ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命についてつづるよ。

永遠に続く砂漠

また、再手術の話を再開しよう。

 2度目の手術を終え、目がさめると朝だった。もちろん朝だとわかるのは後々のことで、実際はICUでは窓もなく時間の感覚もない。しかし、時間の感覚がないことは実は患者にとってかなりストレスになる。後日記録を見ると、午前中に人工呼吸器をつけたまま目が覚めて、家族と面会し、文字板などを使って少し会話をした後、また少し眠りにつき、午後に人工呼吸器を外して、再び家族と面会した。外すときは、少し痛苦しかったが、想像するほどきつくはなかった。人工呼吸器を外せば声が出るようになるかと思ったが、枯れた声しか出なかった。時間感覚がなかったから、人工呼吸器を外したのは次の日かとしばらく思っていた。

 人工呼吸器を外した後は、鼻に酸素を勢いよく送るホースをつけていた。よくテレビドラマなどで見る細い透明のチューブではなく、太さ2cmくらいはありそうな蛇腹のホースで、ドライヤーを当てられているように思い切り空気が送られてくるものだ。空気は鼻が乾かないように加湿してあり、長く使っているとホースの中にその水分が溜まっていくほどだった。この日は顔がパンパンにむくんでいて、まぶたが開かないほどだった。顔色は真っ黄色だったらしく、まるで膨張した水死体のようなグロい様相だったらしい。

 鼻にはホース以外に胃に直接薬や栄養分を送る管が入っていた。なぜかその管が、口の奥の方でねじれてしまい、途中からすごく痛くなってきたので、一度新しいものに入れ替えた。人工呼吸器を外した後は喉が痛かったし、口の中がベトベトになっていたので、水を飲みたかった。しかし一日に口にできる水分はせいぜい2, 30ccしかなく、その貴重な水分も顆粒状の薬を飲むのに全て使ってしまった。口の中が張り付くほどカラカラになり、口の渇きで狂いそうだった。以後ずっと続く水分制限の経験が、ある種トラウマのように今でも引きずっている。

 ようやく夜になった。夜は夜でとても長かった。しかし夜勤の看護師さんはとても気が利いていて、おいらの苦しみを少しでも和らげようとお世話をしてくれた。特に嬉しかったのが口の渇きの辛さをわかってくれて、歯磨きしてくれたり、キンキンに冷やした氷水を用意してくれて、うがいをさせてくれたことだ。口の中がさっぱりしてこの上なく気持ちが良かった。

 しかし、次の日の夜勤の看護師さんは真逆のように気が利かなかった。看護師さんを呼ぶポケベルのボタンを何度押しても来ず、後で聞くと呼び出しのポケベルの電源が切れていたそうだ。もし緊急だったら死んでいるかもしれない事態である。前日のように冷たい水をお願いしても、氷がないと言って相手にしてくれず、さらに鼻のホースに水が溜まったのでとってほしいとお願いしたら、ホースを下手にいじくって溜まった水が鼻に逆流し、めちゃ痛くなったりした。

 こうしてなんとかICUで二日間が過ぎた。この間、ずっと時間感覚がなかったので、たった二日間だけとはとても思えなかった。一日のうちに寝たり起きたりが何度もあったせいもあり、もう何日すぎたかわからなくなっていた。そして、3日目。その日の日勤の看護婦さんは、その日のスケジュールをわかりやすく説明してくれたがとてもありがたかった。朝何時に薬を飲み、何時に採血をし、などを説明してくれて、1日の流れをつかむことができた。ようやく時間感覚がついたのだ。どんなことであれ、一日の見通しが立つと、実に気持ちが落ち着くものである。今何時かわからず、これから何をするのかもわからないと、時間が永遠に感じられた。このままこの苦しみがずっと続き、無限に耐え続けなければならないような気がしてくるのだ。実際には、ICUではもっと痛くて苦しいことがたくさんあったはずなのに、今思い出しても水と時間が一番辛い記憶として残っている。

 子供の頃の手術では、ICUは一週間あるいはそれ以上滞在していた。だから、今回も長く続くだろうと思っていた。ところが、看護師さんが説明してくれた予定を聞くと、なんとその日の午後に一般病棟に戻れるかもしれないと提案された。そしてそのためには、いくつかクリアしなくてはいけない条件があった。一つは、ベッド上での排便、排尿ができるか、もう一つは起き上がれて立てるか、もう一つはご飯を食べられるか、だった。これらのことができないと、まだ体の回復が十分でなく、もう数日様子を見る必要があるかもしれなかった。正直、その時はまだ自力で寝返りもできず、足一本、腕一本も上がらないほどだった。胸にはドレーンが5本刺さり、両手や首に点滴ルートが何本も刺さり、胸の手術痕もちょっと咳するだけで超痛かった。だが、おいらは死ぬ気でクリアしてやるつもりだった。一般病棟に戻れば、この戦いは勝ちだ。そう確信していた。