ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

真夜中の一杯

ここ数年の度重なる入院によって、習慣づいてしまったものがある。夜中に目を覚まして、一杯の冷たい水やお茶をゆっくり味わって飲むことだ。それはおいらにとって、睡眠以上に安らぎの時間になっている。

 入院中は大概厳しい水分制限がついて回った。飲んだ水分量はきっちりと記録する必要があり、だいたい一日1000〜1200mL程度しか飲めなかった。もっと少ない時もあった。その量だと3度の食事や薬を飲む時の水分でほとんど使ってしまうため、残りの水分量をそれ以外の時間でどう配分するかいつも悩んでいた。飲めない状況はもはや恐怖だった。すごく喉が渇いても、後先のことを考えると気兼ねなく飲めなかった。だからいつでも飲めるようにと、1日が終わるギリギリの時間まで水分を残していた。

 1日の切り替わりは、だいたい夜中の0時だった。0時をまたぐと、飲んだ水分量がリセットされ、また1日分の水分量が飲めることになっていた。前日の余った分は次の日に繰り越せなかった。だから、0時になる少し前、午後11時半ごろになると、その日の残量を飲みきることができた。もうその後のために節約する必要はないのだ。水分を心置きなく飲める唯一の時間だった。

 おいらが最もお世話になったNC病院では、子供専門の病院だけあって、ナースステーションで冷たいお茶を常に用意してくれていた。そして患者はいつでも希望する量をもらうことができた。おいらは毎晩その日の残量100mLほどのお茶をもらっていた。看護師さんは、病院に用意してあるプラスチックカップにお茶を入れて病室まで持ってきてくれる。カップは、ちょうど100mLが入る大きさしかない半透明の計量カップで、お花や動物などの可愛いイラストがプリントされていた。40歳近いおっさんが、真夜中に子供用の可愛いカップを握りしめて必死にお茶を飲む姿は、側から見れば滑稽を通り越して気持ち悪いはずだった。でもおいらはそんなこと御構い無しだった。

 その夜中の一杯はこの上なく美味しかった。100mLのお茶を日本酒を舐めるようにちびりちびりと味わった。乾ききった口の中に冷えたお茶を含ませると、口を潤す快感とともにその日1日にあった辛く苦しい記憶が全て薄れていき、満ち足りた心地になれるのだった。永遠に続いてほしい時間に思えた。地獄のような入院生活の中で、生きている喜びを感じられる数少ないひとときであった。その生きがいを味わうため、一旦は眠ってしまっていても、11時頃になると自然と目を覚ますようになった。

 退院して水分制限がなくなった現在でも、その時の感覚が忘れられずにいる。今は11時とは限らないが、毎晩夜中に目を覚ましては一杯の水を飲んでしまう。一杯の水に生きがいを感じるなんて、おいらの人生はなんともチープな感じだが、見方を変えればすごくコスパの高い人生とも言える。でも調子に乗って水をガブガブ飲む快楽に溺れると、そのツケは直ぐに現れ、翌朝に顔がむくみ頭痛に苦しむ人生でもある。

Quantifying QOL

Quality of Life(QOL:生活の質)は、病人や障害者には馴染み深い用語である。しかし意外なことに、調べてみるとはっきりとした定義が見つからないのだ。Wikipediaでは、人生の内容や社会的な生活の質を指し、どれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り幸福を見出しているか、という概念だと書かれている。あるいは、もっとシンプルに「生きがい」や「満足度」を意味するという説明もある。しかし、人間らしい生活にしろ満足度にしろ、それは人それぞれであり、主観的である。なかなか満足を感じられない人にとっては、QOLはいつも低くなってしまう。逆にどんなに不自由な生活をしていても、満足していればQOLは高くなる。結局それでは、QOLは本人の気持ち次第だということになる。

 QOLに似た概念に、Activities of Daily Living(ADL:日常生活の活動力)という用語がある。ADLは食事、排泄、入浴、歩行などの動作がどこまでできるかという行動制限にだけ着目した概念であるが、おいらが今までイメージしていたQOLはこの方が近かい。実際、診断書などでQOLを評価する場合にはADLを見ている場合が多い。しかし、ADLでは、おいらの考えるQOLにはまだ物足りないのだ。

 おいらはQOLを、様々な面でどれほど制約・制限があるかという尺度として捉えている。それは行動制限だけでなく、食べられるものや量が限られる食事制限や飲める水分量が限られる水分制限、アルコール制限、運動制限なども含む。この尺度は、健常な人ができる程度を100%としたときに、制約や制限の程度を数値化して客観的に表せるのが望ましい。例えば、健常な人が特に何も気にせずに1日に飲める水分量が2リットルだとしたら、今のおいらは1リットルくらいしか気にせずに飲めないので(それ以上飲むと浮腫む危険性が出てくる)、おいらの水分摂取量におけるQOLは50%ということになる。アルコールに関しては全く摂取できないので、アルコールQOLは0%である。そうした多様な項目についてそれぞれQOLを出しても良いし、それら全てを平均するなどして総合的なQOLを出しても良いが、重要な点は、制約や制限の程度であり、それは客観的に定量できるものであることだ。だから、幸せかどうか満足かどうかという気持ちの問題ではないのだ。

 おいらが勝手に定義づけたQOLに従えば、かなしいことにほとんどの障害者の人は一生QOLが低いままになってしまう。おそらくそれではあまり印象が良くないということで、制約や制限があろうとも人生に満足できればQOLは高くなるという曖昧な概念に変化していったのかもしれない。でもそれはなんだかただの気休めである。どう満足していようが制限があることには変わりない。むしろその制限をしっかり評価して欲しいのだ。

 制約や制限の程度と厳密に定義づければ、それは病人や障害者だけでなく全ての人に当てはめて評価することができる。先日の豪雨に被災された方々は、現在一時的にQOLが著しく低くなっていることだろう。どういった項目のQOLがどの程度低いかが把握できれば、それを改善するための具体的な対策も立てやすいかもしれない。病人や障害者に対しても本人が満足していればQOLが高いなどと判断せず、純粋にどれだけの制約があるかを評価してくれた方がありがたいと思う。

 制限が多いのでQOLは低い。それはそれ。でも毎日何かに満足している。そういう生き方がおいらは好きだ。

常備携帯セット

先日の豪雨では、西日本全域に甚大な被害をもたらした。今尚犠牲者の数が増え続けており、一刻も早い救出と復旧をお祈りしたい。このような大災害に見舞われた時、おいらのような持病を持つ人々にとって最も深刻なのは、薬の確保であろう。仮に水や食料や避難場所が確保できたとしても、薬がなければわずか1日で急激に体調が悪化する危険がある。おいらの場合は、全ての薬を止めたら一体何が起こるのかわからないが、まず利尿剤がないことで一気にむくみ始めて、ステロイド剤が切れれば離脱症でだるさや寒気、腹痛などに見舞われて、消化管に炎症反応が起こりタンパクが漏れるだろう。ワーファリンなどの抗凝固剤が切れれば、血栓ができて心筋梗塞などが発生する可能性も高い。抗不整脈剤がなくなれば、不整脈が再発するかもしれない。一度それらの症状が出てしまうと、再び薬が飲めるようになっても回復は難しくなる。

 災害時にいち早く確実に必要な薬を手に入れられるようにするためには、お薬手帳を携帯していることが非常に重要なようだ。主治医以外の医師が診断しても、カルテがなければすぐに何が必要かはなかなかわからない。お薬手帳があれば、毎日飲んでいる薬が書かれているので、とりあえずその薬を処方すればなんとかなる。  災害時を意識しているわけではないが、おいらは常にお薬手帳を携帯している。肩掛けの小さなカバンに、財布や鍵などと一緒に入れて、どこに行くにも持ち歩いているのだ。他にも障害者手帳や各病院の診察券、保険証、指定難病等の受給者証等、医療関係の重要書類が全て収められている。絆創膏やアルコール綿など応急処置用品もある。おいらの命綱とも言えるようなものが詰まっているのだ。

 それだけ色々入ると、一つ一つは小さくてもそれなりにかさばって重い。だからちょっとでも軽量化しようと、小さなゴミクズも丹念に取り除いてしまう。病気と関係のないお店のポイントカードとかもなるべく持たない。それでもなんだか重たいから、医療関係書類の中では普段あまり使わないペースメーカー手帳は家に置いたままにしていた。しかし、先日の診察でもそうだったが急にペースメーカーチェックをすることがあり、手帳を携帯していなくて困ったことが度々ある。3月の急性心筋梗塞の時もペースメーカー手帳がなくて、治療がすぐに始められない事態になった。そんなわけで、今月からペースメーカー手帳も肩掛けカバンに常備されることになった。またさらに重くなってしまったが、この重みはおいらの命を守る重みなのである。容量オーバーで膨らんだカバンは、まるでおいらの肥大化した心臓を象徴するようであり、重くてかさばって邪魔なのに腕に抱えているとなぜか安心するのだった。

サッカー占い

いつの頃からかW杯の勝敗をタコで占うようになった。その先駆けは、おそらくドイツの水族館で飼育されていたパウル君というマダコで、2010年W杯のドイツ代表の試合結果を高確率で的中させた。今年のW杯では、北海道にラビオ君というミズダコがいて、日本代表のグループリーグ3試合の勝敗を占い、すべて的中させた。哀れなことに、ラビオ君はその後ボイルされて出荷されてしまったらしい。

 タコは、無脊椎動物の中では抜群に知能が高いことは確かだが、現実はタコがサッカーの結果を予想できるわけがなく、確率的に当たっただけの話である。そんなタコよりもはるかに知能が高いはずの我々人類でさえ、サッカーの勝敗を予想することは極めて難しい。大会前、日本代表の評価は極めて悪かった。多くの人が3戦全敗、よくて1引き分けと予想した。しかし、蓋を開けてみれば、1勝1敗1引き分けでグループリーグを突破する快挙を成し遂げた。今や逆に誰もが決勝トーナメント初戦での勝利を期待している。もし初戦で勝てばベスト8に進出し、日本代表の歴代最高順位になる。ラビオ君がいなくなった今、その結果は誰にも予想することができない。

 そんな国中が注目する戦いの影で、おいらもまたこの夏3つの戦いを計画している。近年では珍しく、おいらの専門分野でパーマネント(任期無し)の大学教員のポストが、3つの大学でほぼ同時に募集されているのだ。研究職を目指す以上、これは絶対に応募しなければいけない公募である。しかし、パーマネント職の公募は極めて厳しい戦いになる。時に1つのポストをめぐって応募者数は100人を超える時すらある。少なくても、30-40人ほどは応募してくるだろう。さらにその中には、海外を渡り歩いて研究力を磨き上げてきた猛者がいたりする。研究業績が桁違いに多かったり、Nature, Scienceといった世界最高レベルの科学雑誌に論文を発表していたりするのだ。一方、おいらはかろうじて研究員として働いている3流研究者にすぎない。猛者が日本代表レベルだとしたら、おいらはJ2の選手以下である(J2の選手に失礼ですね)。そんなわけで、誰も予想しているわけではないが、大会前の日本代表よりはるかにおいらの公募戦は負けが濃厚である。

 だがここは、日本代表と共に希望を持ちたい。きっと、日本代表の勝敗はおいらの公募の勝敗を占っているのだ。グループリーグは1勝1敗1引き分けだった。それはつまり、3つの公募に応募して、1つは書類選考を通過し面接に呼ばれ、一つは書類選考で落ちる、そしてもう一つは応募書類の完成度が低くそもそも負け戦だった、という予想なのかもしれない。1箇所だけでも書類選考を通過すれば、決勝トーナメント(面接)に進出できる。その流れにそえば、日本代表の決勝トーナメント初戦での勝敗が、おいらの面接での勝敗を占うことになる。

 おいらもまた、決勝トーナメント(面接)で勝利して採用に至った経験がない。これまで採用された職は、面接がそもそもないか、あっても対抗馬がいないものであった。対抗馬のいる面接に呼ばれたときも何度かあったが、いずれも負けた。だがこの夏は違う。こんなこともあろうかと、本大会で王者ドイツを破ったメキシコにあやかって、タコスやタコライスを食べまくっていたのだ。タコ違いだが、これでラビオ君の魂も受け継いだ。日本代表のベスト8進出とおいらの面接通過、そんなW快挙を夢見る熱い夏が始まった。

不戦の誓い

今日は、おいらの住んでいる南の島の慰霊の日だった。おいらがこの島に移り住んでから2度目の日である。昨年のその日は、プールに入ってアイスを食べて、のん気に遊んでいた。今年は少しでもこの島の歴史を学ばなければと、近所の図書館で開催している写真展を見に行った。しかしながら、この日は公共機関がお休みで、せっかくのおいらの意気込みも出鼻をくじかれてしまった。でも内心ほっとする面もあった。子供の頃から、戦争の惨状を写した写真を見るのが、とてつもなく嫌だったからだ。黒焦げの死体や火傷や怪我で血まみれになった人々。子供の頃に見たそうした痛ましい写真は、今でもトラウマになっていた。あまりに恐ろしくて、時々夢でうなされることもあった。

 4月から始まった島の戦闘は、日本側の組織的抵抗が終わるこの日まで約3ヶ月続いた。最初から戦闘は劣勢であったろう。ひたすら追われ続け、その間多くの人々が傷つき亡くなっていった。誰しも負け戦とわかっており、初めから降伏すればそんなに多くの人々が亡くならずに済んだかも知れない。でも、もちろんそんな判断を当時の軍隊ができるはずがない。捨て駒とわかっていながらも、時間稼ぎのために戦わなければならなかった。

 現代に戻って、おいらもまた4月から苦しい戦いが続いている。新年度から仕事の内容や量が増え、精神的・身体的にかなり疲労が溜まってきている。この一ヶ月は体調がずっと不安定で、職場でぐったりと横になるときも度々あった。幸い職場はおいらの病気に配慮してくれて、しんどいときはソファーなどで休むことを許されていた。でも、そうしてなんとかしのいできたものの、このまま無謀な戦いを続けていては、いずれおいらの命が持たなくなる不安がある。

 73年前のこの島の戦闘のように、全てが破壊されボロボロになってからでは取り返しがつかない。73年前の人々の命を取り戻すことはできないが、せめて今ある命を大切にしたいと思う。

恐怖の支配

凄まじい虐待事件が起きた。虐待という言葉ではもはや軽すぎで、拷問や殺人と言うべき事件であった。事件の詳細が明らかになるにつれ、あまりの惨状に多くの人がそれ以上聞くことが耐えられないほどであった。虐待を受けた少女の心境を想像することは難しい。おいらが想像するに、恐怖で完全に支配された気持ちだったのではないかと思う。

 恐怖は、人間を無力化する力を秘めている。しかし一方でわずかでも希望があれば、恐怖に打ち勝つ力が人間にはある。例えば恐怖から逃げ出す手段だったり、手助けしてくれる人々だったりといった希望だ。しかし、完全に孤立無援となり、一切の希望が絶たれた時、人は恐怖に抵抗する気力を失っていく。恐怖と絶望が一体となった時、人間は無抵抗に恐怖に支配されてしまう。

 おいらの恐怖体験は、やはり闘病に関わることが多い。子供の頃手術や入院をすることはとてつもない恐怖だった。親から入院の予定が告げられた日には、頭が真っ白になりなにも手がつけられなくなった。あらゆることに対し、気力を失いかけた。それでも乗り越えられたのは、家族の支えがあり、手術によってより元気になるという希望があったからだ。2年前の地獄入院の時は、危うく恐怖と絶望の沼に沈みかけた。一時期は死を望み、生きている方が苦しかった。がその時も家族という希望が救ってくれた。

 もしあなたの周りに恐怖を感じている人がいたならば、ただそっとその人の側にいてくれるだけでいい。きっとあなたの存在は、その人の希望になるはずだ。

Smoke Gets in Your Eyes

最近もまだ夜中に息苦しくなる。水分コントロールがうまくできず、水が抜けたと思ったらまたすぐに溜まり始めてしまうのだ。水による息苦しさとはまた違った感じで息苦しくなるものが、タバコの煙である。昔はそうでもなかったが、最近はちょっとタバコの匂いがするだけでも、呼吸困難になってしまう。もろに煙を吸った日には全く息ができなくなってしまうのだ。ふざけてドライアイスの煙を吸ったことがある人ならわかるかもしれないが、感じはそれとよく似ている。空気を吸いたいと思っても、肺に入っていかないのだ。

 そんなわけで、おいら自身はこれまで一度もタバコを吸ったことも吸いたいと思ったこともないが、受動喫煙はそれなりに浴びてきた。そもそも両親が子供の頃、普通にガバガバ吸っていた。家の中でも時には車の中でも。重度の心臓病の子供の前でタバコを吸うなんて、今考えれば虐待と言われかねないが、その時はおいら自身も全然気にならなかった。それにおいらには分からずも、両親なりにそれなりに気をつけていたかもしれなかった。

 次に煙を浴びまくったのは大学生の頃だった。サークルに入り、部室に行くとその中はいつも煙で充満していた。髪の毛も肌も着ている服も全身タバコの臭いがこびりつき、目はしみてヒリヒリし、いたるところがべたついた。今のおいらだったら即死するほど最悪な環境だった。だがその頃はおいらの黄金時代で、煙が充満する部室に何時間いても平気だった。つまり、それだけその当時のおいらの循環器系は正常で強かったんだなと改めて思う。

 近年は、喫煙に対する社会の意識が厳しくなり、ごく限られた場所でしか喫煙ができなくなってきた。だからおいらが煙にさらされる場面はほとんどなく、不意に呼吸困難になる心配はない。先日、大学時代のサークル仲間に10年近くぶりに出会った。大学時代はおいらの真横でタバコを吸っていた友人だったが、先日はおいらの病状を知っているのか、気を使っておいらの前では全く吸わなかった。それはとてもありがたい配慮である一方、煙まみれの大学時代がはるか遠い思い出であることを実感させて、煙はないのに目にしみるようであった。もしまたその友人に会う機会があれば、このジャズナンバーを一緒に演奏したいと思う。