ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命についてつづるよ。

狂った食欲

大分間があいてしまったが、地獄入院の話を再開しよう。できればこれで最後の話にしたい。

今日は食事の話である。食事は医療以上に病気の治療に効果がある。だから病気持ちの人、病気の予兆がある人、そしてもちろん健康の人も食事を決して舐めてはいけない。食事次第でどれほど健康になれるか、人生を楽しく生きられるか、が全く違ってくる。健康維持のための食事というと、多くの人は栄養バランスばかり注目してしまう。しかし、それは本質的に間違っている。そして、入院中にだされる病院食は、栄養バランスだけをみれば最高の食事である。しかしそれは完全に間違っている。

 地獄入院中のおいらの食事は、以前にも少し触れたように、胃腸の負担を極力減らすためまず絶食から始まりその後ジュース・スープの汁だけメニュー、激マズ栄養ドリンク、ミキサー食へと変化していった。その後は刻み食になり、徐々にお粥が固くなり、最終的に固形の食事になった。ただし、心臓や腎臓への負担を減らすため、塩分、タンパク質、水分が制限され、肝臓や消化管の負担を減らすため脂肪が厳しく制限された。どの制限が一番きついかは甲乙つけがたい。それぞれ特有の苦しみがある。まず、塩分。もともとおいらはこどもの頃から家庭が薄味だったので塩分制限は比較的苦にならなかった。しかし、ほうれん草などのおひたしが一切味がついていことがよくあり、これはなかなかつらかった。また、おかずの量に対し米の量が多いので、薄味のおかずではご飯をさばききれないのである。タンパク質は、消化したときの老廃物が多く、それを尿とともに排出するために腎臓に大きな負担がかかる。普通の成人男性なら一日70−90gが推奨されているが、おいらの場合は20−30gに制限されていた。タンパク質は意外にもお米にも結構含まれている。麺類などはさらに多い。だから麺類は一切でなかった。また、お米で大半のタンパク質を取ってしまうため、おかずには肉類がほとんどなかった。でてくるのは1cm角の角砂糖くらいの大きさの肉切れが2つ、3つといった具合だった。脂質はエネルギーが大きいだけでなく、料理を抜群に美味しくする。だから、中華料理、イタリア料理、フランス料理など大抵の料理にはたっぷり使われている。またアイス、ケーキ、クッキー、ポテトチップ、チョコなどのお菓子にもたっぷりだ。当然おいらの食事にはこれらは一切でてこない。角砂糖サイズの肉はまるで紙で作ったようにパッサパさだった。なぜここまでぱさぱさにできるのか不思議なほどだった。例えば、鳥のささみや胸肉など脂肪分の少ない肉も、中の水分が逃げないよう調理すれば(例えば片栗粉をつけてゆでるとか)、パサパサせずに美味しくできる。しかしでてくるものは、水分も脂肪分も完全に抜けた状態の代物ばかりだった。それは水分制限がありただでさえ口が渇いているおいらには、拷問のような料理だった。パサパサで味もせず、唾液がでないため、いつまでも飲み込むことができなかった。小さな2、3切れの肉片ですら食べられずに残してしまうことがあった。おいらは食べ物を残すのはとても罪悪感があり、残すとさらに気が滅入った。苦しくて切なくて涙が出たこともあった。そして、水分制限はこれまでも何度も書いているように、頭の中が常に水分のことを考えてしまうほど、強い禁断症状がでてしまうものだった。

 これだけ制限があると摂取できるものはかなり限られてくる。特にエネルギーを得るためには、炭水化物、糖分だけがほぼ頼みの綱となってしまう。そのため、これらの制限とは裏腹に、異常に甘い食べ物をともかく食べさせられた。糖質制限ダイエットをしている人からすればうらやましいかもしれないが、実は糖質は脂質や塩分やタンパク質と一緒にとるから美味しいのである。ケーキにはたっぷりの脂質が、お肉やラーメンや揚げ物には塩分、脂質、タンパク質がたくさん入っている。糖分だけというのは、アメとかゼリーとかジュースしかなくなってくる。おいらは、激マズ激甘栄養ドリンクや、アガロリーという激甘ゼリーを毎日食べさせられた。また、脂質の中では消化管に負担の少ない中鎖脂肪酸は摂取が許された。そのため、中鎖脂肪酸の油がたっぷりかかった、全然さっぱりしないぎとぎとのおひたしがでてきたりした。

 こうした食事メニューの一例を挙げると大体以下のようだった。朝はご飯、みそ汁、おひたし、卵焼き。昼は、ご飯、野菜炒め、サラダ、栄養ドリンク、激甘ゼリー、果物。夜、ご飯、煮物、肉または魚料理、おひたし。これだけ見ると、それなりの食事に見えるかもしれないが、ほぼ毎日これが変わらずに続くとつらかった。カレーやラーメンや揚げ物など夢のまた夢だった。せめて麺類やパンや辛いものも食べたかったがタンパク質や塩分が多くなるので、でてこなかった。次第においらは、食事することが苦痛になっていった。本来、入院患者にとって食事は一日の中で最も楽しみな至福の時間である。だから、毎食今日こそは美味しいものがでるとわずかな期待を抱くのだが、毎回裏切られ拷問に変わった。

 限界に達したおいらは、看護師さんや医者に食事を改善してもらうよう何度もお願いした。その結果、栄養士さんと面談することになった。だがおいらの食事は、栄養士さんにとっても極めて難しい献立だった。ほとんどの成分に制限がかかる一方、体力と筋力をつけるためそれなりのエネルギーを摂取する必要があった。カロリーの高い脂質やタンパク質をほとんどとれないため、頼みの綱の炭水化物などの糖質でできるだけカバーした。しかしそれでも、おいらの一日の摂取量は1400kカロリー程度にしかならなかった。理想的には1800くらいなければいけなかったが、とてもそこまで到達できずおいらの体重は一向に増えなかった。それに加えて、おいらのクレームが重なり、栄養士さんは相当追いつめられていただろう。でもおいらもまた拷問のような食事に追いつめられ必死だった。だから面談の際にはほぼけんか腰にあれこれと注文を付け、それでも改善しないと毎食の下膳の際に、要望をメモ書きし添えたりもした。栄養士さんはおいらとの面談が本当に嫌そうだったし、伝え聞いたところによると泣いてもいたそうだ。食事をめぐっておいらと栄養士さんは格闘していた。

 今冷静に客観的に思えば、申し訳なく思う。大勢の患者さんの食事も用意するため、おいらのためだけに手間ひまをかけていられないこともよくわかる。食事も治療の一環として、栄養バランスを最優先にしなくてはならないのもわかる。栄養士という立場からは最大限努力されていたことだろう。そして、おいら自身も体調が悪かったため味覚などが変化し、健康なときより食べ物が美味しく感じられなくなっていただろう。実際その病院の入院食は、数年前に入院した頃はとても美味しく感じられていた。

 食事は医療以上に病気の治療に効果がある。でもそれは、美味しいことが大前提で成り立つ。おいしい食事は栄養補給するという面だけでなく、生きる気力に直結するからだ。どんなに素晴らしい栄養バランスであっても、食べることが苦痛になるような食事では食べられない。仮に食べられたとしても、精神的にはとてつもないストレスがかかり、結局それが体の負担になるのだ。おいしい食事がとれないことは、死を予感する。死を願いすらしてしまう。おいらは人一倍食いしん坊かもしれない。妻に言わせると食に対する欲望が異常すぎるそうだ。食欲は、排泄欲、睡眠欲、性欲などとともに生理的な欲求であり、ある種本能的な欲望だ。それを生きがいとするのは人間らしくなく、あまりに個人的だ。人間ならもっと二次的な欲求、たとえば他人を楽しませたり幸せにしたり、社会に役立ったり、といった他人と共有できる社会的欲求に生きがいを感じるべきかもしれない。しかし、そうした人間性を見失ってしまうほど、おいしい食事をとれないことは苦しいものなのである。

 退院してかなりいろいろなものが制限無く食べられるようになったが、今でも食欲はすさまじい。暇さえあれば、インターネットのグルメサイトを検索し食べ物探しをしてしまう。日常生活でも今日や明日の献立で頭が一杯である。だから、食に対する欲望をそう簡単になくすことはできそうにない。せめて自分だけの満足のためではなく、家族や友人などと一緒に食べる楽しみを生きがいにしていきたいと思う。