ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

底なし地獄

NC病院からSD病院へ二度目の転院をした。年初めにNC病院に入院してから4週間が経とうとしていた。病状はますます悪くなり、便の色は真っ黒のまま、さらには赤く血の色に変わってきた。相当量の出血が起きているようである。転院してまもなく、3度目の内視鏡検査を受けた。今度は、口からの腸管上半分とお尻からの大腸を含む腸管下半分を二日にわたって徹底的に調べた。すでに腹痛と吐き気で数日絶食状態であったため、まずい下剤は500mlほどで済んだ。しかし、内視鏡検査の途中、血圧が下がり検査は中止され、後日再び受けることになった。その間食事はお粥食がでた。お粥は初めはおもゆから段階的に固くなっていった。米に関してはそうした配慮がなされていたが、なぜかおかずはごく普通だった。そして、中止になってから4日後再び内視鏡検査を受けた。今度は食事が再開されていたため、下剤を1L飲んだ。ただ、日誌にはそう記録してあるが、このころの記憶があまりない。ただお腹の痛み、気持ち悪さ、吐き気が毎日記録されていた。
 内視鏡検査の結果、今回も目立った出血部位を見つけることはできなかった。どうやら腸管表面広域にわたってじわじわと出血しているようであった。出血部位がピンポイントの場合、その部位を焼くなどして出血を止める治療が行える。しかし、おいらの出血は腸管表面のいたるところからであったため、そうした治療が行えず、投薬と輸血によって徐々に治るのを待つしかなかった。血中蛋白が下がればアルブミングロブリンの補充を行い、ヘモグロビンが下がれば輸血するという対処療法で、症状の改善を待つばかりの日々が続いた。しかし、症状は悪くなるばかりだった。夜も眠れず、夜中の病棟を徘徊した。すがるような思いでナースステーションの前のソファーでうなだれて座っていると、看護師さんがきてくれたがどうすることもできず、結局自分のベッドに戻って朝が来るのをじっと待つしかなかった。
 日中、太陽の日がさし人々が活発に動いているときは、少し気持ちにも活気がでてくる。食事をしたり、テレビを見たり、売店に行ったり、家族が見舞いにきてくれたりと、それなりに時間をつぶすことができる。しかし夜は、暗闇の中で横になることしかやることがなく、時間がとてつもなく長く感じられた。一時間ぐらい経ったかと思って時計をみると数分しか経っていなかったりして、永遠に夜が続くように思えた。横になると息苦しく、そのまま闇の奥深くに落ちていくような恐怖を感じた。精神的にも肉体的にも限界だった。でも、おいらは痛みや苦しみに人一倍弱い。だから、本当は対したことないのに単に気持ちが負けているだけだと思ってがまんした。いや本当は、我慢できず家族や看護師さんに連日弱音を吐いていた。そんなとき、入院している患者さんから、「大丈夫か。すごいつらそうだぞ」と声をかけられた。その言葉で、他人からみても悪そうなんだとわかり、虚勢を張っていた気持ちがすっととれ、力が抜けてそのまま床に座り込んでしまった。ようやく、看護師さんもおいらの限界を察知し、緊急で個室へ移され重看護体制になった。だが、個室に移ってからが究極の地獄の幕開けであった。このまま、この個室で死ぬであろうと本気で覚悟し始めた。死んで楽になりたいという気持ちはますます強まったが、妻や子を思いやり残した研究を思うと、最後にもう一踏ん張りすべく、おいらは医師に戦いを挑むことを決意したのだった。