ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

塵も積もれば山とならず

以前息子がある知能テストの問題を出してきた。どうやら学校で誰かに教わってきたようだ。その問題は、実際に有名企業の入社試験で出たらしい。その問題とは、「鶏を8ドルで仕入れて、一旦9ドルで売り、再び10ドルで買い戻して、11ドルで売った。ではいくらの儲けか?」というものであった。おいらは即2ドルの儲けと思ってしまったが、正解は2ドルの損なのだそうだ。その理由は、8ドルで買ったものを初めから11ドルで売れば3ドル儲けられたのに、実際は1ドルの儲けしかなっていないから(つまり、1ドル多く売って、1ドル多く買い戻し、1ドル多く売ったのでトータルで見ると1ドルの儲け)、2ドル損したということらしい。

 おいらは、この論理を何度息子に説明されても、後で自分で推敲しても、まるで理解できなかった。だって手元にあるお金は全体で2ドル増えているんじゃないの。1ドル儲ける取引を2回やったんだから2ドルの儲けでしょう。と、どうにも腑に落ちなかったのだ。だが、正解の考え方では、本来得られるはずのものを失ったという潜在的な損失と、1回買い戻したことによるコストの両方を、ちゃんと捉えられているという点で、もっとも優れた正解なのだそうだ。やはり一流企業の社員になるには、ずば抜けた柔軟性と多角的視点が必要なんだなと感心しつつも、いまだに答えの意味がよくわからないでいた。

 そこで別のことに例えて考えてみると、上記の答えの解釈とは異なるが、すっと腑に落ちるような理解ができた。例えば登山を考える。1000mの山を1回登り、一度下山して、もう一度同じ1000mの山を登ったとする。ではこの場合、登った山の高さは何mだろうか。単純に合計すれば2000mだが、それは2000mの山を登ったのとは全く別物である。2000mの山を登ることは、1000mの山を2回登ることよりはるかに難しい。おいらでも、入念にトレーニングをして挑めば1000mの山を登ることは全く不可能な話ではないかもしれない。しかし、2000mの山はどんなにトレーニングをしたところで、おいらには絶対に登れない山なのである。

 以前、病気やその治療での痛みレベルの話をした。痛みを最小の1から最大の10で相対的に評価するものだ。これも同じことが言える。痛みレベル10は気絶寸前の一生トラウマになるほどの激痛である。無麻酔で切開されるとか、カテーテルを数カ所同時に突き刺されるといった拷問級だ。一方、痛みレベル1は蚊が刺してかゆい程度の痛みである。では蚊に10回刺されたらトラウマになるか、といったらまずそんなことはない。これらの例からわかるのは、物事は単純に足し算できないということだ。つまり、いくら小さいことを積み重ねても大きなことと同質にはならないのだ。

 ふとおいらの普段の生活を振り返ると、週に何日か20分くらい英語を勉強してみたり、本読んでみたり、楽器を練習してみたり、インパクトのない論文を細々と書いてみたり、と小さいことを積み重ねてばかりだった。来週、スキー留学へと旅立った妻と息子に2ヶ月半ぶりに再会する。大きな夢と目標に向かってトレーニングに励んだ息子は、どんな風に成長したのかな。会うのが待ち遠しくて、今なら2000mの山も登れそうなほど軽い足取りで、二人のプレゼントを探しに出かけた休日となった。