ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命についてつづるよ。

データの力

現在国会で、裁量労働制のメリットを示すデータに誤りが指摘され、捏造さえ疑われている。あるいは、科学研究の世界でも、最近ではiPS細胞研究所での不正事件など、データ捏造事件が度々起きている。こうした事件が度重なると、データとは、結論に合うよう都合の良いところだけをうまく加工して取り出してきた、全くデタラメで信用のならないものだ、という印象を持ってしまう方も多いだろう。それはおいら達研究者にとって、ある意味死活問題になりかねない危機的事態である。研究においてデータは最も大切なものであり、データが信用されなくなることは、研究そのものに価値がなくなるようなものだからだ。

 本来データは、何よりも客観的に真実を映し出す力がある。どんなにああだこうだと論述して説得するよりも、正しいデータこそ最も説得力がある。科学論文では、データ(結果)に説明や考察を加えるが、それはあくまで読者の理解を助けるものに過ぎない。論文の考察を読まなくても結果の図表を見れば、その論文の意義や価値がわかる。

 それだけに、データの取り扱いは極めて厳格にならなければならない。1つのミスも出さない覚悟で、最大限の精度と正確さを求めなければならない。たとえ自分の示したい意図とは合わない不都合なデータだろうと、誠実に示さなければならない。それは科学研究者が厳守すべき掟のようなものだ。データを粗末に扱ったり、適当に扱うことは暴力である。デタラメにいじくったデータには、嘘と間違いしか生まれない。

 とはいえ、データを正しく取り扱うことは実は極めて難しい。大学院の修士・博士課程で徹底的にトレーニングを積んだ研究者でさえ、時にはデータに誤りを犯してしまう。徹底的にトレーニングを積んだオリンピック選手でさえミスしてしまうことがあるようにだ。だから、もし教育を受けずに適当にデータを取り扱えば、本人が意図するかしないかに関わらず、ほぼ確実に間違った結果が生み出される。

 データを正確に扱うことは極めて難しいが、それを実現できた時、真に説得力があり感動を与える結論を導くことができる。人々がオリンピックのメダル(結論)に感動するのは、その背後に確固たる技術と記録(データ)があるからだ。逆に言えば、誤ったデータを基にした結論は、全くもってなんの説得力も価値もないのだ。どんな結論を述べようと、データを見れば何が真実かははっきりわかる。だから、おいらはデータの力を信じている。