ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命についてつづるよ。

破壊生物学者

南の島に住んでいるのだから、一度は熱帯魚が群れる海の中をシュノーケリングをしてのぞいてみたいものだ。先日、ついにその願いが叶った。干潮時にできたサンゴ礁内の浅いタイドプールでシュノーケリングをしたのだ。そこはとても浅く、ほとんどのところは足が付くほどだった。逆に足のつかないところは、おいらは怖くてとても行けなかった。ライフジャケットとシュノーケルをつけているので、じっと大人しくしていれば自然と体が浮いてまず溺れることはないのだが、焦ってしまう。だから、その日も足のつく浅瀬で、たまに少し浮いたりしながらシュノーケリングをした。

 海の中は、予想以上に魚があふれていた。サンゴの岩場があるところは必ず魚が群れをなしていた。顔や手を近づけても怖がる様子もなく、中には指をつついてきたりして、とても可愛らしかった。ルリスズメダイやミスジリュウキュウスズメダイなどの小魚だけでなく、30cm近くもあるような大きな魚も泳いでいた。見事なチョウチョウウオもいた。水族館で見る光景と同じ世界が広がっていた。おいらは夢中になって泳ぎ、どんどんリーフの奥へと進んで行った。途中で深いところがあれば、うまく迂回してサンゴの間をぬって浅い砂地を歩いて行った。奥へ進むほど海水の透明度はまし、さらに美しい魚たちの姿をくっきりと見ることができた。大興奮だった。

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 しかし、危機は迫っていた。その頃には潮が満ち始めていた。気がつくと海面上にあった岩場も全部水没していた。そのため、浅いルートがどの辺りかわからなくなってしまったのだ。とりあえず、岸に向かって少しずつ進んでいくことにしたが、ちょっと進むと2m以上の深さがありそうな場所に囲まれてしまった。水中メガネから覗く海の中は、途端に恐ろしい世界に変わった。実際の深さは2mもなかったかもしれないが、3m以上もありそうに感じた。

 幸いおいらは一人ではなく、妻と子供が一緒だった。二人は泳げたので先に先導してもらい、足のつく場所を探してもらった。もう足のつくところはサンゴの上しか残っていなかった。仕方なく、サンゴの岩を飛び石がわりに渡っていくことにした。丸い平らな塊のサンゴは、硬くてちょうど良い台になった。しかし、枝状のサンゴは踏むとボロボロと崩れてしまった。サンゴは魚や他の生き物の住処になっている。おいらが踏みつけたことで、その住処はズタズタに破壊されていた。魚も黙っていなかった。さっきまであんなに可愛らしく戯れていたのに、おいらがサンゴの上に乗ると怒って猛烈に噛み付いてきたのだった。オジロスズメダイという10cm程度の黒い魚だったが、その攻撃は容赦がなかった。おいらはごめんよごめんよと呻きながら、次のサンゴへと必死に泳いで行った。

 そうして5箇所ほどサンゴの岩場を渡ったところで、ようやく砂底が足のつく深さになり、無事岸に上がることができた。もしもうちょっと帰る判断が遅かったら、サンゴの上ですら足がつかなくなり、おいらは溺れていたかもしれない。あとになって振り返るとかなり危ない状況だった。

 実はおいら、こうした危機は2度目である。1回目は今から10年以上も前のことだが、そのときはもっとひどく実際に溺れてしまった。大量に海水を飲みながらもなんとか岸に泳ぎ着き、そのあと緊急入院した。そのときの話はまたいつかしたいと思う。ともかくその時の経験から、シュノーケリングするときは特に慎重にしていたつもりだった。確実に足のつく深さしか行かないようにしていた。しかし、バカなおいらは潮が満ちる速度を甘く見てしまい、再び危機に陥った。

 おいらの身勝手でバカな振る舞いによって、サンゴが破壊され多くの生き物の住処が失われた。おいらだけでなく、毎日のように人々がシュノーケリングしていれば、サンゴは次々と破壊されていくだろう。おそらく、あのリーフもあと数年すれば完全に破壊し尽くされて、美しい魚たちの姿は見れなくなってしまうかもしれない。おいらはこれでも生物多様性を研究している研究者である。こんなおいらが、生物多様性の大切さや保全を訴えても、何の説得力もない。生物学者だからといって、誰しも生物を大切にするとは限らないが、中にはおいらのように(おいらだけかもしれないが)無神経に生物を破壊してしまう研究者もいるのだ。人並み以上に生物に興味がある分、時には自然の奥深く入って破壊してしまい、余計タチが悪いかもしれない。