ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

入院最高!

この年末、サンタさんからファミコンが贈られてきた(息子に贈られたものだけど)。おいらの手元にファミコンが来るのは子供の頃と合わせてこれで2度目になる。おいらの子供時代1980年代はファミコン全盛期だった。しかし、ファミコンは当時は高く、おいらの家は厳しい教育だったので、ファミコンを買ってもらうなど夢のまた夢だった。

 そんなころ、おいらが8才の1984年に二度目の心臓手術を受けることになった。今後フォンタン手術を受けるための前段階として肺動脈形成術である。入院中は親も親戚も知人も皆とても優しくしてくれる。そしてほしいものがあれば、買ってきてくれたりもした。ここぞとばかりファミコンをおねだりしたかったが、子供ながらに遠慮してしまい、おいらはゲームウォッチをねだった。ゲームウォッチとは、今でいうnintendo DSのような携帯型ゲーム機のことで、ゲームのソフトを換えることはできず、1つの機械に1つのゲームだけが遊べるものである。また、液晶画面に表示できる絵柄はデジタル時計のようにあらかじめ決まっていて、基本的に単純なゲームしかできない。

 しかしそれでも、退屈きわまりない入院生活を送るには、ゲームウォッチは最高のアイテムに思えたので、しつこくおねだりした。そしてついに親が買ってきてくれた。ところが、病室に現れた親の手にはゲームウォッチにしては大きすぎる紙袋をぶら下げていた。紙袋から現れたのは、ゲームウォッチの100万倍すごいファミコンだった。一体何を勘違いしたのか、親はファミコンゲームウォッチだと思ったらしい。一緒に買ってきたソフトはパックマンとワープマンという、どちらも今からするとかなり地味で単純なゲームだった。とはいえゲームウォッチに比べれば、圧倒的な差がある。フルカラーで自由自在な操作性、耳に残るBGMに強烈な効果音。アーケードゲームもやったことがないおいらにとって、初めて手にする本格的なゲーム機は凄まじく衝撃的だった。

 ファミコンはおいらだけでなく、周囲の人も一瞬で虜にしてしまった。同じ病室に入院している子たちはおいらのベッドに群がり、すぐに噂は広まり別の病室からも子供たちが押し寄せた。当然こんな状況を看護師さんは許すはずはなかった。わずか2日ほどでファミコンが禁止され家に持って帰ることになったのだった。結局すぐに退屈な入院生活にもどり、見かねた親が本来ご所望のゲームウォッチを買ってきてくれた。すでにファミコンの衝撃を受けた後では、ゲームウォッチはかなり色あせてみえたものの、家にファミコンがあるのが楽しみで、なんとか入院をのりきった。

 そんなわけで、今でこそ入院は地獄であるが、このころのおいらは「入院最高!」とほざいていた。今たとえファミコンがやり放題だとしても二度と入院はしたくはない。それに、最近の入院では、パソコンにゲームをダウンロードしたりブラウザゲームを立ち上げたりしていくらでもやっていたが、それでも死ぬほど退屈だった。

 8才の手術から退院したあとは、すっかりファミコン少年になり、友達とファミコンをしまくった。どんどんとファミコン中毒となり、お年玉でゲームソフトを買い、普段は遊ばないクラスの女子からもゲームソフトを借りたりした。ときには、友達の家にゲームソフトを借りにいって、友達がいないとその兄弟や親にお願いして借りたりもしたが、あとでその友達が怒り狂ってやってきた。ともかくゲームへ対する欲望がすごく、ゲーム中毒がおさまったのは中学になって友達がスーパーファミコンとかを手にするようになってからだった。今度は、おいらの家にそうした次世代ゲーム機はやってこなかった。

 それから約30年後、再びおいらの元にファミコンが登場したのだった。今ではレトロゲームと呼ばれ、ファミコン世代のノスタルジーに浸るためのアイテムにすぎないともいわれているが、それでもやはり実際手にすると嬉しい。初めてファミコンをしたときの衝撃、本来地獄であるはずの入院を最高といわしめるほどの感動が、よみがえるようであった。子供の頃のワクワク心躍る気持ちが思い出された。さすがに、今は子供の頃のように何時間でも飽きずにはできないが、小一時間やるには今でもとても楽しめた。そしてノスタルジーのない息子にはレトロすぎてつまらないかと思ったが、意外にもめちゃめちゃはまっていた。息子と二人で大笑いしながらファミコンをしていると、なんだかとても幸せに満ち足りた気分になれた。だから今も昔もおいらにとってはファミコンをしていると生きててよかったと思える瞬間なのだ。