ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

フォンタンマスターへの道:筋肉編

フォンタンマスターは筋肉という最強の右腕を従えている。それは決してスポーツ選手のように力強い筋肉ではないが、心臓を強力にサポートし、弱い心臓を健常者並みの働きに高めてくれる頼もしい存在である。

 筋肉なきところ、水溜まるなり。大昔の思想家の言葉ではないが、循環器疾患を持つ者にとってこれは究極の格言である。水分制限や利尿剤によって水分コントロールをどんなにうまくできたとしても、筋肉がなければ必ずその部位に水が溜まる。一度水分がついてしまうと、内臓脂肪のごとく取り除くのが極めて難しい。仮にとれてもすぐまた溜まる。筋肉無くしてはどうしようもないのだ。

 筋肉なきところ、血液よどむなり。血液の循環に関わるのは心臓だけではない。他の筋肉の動きもまた血液を押し流す働きをする。先天性心疾患の人なら一度は医者から教わったことがあると思うが、特にふくらはぎの筋肉は「第二の心臓」と呼ばれるほど重要とされる。だから、ふくらはぎ筋を鍛えるフォンタン体操をやるようにと、医者にはよく言われていた。フォンタン体操といっても何か特別な運動ではなく、壁に両手を付いた姿勢で爪先立ちして戻すという上下運動を繰り返すだけだ。屈伸運動や腹筋運動なんかよりはるかに楽にでき、心臓への負担も少ない。上下運動をするときにはできるだけゆっくりやると、筋肉の負荷がかかって良い。苦しくならない範囲で、5-10回ほどやると良い。ふくらはぎの筋肉がしっかりついていれば、下に落ちた血液を上に押し流してくれるようになり、心臓がぐっと楽になる。

 筋肉失うこと、これ即ち地獄なり。ふくらはぎの筋肉以外にも、おいらの経験上特に重要と思うのは、腹筋背筋である。それらの筋肉がないと、背中が曲がる、腰痛になる、圧迫骨折を起こす、腹水が溜まる、腎臓・肝臓・消化管がうっ血する、といったリスクがある。その状況が悪化するとタンパク漏出性胃腸症や消化管出血、腎不全、肝不全という事態に陥りかねない。おいらはその全てを味わあったが、その状態になると治療に難渋し、地獄を見る覚悟が必要である。比較的些細な点では、血管が怒張する、筋肉痛、全身あちこちが攣るといったことも多々ある。

 このように、筋肉を失うと全身に悪影響が出て、寝たきり状態に急速に近づいてしまう。それを避けるには、やはり筋トレしかない。しかし、先天性心疾患患者にはハードな筋トレはとてもじゃないができないし、もちろんする必要もない。むしろ、筋トレとは呼べないようなストレッチレベルの運動で十分である。横になって腕や足を伸ばしたり、ゆっくり持ち上げたり、ぐるぐる回したりするのでも良い。柔軟な体作りが大切である。

 散々知ったように書いたが、おいらは筋トレもストレッチもすぐ怠けてしまいろくにできていない。疲れを理由についトレーニングをさぼってしまうが、それではますます筋力が落ちてさらに苦しくなる悪循環に陥る。日々の修行無くしてマスターにはなれないのである。