ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

植物の涙

おいらの住む南の島には、モモタマナという樹木種が島のあちこちに自生し街路樹としてもよく植えられている。名前は可愛らしいが、冬が近づくこの時期に大量の葉と果実を落とし、道路を好き放題散らかしてくれるやんちゃな植物だ。葉は、ホウノキのように丸く大きくツルッとした形をしている。南の島の植物としては珍しく紅葉して冬に落葉する。今年は最強クラスの台風がたびたび島を訪れたため、紅葉する間も無く10月にはすっかり葉を落としてしまった。だが、モモタマナは諦めなかった。11月になって、果敢にも再び新緑を出してきたのだ。島の冬空は意外にも灰色で寒々しい。その寒空の中、新緑の鮮やかな葉は不釣り合いではあったが、そんな姿もどこかやんちゃでいじらしく見えた。

 モモタマナの果実も非常に個性的で、大きさは5cmほどもあり楕円形で丸い。しかもただ丸いのではなく、一面に縁のような突起があり、どことなく船のような形状になっている。まさにその形には意味があり、モモタマナの果実は海水に浮くことができるのだ。その特徴を獲得したことで、モモタマナは太平洋上のあちこちの島々に渡りつき、そこで定着して分布を拡大することに成功した。生物学的に専門用語でいうと、こうした海を渡る植物のことを海流散布植物といい、モモタマナ以外にもハイビスカスの仲間のオオハマボウなどの種が知られる。海流散布植物は、熱帯域を中心として太平洋あるいは地球全域という超広域に分布しており、いわば植物の中でも最も拡散することに成功した種類とも言える(外来種も地球全域に分布しているものもあるが、それらは人が拡散させたものであり、己の性質だけで自力で拡散した種は、海流散布植物がダントツであろう)。

 そんな植物界の成功者も、その特徴故の孤独な運命を背負うことになった。海に浮いた長旅の末、なんとか新天地の島に着いたのは良いが、そこは大抵仲間の個体がいない孤独な土地だった。いくら海に長期間浮いていられるとはいえ、数百キロあるいは数千キロ離れた別の島から、新たな果実が流れ着く確率は極めて低い。来る日も来る日も待てど暮らせど、仲間の果実はたどり着かないのだ。やがて数十年あるいは数百年経つと、その島にはたった一つの果実から生まれた子孫たちがたくさん育っていた。その間他の島に生育する個体とは一切交流がなく、一つの果実の遺伝子だけが脈々と受け継がれていった。

 数千年の時が経ち、ついに遠い島から同じ種の果実が流れ着いた。だが、ある意味純血培養されてきた子孫たちにとって、遠い島からの果実はあまりに異端な存在だった。姿形は似ているものの、遺伝的にはもはや別種と言えるほど、遠く離れた存在になってしまったのだ。一方、数千年あるいは数万年の時の間に、もう一つの事件が起きていた。子孫たちの中に、変わり者の個体が現れ、島の環境により適した特徴を獲得していった。そうした変わり者は、島の内陸部にどんどん進出し、海に浮く果実という内陸では無駄な特徴を捨ててしまった。一方、多くのほかの子孫は、海岸周囲の狭い範囲に留まり、海に浮く果実を作り続けていた。そうして時が経ち、海流散布の種から島固有の内陸性の種に種分化していった。

 だが、海流散布の種と島固有に進化した種は、元は同じ一つの先祖から由来している。だから、外見や性質は色々違いはあれど遺伝的にはかなり近いのだ。こうして海流散布植物は、姿形はよく似ているが遺伝的には大きく異なる同種の個体と、姿形は違うが遺伝的には近い別種の個体に遭遇することになったのだ。彼らにとって、真に同じ種と言える個体はどちらなのか。海流散布植物は従来の種の概念では説明できない、宙ぶらりんな存在になってしまった。

 そんなことを思いながら、道路に散らばるモモタマナの果実見ると、どこかそれは彼らが流した大粒の涙のように見えてきた。モモタマナだって孤独は寂しいよな。でも君たちの流したその大粒の涙は、生命の奥深い歴史が込められていて本当に美しいよ。だから、これからも毎年道路を散らかしておくれ。

 

注:ストーリー性を重視するため、多少最新の研究知見とは異なる脚色をしているが、ここでは生物の神秘を楽しんでもらえたらありがたい。