ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

水増し障害者

この夏は水増しだらけの年になった。台風や豪雨で日本中が大雨に見舞われ、浸水したり、河川が溢れたりした。さらに先日には、北海道で大きな地震が起き、広範囲で液状化現象が観察された。いずれの災害でも、多くの方々がなくなる悲惨な被害が出ており、今なお苦しんでいる人々が大勢おられる。亡くなられた方のご冥福と、今後の復旧を心よりお祈りしたい。

 そうした悲しい自然災害とは反対に、極めて腹立たしい水増し問題も起こった。中央省庁や自治体など国の行政機関が、障害者の雇用率を大幅に水増ししていたのだ。障害者雇用を率先して行うべき国の機関が、率先して水増ししていたという事実はあまりに衝撃的だ。でも、おいらはこの問題が発覚するずっと前から体に水が溜まっていて、すでに水増し障害者になっているから何も驚きはしないのだ。水増し上等、そんなものは利尿剤で流してやる。

 なんてわけのわからない屁理屈はいいとして、この問題が真に深刻に感じる点は、水増ししていたという事実そのものより、障害者は雇いたくないお荷物だ、という考えが人々の間で正当化されてしまったように感じることだ。2年前の障害者殺傷事件の時にも、障害者はお荷物だと犯人は主張した。しかし、その時は社会全体が犯人の主張に強い反感を抱いていた。しかし、今回は国が組織的にお荷物扱いしていたことが明らかになった。国がそういう考えなら、同じように考えていても別に悪くないと国民が感じかねない。

 では、実際障害者はお荷物なのか。障害者が働けば、そのために特別な施設設備や手助けや配慮が必要になる。健常者ほど長時間働けないかもしれない。障害の種類によっては、肉体労働ができなかったり頭脳労働ができなかったりするだろう。様々な点で効率が悪い。しかし、こうした効率性を重視した視点は、極めて短期的視点に立ちすぎている。

 少し極端な例えをしてみよう。映画ターミネーターなど、未来の世界に機械と人間が終末戦争をしている作品がいくつかある。機械対人間という構図は、効率性・画一性vs非効率・多様性という構図と見ることもできる。機械の世界は、全てが同じ型、同じ能力で、個性はなく感情も持たずプログラムに完全に忠実に従って行動する。それは究極的に効率的である。だから、効率性ばかり追求し続けると、いずれターミネーターに支配された世界になってしまうかもしれない。

 それはさすがに飛躍した妄想だとしても、今回の水増し問題は、障害者を雇わないという効率性を重視したために、国への不信という大きな損失が出てしまう結果となった。もし法定基準を守って雇用していれば、国はお手本を示すことができ、民間企業も基準を守るようになるだろう。さらに、長期的には国の信頼が増し、多くの国民が安心した生活を送ることができ、税収も増加したかもしれないのだ。

 生物の世界では、必ずしも効率性を重視しない。自然選択は効率的な生物を選ぶわけではない。むしろ、非効率な生き方をする生物が多い。一見非効率な生き方でも、実際はリスクを最小限にしていたりする。リスクとは子孫が全滅してしまう危険のことである。生物は次世代を残してなんぼなのである。効率的に生きるかどうかはどうでもいいのだ。リスク回避で最も有効な方法は、多様性を生み出すことである。画一的な生き方では、必ずいつか(環境が変化した時)、対応できずに負けてしまう。自分は負けても、自分の兄弟あるいは子供達が自分とは違う生き方をしていれば、誰かが生き残ってくれる。そうして遺伝子は受け継がれていく。

 省庁や会社を一つの生命体と見れば、同じことが当てはまらないだろうか。一見非効率でも多様性を考慮した人材配置は、長期的な存続に極めて重要なはずである。ではだから、障害者を雇用するとどんなメリットがあり、どんなリスク回避につながるかって。ふふふ。それを知りたければ、まず障害者を雇ってみればいい。