ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

終末への安堵

大型連休の頃から、片足の股関節が痛くなった。やがて股関節をかばうように歩いているうちに、膝まで痛くなってきた。今では片足を引きずって歩くほどになってしまった。恐れている原因は2つある。一つは、関節軟骨が減少することによって骨同士が当たって痛む変形性股関節症である。しかしレントゲンを撮り診てもらった範囲では、その兆候は現れていなかった。もう一つの可能性は、大腿骨骨頭壊死である。これはプレドニンの長期大量服用によってごく稀に起こる症状で、名前の通り骨が壊死して潰れてしまう症状である。レントゲンでは、骨頭壊死かどうかは正確に判断できず、確実に診断するにはMRI検査が必要になる。

 しかし、おいらはペースメーカーを入れているためMRI検査を受けることはできない。今までその理由をよく理解していなかったが今回改めて主治医に尋ねたところ、ペースメーカー本体よりもリード線に問題があるとのことだった。 リード線はただの針金のようなものではなく、コイル状に外側に別の金属が巻かれているのだそうだ。ここにMRIの磁力を当てると、まるで電子レンジの中にいるかのように発熱し、リードに接触する部位が焼け焦げる恐れがあるそうだ。なんとも恐ろしい。もしそんなことになれば痛みもすごいだろうが、リード線が刺さった心筋が破壊され、一貫の終わりになるだろう。

 そのようなわけでMRI検査を受けられず、未だ骨頭壊死かどうかが分からないまま経過観察するだけの状況になっている。もし骨頭壊死になった場合には、人工関節に置き換える手術が必要になる。入院期間は3−4週間だそうだ。一般的にはさほどリスクの高い手術ではないだろうが、おいらの場合致命的になりうるほどリスクが高い。まず、ステロイド服用で免疫機能が抑制されているために、大量の出血を伴う手術には感染症のリスクがある。大した出血のない大腸ポリープの切除手術でさえ、その後感染症になり入院が長引いた。もし、細菌に感染しそれが血液内に蔓延すると、フォンタン手術によって埋め込んだ人工血管や癒着を防ぐゴアテックスのシート、ペースメーカーとリード線などの人工物に菌が付着し繁殖する可能性がある。人工物には血液が行き届かないため、いくら抗生物質を投与しても菌を退治することはできない。最終的にはそれら人工物を入れ替える必要が出てきてしまう。

 だが、感染症はまだ比較的可能性の低いリスクである。現実的においらにとって致命的になるのは、3−4週間ほとんどベッド上で過ごすことである。おいらの筋力は現状で日常生活をギリギリ送れる程度しかない。だから数日寝たきりの生活を送るだけで、そのはかない筋力が失われ完全に寝たきりになってしまう可能性が高いのだ。3年前に地獄入院を味わった時もそうした絶望的状況になったが、なんとか復活することができた。しかし、それが2度実現できる保証はない。

 絶望を乗り越えるためには、絶対に生きるという強い意思が必要である。どんなに恥を晒しても、身勝手で自己中心的な振る舞いをしようとも、がめつくしぶとく貪欲に生を求める意思である。おいらにそんな意思が残っているだろうか。正直なところ自分の心の奥底に、どこか人生への疲れのようなものを感じてしまっている。もっと言えば、終末が近づくことの安堵感すらある。そんな馬鹿げたことを考えるくらいなら、とりあえず今度の週末は大好きなかき氷を食べて、一旦頭を冷やすとしよう。

消滅の恐怖

20年近く前に読んだプリーモ・レーヴィの『アウシュヴィッツは終わらない―あるイタリア人生存者の考察』という本が、あまりに衝撃的で今でも記憶に残っている。著者は、本のタイトルの通り第二次世界大戦時のアウシュビッツ強制収容所を生き延び、その体験を事細かく正確に描写した。収容所内での残虐な行為も恐ろしかったが、人間性が徹底的に破壊されていくプロセスが何より恐ろしかった。特に印象深く今でも心に刺さっていることは、「人間にとって最も恐ろしいことは、自分自身のすべての存在・痕跡・記録を抹消されることである」というような言葉だった。すなわち、自分が死ぬだけでなく、自分のことを記憶しているすべての家族・友人・知人、自分が生きていた証、歴史、自分のすべての所有物を一切痕跡なく消されるということである。つまり、それはこの地球上の歴史の中で、自分が存在したことを証明できるものが一切なくなることなのだ。

 現代社会において、そこまで一人の人間を抹消することは極めて難しい。まず、子孫を残すという面においても、包括適応度という生物学理論にあるように、何らかの経路で自分の遺伝子が残る可能性が極めて高い。例えば、自分自身が子供を残さなくても、兄弟や従兄弟あるいはもっと遠い親戚が子孫を残していれば、ある程度自分と同じ遺伝子が受け継がれていくことになる。それに記憶や痕跡は、学校の友人や職場や近所の知人など様々な人々が自分の存在を認識しているであろう。あらゆる人間から隔絶した生き方をすることは、極めて困難である。

 とはいえ、レーヴィが言う自分の存在全てが消滅する恐怖は、現代を生きる人々にも少なからずあるような気がしてしまう。SNSを通じて自分の行動や体験を熱心に発信して他人と共有しようとしたり、友人や家族と毎日メールしたりするのは、消滅の恐怖から逃れようとする気持ちの表れかもしれない。あるいは、恋人や友人や家族がいないことに過剰なほど絶望的な気持ちになるのも恐怖を感じているのかもしれない。人間以外の生物にも、そうした孤独や消滅の恐怖を感じるものがいるのかはわからないが、人間ほどその恐怖に敏感な生物はいないであろう。

 先日凄まじい殺人事件が起き、未だ社会の動揺が収まらない。一切の同情の余地がない犯人に対し、少しでも擁護するような意見を言えば強い批判を受けるので慎重な言葉選びが必要であるが、この犯人も消滅の恐怖に怯えていたのかもしれないと思いもした。その反動で、自分の存在が記憶に残る究極の手段として無差別殺人を使ったとすれば、あまりにも虚しい。

 正直に言うと、おいら自身も、自分がちっぽけな存在で誰からも必要とされず自分の存在は無意味ではないか、と絶望的な気分になる時がときどきある。おいらには家族がいて働く場所もあるのに、なんて甘ったれなやつだと思われるだろう。おいらが絶望を感じたときは、心臓の音に耳を傾ける。弱々しく雑音も混ざったその音には、これまでおいらが関わった人々の想いがつまっており、おいらの人々への想いもこもっている。心臓は決して甘ったれることなく、自分の存在を証明し続けてくれている。

アリズミアは有りえんリズム

先日、再び不整脈が起きた。昨年10月と今年の3月は心房粗動だったが、今回はそれらとは様子が違った。脈は早くなかった。毎分70〜80拍ほどだった。しかし、胸が苦しく、体がだるく力が入らない。軽い吐き気もして食欲もなくなった。症状は夕方くらいから顕著になり、一晩寝れば落ち着くかと思ったが朝になっても変わらなかった。それでも、朝食を食べお弁当を持って職場に通勤した。

 おいらの職場は、とてもありがたいことにおいらが休めるようにとソファーを用意してくれている。少し疲れたり調子が良くないときはソファーに持たれかけて休むことができた。しかし、その日はソファーで休んでも一向に良くならず、仕事などとてもできる状態ではなくなった。喉もやたらと乾いた。温かいお茶を飲んで少し安らいだものの、誰の目から見ても顔色が悪く、普段の調子悪いおいらと比べてもさらに悪そうだった。

 それでもおいらは不整脈なのかどうか確信が持てず、病院に行くのをためらってしまっていた。それは、病院に行けば1日がかりの治療になり、家族に負担をかけてしまうのが申し訳なかったからだ。それに、何度も電気ショックを受けるのが不安でもあった。過去の経験では、何度もやりすぎて電気ショックが効かなくなり、受けた翌日に不整脈が再発するようになったため、再びそうなりそうで怖かった。ようやく覚悟を決めて病院に電話すると、案の定すぐに来るようにと主治医から指示を受けた。妻に送ってもらい、救急外来で診察と検査を始めると、やはり不整脈なので電気ショックをすることになった。

 電気ショックを受けるまでの待ち時間、心電図モニターをつけてベッドで寝ていた。その場に及んでも嫌だなと憂鬱な気分だった。その時、モニターから今まで聞いたことのない心拍のリズムが聞こえてきた。楽器を習いたての初心者でも、いやむしろ一流のプロミュージシャンでも出せない不規則なビートだった。おいらはさっきまでの不安も気分の悪さも吹っ飛び、あまりの面白さに携帯電話でその音を録音しまくった。他の雑音が入ってなかなかきれいに録音できなかったが、比較的きれいに録れた一つを記念にアップしておこう。

 おいらは以前から複雑なポリリズムの音楽を聴くのが好きなのだが、自分の内なる部分にこんな未知のリズムが隠れていたとは、とても感動的な発見だった。そんなおいらの気持ちに応えるかのように、心臓くんはますますバキバキに乱れてくれていた。

TCPCフォンタンにおける遠隔期障害と死亡の関係

前回と似た別の論文を見つけたので紹介したい。

Kotani, Y et al. 2018. Fontan failure and death in contemporary fontan circulation: analysis from the last two decades. The Annals of thoracic surgery 105: 1240-1247.

 

トロント小児病院で、1985年から2012年にかけてTCPCフォンタン術を受けた500人の患者(心外326, 側方トンネル174)の死亡率とフォンタン障害・合併症の発生率の関係を分析した。 結果:早期死亡23名(4.6%)、後期死亡17名(3.4%)。死亡患者の多くは2000年以前に手術を受けた患者であった。特に早期死亡に関しては、2000年以降一例も見られていない。早期死亡の23人は、心室機能障害14、肺血管機能障害4、血栓塞栓症2、不整脈4といったフォンタン障害が原因だった。後期死亡は、これらの障害に加え、蛋白漏出性胃腸症(1名)、鋳型気管支炎(1名)、突然死(4名)などがある。 一方、生存者の48%もフォンタン障害・合併症を発症していたが、そうしたフォンタン障害・合併症の回避年数(発症しないでいられる年数)は死亡患者と比べはるかに長かった。

結論:フォンタン術後の早期死亡は克服された。しかし、後期死亡の発生率と原因は時代を経ても変わっていない。すなわち、フォンタン障害・合併症を予防し治療する技術が確立しなければ、後期死亡率は下がらない。 おいらの解釈 先日紹介した福岡市立こども病院の事例よりも、さらに深刻な結果になっていた。フォンタン術を受けた人の半数近くがのちに障害や合併症を発症しており、それらの障害や合併症はその後の生存率に大きく影響を与えた。フォンタン術後症候群が小児慢性特定疾患に登録されたように、フォンタン術後の予後不良はかなり深刻な問題として認識され始めている。もはやフォンタン=最高の手術とは言えなくなった。

 フォンタンに対して悲観的な話が続いてしまい申し訳ない。おいらの世代は、大人になってフォンタン術後症候群になるなんて全く想像すらしなかったが、現在ならフォンタン術後の情報が蓄積している。それは将来を予測し、先手を打って対策を立てられるということでもある。だから、これからフォンタンを受ける予定の方、あるいはすでに受けた子供達は、どうか勇気と希望を持ってフォンタンに挑んで欲しい。

単一の病院における心外導管型フォンタン術患者500人の予後

久しぶりに論文紹介をしよう。それほど目新しい研究内容ではないが、日本国内の病院がこれほど多数のフォンタン患者を追跡調査した研究成果は珍しい。

 

Nakano, T et al. 2015. Results of extracardiac conduit total cavopulmonary connection in 500 patients. European Journal of Cardio-Thoracic Surgery 48: 825–832

福岡市立こども病院で、1994年3月から2014年3月の間に、500人の患者(平均年齢3.4歳)が心外導管型フォンタン術を受けた。この論文では、術後短期から中期的な、死亡率、合併症等の発症率、血行動態、心肺運動能力および肝検査を追跡調査した。

結果:500人中死亡19名、生存率は10年で96.2%、15年で92.8%。徐脈性不整脈および頻脈性不整脈はそれぞれ19人および13人発生した。8人にタンパク漏出性胃腸症、5人に血栓塞栓症、6人に出血性合併症、1人に肝硬変が見られた。心肺運動負荷試験により、最高酸素摂取量(peak VO2)は健常者の84.9%で、年齢とともに低下した。カテーテル検査の結果では、中心静脈圧9.9mmHg(正常8mmHg以下)、心室拡張末期圧5.2mmHg(正常8mmHg以下)、心係数3.4(正常2.6~4.2L/min/m2)、血中酸素飽和度94.2%を示した。肝臓超音波検査では、43%の患者に肝臓内に肝繊維化の兆候である斑点が見られた。以上の結果から、全体として心外導管型フォンタン術患者の死亡率や合併症発生率は低く良い状態が保たれていると言える。

 

ここからは、おいらの解釈である。心外導管型フォンタン術は、現在最も主流なフォンタン術であり、おいらが子供の頃受けたAPCフォンタン術は全く行われなくなり、その後に改良された側方トンネル型フォンタン術も数少なくなった。海外の多くの先行研究によく見られるように、この論文でもそうした過去の遺産的フォンタン術と比較して心外導管型フォンタン術の優位性を主張している。確かに心外導管型フォンタン術は心臓の負担が少なく、長期的予後も良いだろう。しかし、現代に生きる心疾患の子供たちにとって心外導管型フォンタン術が基本であり、過去の術式と比較して良いと言われてもなんのありがたみもない。心外導管型フォンタン術によって、成人まで生きることは容易になったが、合併症の発生リスクは今だに高い(この研究でも、15歳までに18%の患者が何らかの合併症を発症している)。それでは、患者本人も家族も安心できないのである。

 論文では、健康な状態をより長期的に維持する手段についても議論されている。カテーテル検査を含めた定期的な経過観察を続けること、抗凝固薬、利尿薬、肺血管拡張薬等の薬物治療を生涯にわたって慎重に行うこと、運動をして筋肉や骨を鍛えること、食事等の生活習慣も良いものにすること、だそうだ。ちなみにおいらはこれら全てを怠り、30代後半にフォンタン術後症候群が発症した。つまり、この論文の模範的な反面教師となったわけである。これからの子供たちには、どうかフォンタン術後も合併症がなく生きられる道が開けてほしい。

崩壊後の時代

平成元年、おいらは最初のフォンタン手術を受けた。術後は、動脈と静脈が綺麗に分けられ、酸素をたっぷり含んだ動脈血が全身にくまなく行き渡るようになった。溢れるほどの酸素に、体は最初戸惑いを隠せず拒絶的反応すら見せた。だがやがて、その豊富な酸素を後ろ盾に細胞が活気付き、これまでは抑えていた機能を発揮するようになった。時には走り山を登り、灼熱の炎天下を何時間も耐え、重たい荷物を担いで都心の人混みの中を何キロも歩くことさえできた。臓器たちも疲れを知らず働いた。消化管はどんな食べ物を好きなだけ食べても見事に分解し、利尿剤など飲まなくとも腎臓は尿を効率的に排出し、肝臓はアルコールだろうがなんだろうが解毒した。脳は冴え渡り、難解な方程式をスラスラと解き、集中すると食事も忘れ一日中研究に没頭することも稀ではなかった。おいらにとって平成は、革命的な循環器系を得て生き方が一変した時代だった。

 それから四半世紀が過ぎ平成が晩年に近づく頃、おいらの循環器系は崩壊した。不整脈が発生し、全身に血液を思うように送り出せなくなった。一度潤沢な酸素を経験した体は不満が収まらず、臓器は機能不全を起こすようになった。特に腎臓肝臓消化管といった血液を大量に消費する器官は深刻な血液不足に陥り、フォンタン術後症候群と呼ばれる一連の合併症を発症した。フォンタン手術によって、全身の細胞に酸素を充分に供給できるようになったことは、まさに画期的であり革命的である。しかしそのシステムは完璧ではなく、崩壊するリスクを含んでいた。そして一度崩壊すると、そのシステムにどっぷり依存した体は耐えられず、酸素が少なかった前時代よりも体調が不安定になってしまった。

 これはおいら個人の体験に過ぎないが、平成をよりグローバルな視点で見ても似たような傾向が見て取れる。平成はIT革命の時代であり、それにより世界中の人々の生き方が一変した。それ以前は、本や新聞や直接体験したことなど、限られた範囲からしか情報を得ることができなかった。インターネットによって、誰でも簡単にあらゆる情報を得ることができるようになった。溢れる情報に人々は戸惑いつつも、今では生活の多くをネットに依存し何をするにもネットから情報を引き出すようになった。より美味しいもの、より面白く刺激的な体験を検索し、実際体験できるようになった。

 ネットシステムも、おいらの循環器系のように崩壊する時がくるのかはわからない。ネットには心臓のような中枢器官がない。しかしもしネット社会の崩壊が訪れたとしても、おいらのちっぽけな体験から言えることは、それでも生きていける希望があるということだ。もっと言えば、崩壊後の世界も生き方が変わるだけで、そこには別の幸せや楽しみがあるのだ。今は人並みに動くことができなくなり、好きに飲食をできなくなったが、毎日飲む一杯の紅茶にも幸せを感じられるようになった。明日からの新年号時代でおいらは最期を迎えるだろう。最期の瞬間も幸せを感じられる時代であってほしい。

愛する島

おいらの住む南の島では、早くも蒸し暑くなりエアコンを使い始めた。こうなると冷たい物が恋しくなり、スーパーに買い物に行くたびにアイスを買う誘惑に駆られてしまう。しかし、まだ夏までは先が長く、今からアイスを買っていては夏場が思いやられる。それにそもそも、おいらはアイスを気軽に買えるご身分ではないのだ。今は比較的体調が安定しているものの、それは毎日1万円以上の医療費をかけて成り立っている見せかけの健康であり、ちょっとした油断で途端に体調を崩してしまう危険がある。アイスを好き放題食べてお腹を壊して、PLEを再発させたりなんかしたら、それこそ家族や主治医やそして社会に面目が立たない。

 個別のアイスは一つ一つが大きいので食べるのは危険だし、かといって一個が小さい箱アイスでも数が多いだけに結局毎日食べかねない。そんなわけで、今のところアイスの誘惑は振り切っている。おいらが買わないがために、かわいそうだけど息子もアイスにありつけない。息子の分だけ買えばいいのかもしれないが、息子は息子で最近ちょっとぽちゃっとしてきたので、別の意味でアイスを与えるのは気が引けてしまう。

 しかしこの島は、特別アイスの誘惑が強い。まずスーパーのアイスを見ても、島ローカルのアイスが多い上、この時期になるとおいらの一番好きなかき氷系氷菓が出始めている。例えば、昨年の猛暑で売り切れ状態になったサクレレモンが、先日もう販売していた。不思議なことに、島では昨年の夏も品薄にならず常に販売されていたため、おいらは何度も誘惑に負けてしまっていた。この他にも、シークワーサーシャーベットだとか、氷ぜんざい風アイスだとか、魅力的な商品がずらりと並んでいる。

 これだけではない。アメリカ生まれ島育ちと謳うアイス専門店があり、これがめちゃくちゃ美味しい。パッションフルーツ、マンゴー、パイナップル、シークワーサー、紅芋、ココナッツなど、島ならではのフレーバーがラインアップしているのだ。他にも、老舗洋菓子店のアイスキャンディーが素朴な懐かしい味わいな上、原材料も安心安全なものばかりで罪悪感を一切感じさせない逸品である。さらに、島の海沿いの幹線道路ではアイスクリンという路上販売をよく見かける。アイスクリンの路上販売は、暑い晴れた日にオアシスのように見えるのだ。あ、忘れてはいけないのがぜんざい。ぜんざいとは、、、と永遠にアイス話が続いてしまうのでこのあたりでやめておこう。

 この島は逃げることのできないアイスの誘惑で満ち溢れている。恐ろしいのは目前に迫った連休だ。休みで出かける機会も多いだろうし、休日で気が緩んでいる。史上最長の連休をアイスに手を染めずに乗り切れるだろうか。先に言っちゃうと、ごめんなさい。絶対無理。こうしてアイスについて書きまくったから、すでにもう今すぐ食べたい。なんなら上に紹介したアイス全部食べちゃうかも。ゴールデンアイスウィーク!