ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

インクレディブル・ファミリー

今から約30年前の12歳の時、おいらはAPCフォンタン手術を受けた。その時の入院の状況を両親が記録して1冊のファイルにまとめて残していた。ファイルには記録だけでなく、当時のクラスの同級生からいただいた手紙も保存されていた。どの手紙にも、おいらが手術を頑張ったことを讃える言葉が綴られていた。クラス全員からそんな手紙をもらったので、おいらは自分がヒーローになったかのように錯覚し、ご満悦に浸っていた。ファイルの記録や手紙をもとに、おいらのご満悦なフォンタン手術の武勇伝を紹介しよう。

 入院期間は59日間。近年のフォンタン手術では3週間ほどの入院で済むらしいが、30年前では2ヶ月でも順当な方だったろう。手術時間は21時間30分で、長いのかどうかはわからない。5年前に受けたフォンタン再手術では、当初予定の10時間を大幅に超えて22時間かかった。手術を受ける当日の朝、「いたくない?いつもどれるの?」と涙目で母に聞いたようだ。

 懇願虚しく手術後のICUは、長く辛いものだった。ICU滞在は12日間、導尿カテーテルは14日間入れ続けた。これは今の医療の常識からはかなり長い。最近の知見では、ICU滞在期間が長いほど術後回復が遅れることがわかり、早ければ手術後2日くらいで一般病棟に戻すようにしているようだ。長期間のICUは精神的に相当のストレスとなり、滞在中かなり暴れたりしたらしい。いわゆるICU症候群におちいっていた。

 なんとか一般病棟に戻れても、その後2週間ほど容体は安定しなかった。特に、胸水が止まらず胸に刺したドレーンから廃液が毎日300ccほどで続けていた。そのため水分制限も厳しく、1日約800ccほどしか飲めなかった。ようやく胸水が止まったのは手術後1ヶ月が経った頃だった。最後のドレーンを抜くときは、留置期間が長すぎたためにドレーンが内部の肉に癒着してしまっており、引き抜くとバリバリと剥がれる感覚がした。おいらは激痛で歯が欠けそうなほどに力強く食いしばって呻き声を上げた。ドレーンを抜くとまた胸水が溜まり始め不安が走った。幸いその後胸水は徐々に減り、体力も回復し始め、一般病棟に戻って3週間ほどで退院となった。退院する3日前、心臓カテーテル検査を受けたが、これが凄まじい痛みで検査後激しく嘔吐し、その後生涯にわたってカテーテルがトラウマになった。

 フォンタン手術により、これまでほとんど肺に送られてこなかった血液が大量に送られるようになった。しかし、その新しい循環系にはなかなか体がなじめず、退院後2ヶ月ほど毎朝頭痛と吐き気に苦しめられた。ある外来診察のとき、そのことを執刀医に伝えると、「そんなことはない!手術は完璧に成功したのだ!」となぜか厳しく怒られた。母は泣いていたが、おいらはよくわからずぽかんとしていた。

 クラスメートからのお褒めの言葉とは異なり、現実はおいらはただ痛みに苦しんでいただけだ。ファイルの記録からわかるのは、本当に頑張ったのはおいらではなくおいらの家族だった。毎日不安でたまらなかっただろうに、それでも気丈に振る舞っておいらを介助し、知人友人から輸血を募り、仕事をした。真のヒーローは家族なのである。ファイルの最後のページに1枚のレシートが挟まっていた。退院前日の夕方に買ったケーキのレシートのようだ。おそらく退院した日に家族でケーキを食べて祝ったのだろう。それはおいらと家族が長い苦しみから解放され、ヒーローから普通の家族に戻った瞬間だった。