ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命についてつづるよ。

最大の喜び

両親が、おいらのことで一番喜んだ時のことは、今でも強く心に残っている。それは、心臓の手術を無事終えた時、ではない。もちろんその時も喜んだと思うが、喜びより安堵感の方が大きかったろう。それに、おいら自身は手術後すぐは眠っているか意識が朦朧としているので、両親がどんな感情であったかなど知る由もない。手術後しばらくたって、おいらの意識もはっきりした時には、両親も落ち着いた顔つきになっていた。  

 それから、3歳の時の心臓手術を終えて退院し、初めて一人で立てるようになった時も両親は喜んだろうが、おいら自身が3歳なので両親の感情など覚えていない。同様に8歳の手術の後初めて走れるようになった時のことも覚えていない。両親が一番喜んだ出来事はもっともっとずっと後の事である。

 もったいぶって前置きが長くなってしまったが、その出来事とはおいらに子供ができた時のことである。実を言うと、その時おいらは結婚しておらず、子供ができたことで結婚を決意した。いわゆるデキ婚である。だから両親には、結婚することと子供ができたことを同時に報告しなければならなかった。その頃は、おいらは両親とは遠く離れて一人暮らしをしていたので、電話で報告することにした。正直、両親に何を言われるかと内心不安だった。非難されるのではないかとも思った。

 しかし、電話すると母も父も、泣き出しそうなほど喜んで祝福してくれた。実際泣いていたかもしれない。それは、孫ができるという喜びもあるが、おいらが独り立ちし家族を持って生きていることに喜んでいるようだった。子供の頃の両親は厳しくいつも怒っている印象だった。後に聞くと、一人で自立して生きていけるようにとあえて厳しく、家事の手伝いをさせたりと色々しつけたのだそうだ。前に書いたように、おいらが風邪などで寝込んだ時も、つきっきりで看病はせず仕事に出かけた。手術で入院している時も、付き添いで泊まったりはしなかった。でも、内心はずっと心配でたまらなかったろう。小さい時は、おいらが大人まで生きられるかが不安で、眠れない夜もあったはずだ。今でこそフォンタン患者が成人まで生きのびて、家庭を持つことは珍しくなくなった。でも、おいらが子供の頃は、大人まで生きられること自体が望みが薄かった。しかし、その心配や苦労が報われた。おいらは自立して収入を得て、そしてついに家庭を持ったのだ。それは親として子供を育て上げた喜びなのか、いややはりおいら自身が幸せを掴んだことへの喜びなのだろう。

 おいら自身には、まだ孫はいない。おいらの子供はまだ小学生なので、彼が結婚して子供を持つにはだいぶ先の話だろう。残念ながらそこまで生きられるかわからない。がもし、息子が子供ができたことを報告するまで生きられたら、その時はおいらの両親以上に喜びたいと思う。