ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

心臓が教えてくれる

前回自分なりの経験に基づく教訓を紹介したので、今回ももう一つそんな教訓についてお話ししたい。

 自分に迫る危機や困難がどのくらい深刻なのかはなかなかわからない。それは頭で思っているよりも実際はもっと深刻だったりそうでもなかったりする。しかし、おいらの心臓は、身に迫る危機を頭以上に正確に感じ取ることができるのだ。

 例えば、仕事などでいろいろな締切に追われることがある。いくつもの締切ごとを抱えていると気持ちは焦ってくる。そういう場合、まず冷静になってどういうスケジュールで仕事を片付けていくか計画を立てる。計画の見通しができさえすれば、あとは焦らずに計画通り仕事を勧めていけばよい。もう締め切りなんて怖くない。余裕だなんて思ったりする。ところが、たいていスケジュール通りには進まない。頭で、スケジュールに余裕があると思うと、新たに別の予定を入れてしまったり、違うことを始めてしまったり、先延ばしにしてしまう。あるいは体調を崩したり、急な用事が入ったりしてしまうことある。そして気づけば、締切ギリギリになって全然終わっていないという事態に陥る。結局頭で考えた計画やゆとりなどほとんど信用できないのである。頭では、締切が迫っていることをそれほど深刻に捉えていなくても、実際はかなり危機的なことになっていることがしばしばあるのである。

 しかし、こういうときおいらの心臓は、極めて敏感に危機を感じ取ってくれる。頭ではまだ間に合うかななんておもっている時でも、なぜか心臓はドキドキと動悸がして焦り始める。事態が深刻になればなるほど、心臓は不整脈でもなったかのごとくバクバクと脈打つのだ。それは、締切がまだ一週間とかもっと先にあって全然間に合いそうなときでも、心臓が危機と感じればドキドキし始める。こうしておいらは、事の重大さ、深刻さに気づくことができ、何度も心臓に救われたことがある。なぜ心臓が正確に危機を感じ取ることができるのか理由はわからないが、おいらの心臓は健常な人よりずっと余裕がなく普段から全力に近いパワーで動いている。だから、ちょっとでも無理をしないといけないという状況になると、どの器官よりもいち早く焦り始めるのかもしれない。

 締切だけでなく、瞬間的に差し迫る危機にも心臓は強く反応する。たとえば、危ないものが自分の方向へ急に飛んできたり落ちてきたりしたとき、心臓はズキッーーと締め付けられる。転びそうになったり、高いところから落ちそうになったりしたときもそうだ。それから、怖そうな人と目を合わせてしまったり、ふと重大な過ちを犯していることに気づいたり、忘れ物をしたことに気づいたりしたときも、心臓はくうーーと締め付けられる。まあ、これらはおいらだけでなく多くの人がそうかもしれないが。

 今おいらは2つ締切ごとを抱えている。どちらもまだ一週間以上先で、2つなんてたいしたことはないのだが、どちらもそれなりに時間のかかる仕事だ。ほかにも締切はないものの、研究の論文を書いたりとなるべく早く進めないといけないことがある。幸いにもおいらの心臓はまだドキドキしていない。とりあえず、まだゆとりはありそうだ。とはいえ、余裕こいてこんなふうにブログ書いたりして現実逃避していると、心臓が焦り始めるだろう。今のおいらの心臓は以前よりさらにゆとりがない。心臓が焦り負担が大きくなれば、それを引き金に一気に体調がくずれ、最悪また入院ということも大いにあり得るのだ。だから、心臓がドキドキし始める前に、仕事を片付けたいと思う。心臓よ、これからもおいらに危機を教えておくれ。