ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

フォンタンの革命

フォンタン手術は、先天性心疾患に対する手術の中でも特に革命的であった。1971年にフランスのフォンタン医師が、心室修復の不可能な先天性心疾患に対する根治手術としてこの手術法を考案した。それまでは、そうした心疾患を持つ子供たちになすすべき手はなく、彼らの運命は絶望的でしかなかっただろう。フォンタン手術を受けられるかどうかは、まさに生きるか死ぬかの選択であった。

そもそも、先天性心疾患といっても、実はいろいろなタイプのものがある。生まれつき心臓や心臓につながる血管に何らかの奇形をもつ病気を、一括りに先天性心疾患とよんでいる。比較的多いのが、2つの心房の間や心室の間に穴があいている、中隔欠損症という病気。これらは穴の大きさによって重症度が違うけど、他の奇形がなければ2心房2心室があるので、穴を塞ぐことができれば正常の心臓の形に修復することができる。

そして、より複雑な奇形があるものが多数のタイプ存在する。例えば、心室が1つしかない単心室症や、大動脈や肺動脈が正しい心室についていなかったり、動脈自身がほとんど痕跡的にしかなかったりするタイプもある。心臓の左側あるいは右側がほとんどないタイプなどもある。おいらは両大血管右室起始症で、大動脈と肺動脈がどちらも右心室につながっている奇形。さらに心室は右室が大きく左室は小さく、右室の下に左室がついている変な形をしているそうだ。

こうした複雑奇形の心疾患は、動脈と静脈が混ざってしまうため、常にチアノーゼと呼ばれる酸素が足りない状態になっている。血中の酸素が足りなければ、顔色や爪が紫色になり、ちょっとした運動で息切れする。心臓は酸素不足を補おうとポンブの回数を早めたりして頑張るので、やがて疲れてきて心臓の筋肉が弱っていく。そのため、成長して体が大きくなればまずます心臓に負担が重くのしかかるので、耐えられず成人に達する前に心不全でなくなってしまう患者が多かった。また、その複雑さ故に手術によって2心房2心室に修復することが不可能である場合も多く、手術は心臓の負担を減らしたりチアノーゼの程度を下げたりする姑息手術しか手の打ちようがなかった。

特に、心室が一つしか確保できないタイプは致命的である。正常な心臓では、右心室が肺に静脈血を、左心室が全身に動脈血を勢いよく送る。右心室、左心室どちらがないということは、静脈か動脈が送られないことになる。そのまま送られなければ、すぐ亡くなってしまうが、生まれて間もない赤ちゃんには、動脈管という大動脈と肺動脈をつなげる細い血管が存在するため、なんとか肺と全身に血が流れている。しかし、動脈管は生後間もなく閉じてしまう。そこで、動脈管を一時的に閉じないようにしておきその間に大動脈と肺動脈をつなげる血管を作るといった手術を早期にすることになる。あるいは全身から戻ってきた静脈の一部を肺動脈に直接つなげる方法もある。しかし、いずれもチアノーゼはなくならず、心臓と体への負担は大きいままである。そのため、こうした手術は姑息手術と呼ばれている。フォンタン手術は、こうした問題を打破する革新的な手術方法であった。

フォンタン手術を受ければチアノーゼは完全になくなり、1つの心室は全身に血を送る役割だけを果たせば良くなる。全身には酸素をたっぷり含んだ動脈が送られ、顔色は良くなり、ちょっとした運動にも堪えられるようになる。人によってはほぼ健常者と同じレベルで活動できるようになる。おいらの黄金期もそうであった。激しいスポーツこそできないものの、日常生活は全く不便無く過ごすことができた。ゆっくりであれば登山もできた。フォンタン手術の登場によって、幼児期あるいは成人前に亡くなってしまうはずの多くの先天性心疾患の子供たちが救われることになった。まさに、奇跡の手術法である。

そんな奇跡の神手術だから、フォンタン手術は心臓外科の中でも花形的手術といえる。そして、フォンタン手術を受けることができた子供たちも特別な存在である。ある医師に聞いたところでは、これまでに日本でフォンタン手術を受けた人は4000人ほどだそうだ。極めて少ない。だからフォンタン手術を受けたことは、本当に希少なことなのだ。激レアのフィギュアを持っているよりはるかに価値がある。

4000人といえば、日本人の過去のオリンピックメダリスト人数よりは多いが、世界最高峰の科学雑誌Natureに論文を載せた日本人よりは少ないだろう。Natureといえば、数年前偽造事件で人騒がせたstap細胞論文が載ったところである。Natureに論文を載せることができれば、研究者として一流として認められ、より高い研究ポスト、研究資金が与えられる。当然、論文が掲載されるにはものすごく厳しい審査をくぐり、世界中の研究者が注目するようなインパクトのある成果でないといけない。しかしその結果、名声、地位、研究資金が手に入るのだから、偽造・不正をやってでも論文を載せようとする人が後を絶たないのは仕方がない。そんなNatureへ論文を載せた日本人研究者の数よりも、フォンタン手術を受けた人の方が少ないのだ。そして、Natureに論文を載せるのと同様、フォンタン手術を受けられるためには、厳しい条件を満たさなければならない。だから、フォンタン手術の患者は、極めて特別な存在なのである。自慢するのもなんだが、すごいことなのである。神がかった存在なのである。おいらは、フォンタン手術を乗り越えた自分の心臓をとても誇りに思う。心室だけでこれまで40年にわたり循環系を維持してくれたのだ。超頑張っているやつだ。今でこそ疲れていろいろな合併症がでてきてしまったが、よく頑張ったお疲れさまと言いたい。そしてこれからは、なるべくいたわるようにするから一緒に歩んでいこうと思うのだ。

フォンタン手術の具体的な面を全然触れてないけど、とりあえず今日のところはここまで。