症が出たのは、術後25年経った時だった。TCPCフォンタンもそのくらい経てばそれなりに合併症が出てくる可能性はある。実際、TCPCフォンタンを受けたのに術後10年ほどでPLEや不整脈などの合併症が出てきている人が結構いるようだ。そうした人が増えたことによって、フォンタン術後症候群が難病指定されるに至ったと思われる。

 だが、一方別の見方もできる。TCPCフォンタンはAPCフォンタンと比べ手術が容易な為、より心臓の状態が悪い人にも適用されている可能性がある。それに対し、APCフォンタンは難しいため、心臓がそれに耐えられるほど状態が良い人にだけ行われてきた。だから、おいらはAPCフォンタンを受けられただけまだ良い方だったのだろう。もしそうだとすれば、TCPCフォンタンを受けた人の中には心臓の状態が悪い人も含まれ、その人々は合併症が出やすいのかもしれない。

 真実はわからない。しかし、どのタイプのフォンタン手術を受けたにせよ、遅かれ早かれ合併症の発症はほぼ避けられないだろう。このブログの一番初めの頃に書いたように、奇跡の手術ではなくなってしまったのだ。だから、フォンタン術後患者の寿命は残念なことに健常者並みにはあまり望めないだろう。いつかフォンタンに変わる本当の奇跡の手術が開発されるかもしれない。おいら自身は50歳までと子供の頃から思っている。でも不思議に不安や恐怖はない。そうこうしているうちに、先日またひとつ歳をとり、50までもう10年を切った。いつかフォンタンに変わる本当の奇跡の手術が開発されるだろうか。まあそんな奇跡と、おいらが50歳までに論文を50本書くのとどっちが奇跡かな(あと30本もあるよ)。

避けられない手術

そろそろ、また過去の話をしよう。今から約2年ほど前のフォンタン再手術(TCPC conversion)のことだ。手術直後の状態は以前書いたが、その時の入院の全貌を、これから何回かに分けてお話ししたい。

 おいらが再手術を受けるに至った経緯は、4年半前にさかのぼる。2012年12月ごろ、おいらの心臓は限界に近かった。毎日、1日のうちに何回も心拍数140を超えるような不整脈が襲った。大体は30分くらいじっとしていればおさまったが、不整脈が起きているときは座っているのすら辛く、苦しかった。翌年の2月おいらはついに病院に診察に行った。それがこれまで大変お世話になり、再手術も受けたNC病院である。

 病院の医師は、おいらの状態を見てすぐにその危機的状況を悟った。おいらが研究者であることを話すと、「では、お互い科学者として遠慮なくはっきり言わせてもらうよ」と前置きをして、ズバズバとおいらの病態を話した。おいらは、不整脈のせいでいつ倒れたりするかわからない、PLEにかかっている、心房が肥大して心臓が伸びきっている、できるだけ早くカテーテル検査や再手術が必要とのことだった。おいらはトラウマになる程カテーテルが嫌いだったので、カテーテルという言葉が出た途端、不整脈が発生してしまった。慌てた医師はすぐに緊急治療室においらを運び、不整脈を止める処置を施した。何か薬を注射され、頭に氷を当てられ、息止めをさせられと、怒涛の勢いで処置されて、逆に死にそうだった。

 しかし、それからフォンタン再手術を受けるのはさらに2年後の事である。その間に、何度か不整脈を止めるアブレーションやカテーテル検査を何度か受けたり、PLE治療のための入院を繰り返したが、おいらの病態はますます悪くなっていった。本当はもっと早く手術をするはずだった。主治医の先生もそれを望んでいたが、NC病院では大人のフォンタン再手術の経験が少ないのか技術的に難しく、おいらが子供の頃手術を受けたTJ病院を紹介された。しかし、TJ病院では、再手術を待つ患者が多くおいらの順番が回ってくるまでだいぶ時間がかかりそうだった。そうして手術の予定が決まらぬまま2015年に入った頃、おいらはいよいよ待った無しの状態になった。不整脈は止まらなくなり、PLEで身体中がむくんでいた。アブレーションをさらに2度受けたが、結局不整脈は止まらなかった。残された希望は、フォンタン再手術と同時にメイズ手術とペースメーカー埋め込み術を受けることだった。全てがうまくいけば、血行動態はよくなり、不整脈の発生源がなくなり、心臓のリズムが安定する。そうすれば、PLEも改善する可能性があった。

 そんな時、NC病院に新しい心臓外科医の先生が来られた。それはおいらにとって奇跡的だった。その先生が来たことで、NC病院で手術を受けられることになり、主治医の先生の強い要望もあって急遽優先的に手術を受ける予定を組んでくれたのだった。そして、6月手術のための入院が始まった。それはおいらにとって、20数年ぶりの手術入院であった。とても苦しい思いをすることは覚悟できたが、不思議と憂鬱な気分はなかった。むしろ、手術を受けなければさらに酷くなることは明らかだったので、望むところだった。そうとなったら覚悟は決まり、戦いに赴くような興奮状態になった。

リゾート気分よりぞーっとする気分

南の島に移住してちょうど1ヶ月が過ぎた。とても長い1ヶ月だった。毎日の仕事に疲れ、早速5月病のような症状になり、しばらく憂鬱な気分で過ごした。ようやく最近慣れてきたところである。妻も慣れない土地で知り合いもおらず、精神的に辛そうだった。子供は学校で友達はできたものの、まだ放課後は誰かと遊ぶわけでもなく、なんだか寂しそうだった。明日からの連休期間は、南の島のリゾート気分を満喫して家族で発散しようかな。

 そのための軍資金は手に入った。昨年度まで失業手当を受けていたおいらは、4月に就職したことで、再就職手当というのをかなりいただくことができた。それに加えて、障害基礎年金が今も支給されている。働き始めたのに支給を受けていていいのかという気もするが、支給条件に働いているかどうかは関係ないようだ。そんなわけで、認定を受けている期間のうちは支給され、次の更新の際(おそらく1年後)に障害状態の確認が審査され、改善していれば支給停止になるそうだ。引越しで結構使ってしまったものの、それを差し引いてもプラスになるので、これで連休もひもじい思いをせず過ごせそうである。

 南の島に来て、遊ぶお金もあり、何て贅沢な生活なんだと思われるだろう。でも本当はこれらの資金にあまり手をつけてはいけないのだ。今はたまたま元気になって働けているが、いつまた入院してしまうかわからない。そうした時のための蓄えとして取っておかなくてはいけない。元気になるとつい以前のことを忘れてしまうが、一年前は働くなんて夢のまた夢、一生寝たきりになりそうだったのだ。その状態になるリスクは常にある。交通事故にあう確率よりはるかに高いだろう。それに、突然入院とはならなくても、徐々に弱っていくことは確実である。そう長い期間は働けないだろう。

 あんまり先のことを考えて不安になってもしょうがないのだけれど、この問題はおいらの家族にとって、常に重くのしかかっていることだ。だから、いつも安心できず、心のどこかでトゲのように刺さって気にかかっている。できればそんな重圧から解放されたい。こんなことを考えるとリゾート気分で優雅に過ごすなんて、心から楽しめなくなってしまうのである。

狭い殻でも広い浜がいい。

南の島に来てから、すでにいくつかのビーチを巡った。全てのビーチではないが、そのいくつかでオカヤドカリを見つけた。いるところにはたくさんいて、10匹以上簡単に見つかった。手のひらに乗せると、すぐに頭を出してモソモソと動き出した。あるものは、勢い余って体全部を貝殻から出してしまい、なんだか恥ずかしそうに空の貝殻を探し回っていた。そうした姿は、とても可愛らしく面白く、ずっと見ていても飽きないほどだ。

 当然、家に持って帰って飼いたくなった。実際、オカヤドカリをペットとして飼う人は多いらしい。しかし、南の島では(おそらく日本全国で)天然記念物に指定されており、勝手に採集してはいけないらしい。指定された業者だけが採集を許可されており、ペットとして飼う場合には指定業者から買う必要がある。なんだかそれは馬鹿馬鹿しいので、飼うことは諦めて、ビーチで観察するだけにしておこう。

 オカヤドカリにとってもその方が断然いいに違いない。狭いケースに入れられて、濁った汚い水の中で過ごさなければいけないなんてまっぴらであろう。日中は日陰もなく、風通しも悪く、蒸し暑いだろう。餌もペットショップに売っているような添加物てんこ盛りの餌をずっと食わなくてはいけなくなる。すぐに病気になって死んでしまいそうだ。いや、いっそこんなところで一生過ごすなら、早く死ねた方がマシかもしれない。

 オカヤドカリが飼育される様子を想像したら、まるで自分の入院生活のようだった。狭い部屋で一日中過ごし、風通しも悪く、外の空気や自然の草木、土を触れる機会などは一切ない。空調で制御された室温は24時間変化がなく、四季や昼夜を感じることもできない。食事や水分は基本的に出されたものだけで、冷たい水や暑いお茶などを自由に飲むことはできない。効率的に栄養をとるために大量の添加物が付加された栄養ドリンクなどを飲まされ続ける。添加物のせいか、喉や舌がヒリヒリと痛み出し、不味さで食事が苦痛に感じてくる。プライバシーもなく、昼夜を問わず医師や看護師が出入りして様子を伺いに来る。やがて本来の病気以外の症状も出てきて、痛みや苦しみが増幅し、体は衰弱し、筋力が衰え、気力が失われていく。そして、いっそ死んでしまいたいとまで精神的に追い詰められてしまう。

 あー怖い。あんなに愛らしいオカヤドカリたちに危うく地獄を味あわせるところだったよ。人間も他の生物も、自然の中で生きるのが一番いいのだ。そんなわけだから、おいらは今後オカヤドカリに限らずどんな生き物も飼わないだろう。

甘くないブーム

南の島に来て困ったことが起きている。飲む点滴甘酒がほとんど売っていないのだ。売っていたとしても非常に高い。とても気楽に買える代物ではない。しかし、甘酒がなくてはおいらの胃腸はいつまた出血し出すかわからない。なんとしても飲み続けたい。

 おいらがこのブログで甘酒を絶賛したため、ではもちろんないが、今甘酒がブームらしい。そんなわけで全国的に甘酒不足である。ネット通販のアマゾンでもえらい高い値段でしか売られていない。甘損である。

 移住前の地域では甘酒は豊富に売られていた。家から比較的近いところに酒造会社があり、甘酒を作っていた。この会社は通販もやって、あっという間に人気になり、今では通販で買えなくなってしまった。4月の後半に販売を開始するそうだが、それも届くまで2ヶ月待ちだそうである。確かに、今まで何種類も飲んだがここのが一番美味しい。

 しかしそれ以外にも色々な甘酒が売られていた。特にその地元だけで展開しているローカルスーパーが甘酒に気合を入れていて、自社オリジナルの甘酒も作っていた。それがとても安くて720mlで約400円とお買い得だった。それ以外にも、甘損では2000円以上で売られている八海山の「麹だけでつくったあまざけ(800cc)」というのも、800円程度で普通に売っていたし、善光寺門前甘酒(350cc)も400円弱で売っていた。だいたい、どのメーカーのものにしろ、100cc=100円くらいの相場だった。

 今南の島では、900cc=1400円くらいで売られている。もっと高い時もある。南の島で唯一作られている黒甘酒というのがある。だがこれも高く720cc=900円くらいする。そのためまだ買ったことがないのだが、口コミ評価ではかなり美味しいらしい。今後高い甘酒に甘んじて買い続けるか、いっそ甘酒を離脱するか。どちらにしても甘くない選択肢である。いっそ、点滴っていうくらいだから保険適用にしてくれればいいのにな。おいらは毎日一万円分くらいの薬を飲んでいるが、そんなのをガバガバ飲ますより、甘酒の方がよっぽど安く済むんだけどなあ。

早すぎる五月病

仕事が始まってまだ一週間めだというのに、毎日すごく疲れる。いすにすわっていると、腰や背中がかなり痛くなった。午後になると帰りたくて仕方がなく、時間の流れがとても遅く感じられた。結局あまりに疲れるので、本来の5時過ぎまでいられず、4時半頃には帰ることにした。こんなに疲れるのでは、この先一月と持たないような気がして、精神的にも憂鬱になってしまった。

 週の終わりに南の島に来てから初めて心臓の診察を受けた。結果は、3月の時とほとんど変わらず、TP6.1, ALB3.8, IgG798だった。貧血の状態は未だに続いており、ヘモグロビン11.8で、フェリチンもかなり低めだった。疲れやすいのは、貧血のせいなのかもしれない。そう思うと少し気が楽になったが、結局だからと言って仕事を休めるわけではないので、憂鬱な気持ちは変わらなかった。

 疲れやすいのは貧血のせいもあるかもしれないが、本当は五月病なのなのかもしれない。新しい研究室の研究分野はおいらには馴染みがなく、てんで理解できなかった。だから、議論や会話に全くついていくことができず、取り残された気分になった。とりあえずおいらに与えられた仕事は、生物相について記載された文献ファイルをかたっぱしから集めることであった。目下調べる文献リストは600以上あり、google scholarやciniiなどいくつかの文献検索サイトでそれらを一日中検索し続けた。正直、この単調作業も眠気と疲労を誘った。

 あまりに息詰まると、こっそり抜け出して大学内にある池を見に行った。初日にカワセミが見れた池だ。しかし、カワセミはその後姿を現さなかった。毎日、文献情報ばかりを見ていると、生身の生物が恋しくなった。おいらはもうフィールドワークをやれるほど元気ではないが、でも少しでも実際の生物に触れたくて仕方なかった。もし、このまま数年にわたって文献検索に明け暮れる日々だったらと思うと、ノイローゼになりそうだった。こうした暗い予感が疲れを助長しているのだろう。

 まだ、仕事が始まって一週間しか経っていない。この憂鬱な気分を払拭する方法は思いついていないが、毎日淡々とやるしかない。なんだかそれは入院して、毎日退屈と痛みと苦しみに耐え続け、いつかよくなる時を待っていたときとよく似ている。入院の時の密かな楽しみは、売店に行きガリガリ君を食べることだった。そして今の息抜きは、帰る途中にスーパーに寄って炭酸水を買い、一気飲みすることだ。でもそれもまた、水が溜まってむくみだるくなる原因になるのだった。何をやっても疲れてしまう八方ふさがりな状態だな。これが厄年の本当の恐ろしさか。

青の世界

南の島だというのに、ここ数日意外と寒い。最高気温は20度にならない日が続いている。寒くなると途端においらの体調は悪くなる。寒気がしてだるく、少し頭痛や気持ち悪さがあり、胃腸も不快感が出てくる。体は重く、何もするにも息苦しい。温かい紅茶などを飲んだりしてなんとか午前中をやり過ごすと、やっと体調が落ち着いてくる。

 その割には、ビーチに連日のように行った。南の島の海はこの世のものと思えないほど青く美しい。絵に描いたようなコバルトブルーであった。その海の中を、さらに青い魚がチラチラと泳いでいるのも見えた。また、陸では藍色イソヒヨドリがすぐそばまで近づいてきて美しい声で鳴いていた。その青は、胸の橙色とのコントラストでより一層際立っていた。また、近所にある城跡に行ったときには、アオスジアゲハが乱舞していた。イソヒヨドリの深い青と違って、透き通るような水色の青がキラキラと光っていた。島の野菜も強い日差しを浴びるせいか、青々としていた。オカワカメや青パパイヤなどこれまでほとんど食べたことがない食材はもちろん、クレソンやレタスなど内地でもよく食べる食材も青が濃かった。

 新しい職場となった大学には敷地内に大きな池がある。早速出勤初日に池を見学してみると、鮮やかな青がパッと光って飛んで行った。池に住むカワセミだった。カワセミは妻と子供が以前からずっと見たかった鳥で、おいらも過去に一度しか見たことがなかった。残念ながら今回もおいら一人だったので、今度は家族で見に来よう。

 南の島は、見るもの見るものが青いものばかりの世界だった。そんな中、おいらの顔は寒さで青ざめていた。まあそれも青の世界にはお似合いかもしれないね。