ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

夢の競争

この冬、息子はスキー留学のため前に住んでいた山間部に旅立った。妻も保護者として同伴したため、おいらは一人南の島でお留守番である。本当は一緒についていきたかったが、仕事を休むことになり収入がなくなってしまう上、寒さに耐えきれそうになく、島にとどまるのが賢明なのだ。

 息子の夢は、いつかスキー選手になり、オリンピックに出場することだ。もちろん目指すのはメダルである。息子が憧れているのは、マルセル・ヒルシャーというアルペンスキーヤーで、回転や大回転といったアルペンの種目において、6年連続世界総合優勝しているスーパースターである。今期も現役で、すでにこの12月だけで各地の世界大会で4度1位を取っていて絶好調である。このままの調子で勝ち続ければ、今期も総合優勝は確実だろう。

 オリンピックに出てメダルを取るなど、とてつもなく難しい夢である。しかし、息子なりにその夢を追い求めている。南の島ではスキーはできないが、その分自主トレに励み、毎日マラソンや縄跳び、ストレッチなどを続けた。もちろんヒルシャーの大会の滑りを動画でなんども見て、イメージトレーニングも行った。この程度では全然甘いのかもしれない。でも親バカのおいらは、息子の夢は叶うと心から信じている。

 そんな息子の夢よりはるかに小さいが、おいらにも夢がある。それは大学教員の職につき、自分の研究室を持つことだ。そして、若い学生とともに楽しい研究を思う存分やる。おいらの夢も、正直絶望的に難しい。まずおいらが無能で、業績も知名度もないことが一番の原因だが、40歳を超えているという状況もかなり厳しいだろう。そして悔しいことだが、先天性心疾患であることも不利に働いているだろう。だが、それだけにこの夢を実現したいのだ。病気のせいで、思うように研究ができなかった、採用されなかった、なんて言い訳をしたくないのだ。むしろひねくれているが、見事大学教員になって、健常者を見返してやるつもりなのである。

 息子とおいら、どちらの夢が叶うだろうか。それはこの冬にかかっている。息子はスキーが久しぶりで、最初は思うように滑れないかもしれない。すでに山間部の同級生達は息子より一ヶ月早くスキーを始めており、彼らにも追いつかないかもしれない。が、そこでめげずにトレーニングを続ければ、未来は開けるだろう。おいらもまた、一人になったからと怠惰な生活を送らずに体調を維持し、そして論文書きや公募書類書きを続ければ、夢の実現に近づくだろう。今季絶好調のマルセル・ヒルシャーはこの夏に足首を骨折する大怪我をした。しかし、その逆境を乗り越え、ダントツの成績を残し続けている。逆境は、時に人を飛躍する。息子は島でスキーができない、おいらは病気という逆境をそれぞれ負った。1500km以上離れた地で、息子とおいらはともに夢の実現に向けて逆境に立ち向かうのである。頑張れ息子。