ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

医者が望む理想の患者

今日は山田倫太郎くんの「患者が望む理想の医者:8か条」について、おいらなりのひねくれ解釈をしてみよう。彼は、先天性の複雑心奇形を持ち、たびたび手術を受けながら今も闘病を続ける中学生である。山田くんと8か条については、日テレの24時間テレビで紹介され、本も出版されているので、ご存知の方も多いだろう。これをいうとおいらのことがいろいろばれてしまうが、実はおいらは彼と同じ病院にかかっていて、時々外来で見かけることがある。といっても、特に話しかけたりすることはなく、面識はない。

 彼の8か条は、先天性心疾患の患者に限らず、全ての患者に当てはまることだろう。とくに、彼やおいらのように、度重なる長期入院を経験しているものにとっては、切実にまさにその通りと思うものばかりの8か条である。彼の8か条は、患者視点で患者から医者に向けて述べている。そこで、おいらはこれを逆に解釈してみることにした。つまり、医者視点で医者から患者に向けての8か条に解釈し直してみたのだ。それでは早速、そのひねくれ解釈を説明したい。

 

第1条:医者というのは、患者さんの病気だけを見ていれば良いというものではない。

 

これを逆に解釈すると、「患者というのは、医者に病気だけを診てもらえばいいというものではない。」ということになろうか。病気は複合的な要因で生じるものである。だから、病気そのものからくる痛みや苦しみだけを伝えていても、病気は治るものではない。食事、日常生活、精神状態、家族や知人との人間関係など時には赤裸々に話す必要もある。いくら薬や治療で痛みを抑えても、ろくな食生活をしていてはすぐに再発してしまう。どのような食事をすべきかなどよく相談する必要がある。まずい病院食がいやで隠れてカップ麺などを食べている患者も多い。それを正直に話すのは後ろめたいならば、むしろ遠慮なく食事をおいしくしてもらうよう求めるのだ。長引く治療や入院で、精神が不安になったりストレスを感じていれば、それも遠慮なく伝えるべきである。医者の判断材料を、検査結果の数値だけにしていてはだめだということだ。数値には表れない、体や心の状態も伝えることが大切である。

 

第2条;患者さんは、誰もが、自分の受ける治療や検査等に、不安を抱えている。

 

これを逆にすると、「医者は、誰もが、自分が行う治療や検査等に、不安を抱えている(完全な自信はない)。」ドクターXのように、完璧な自信を持つ医者などまずいないのだ。とくに、先天性心疾患のような難病の場合には、治療方針が確立していなかったり、先行事例がなかったりして、どのような治療が最適か答えがない場合も多い。当然、治療も手探りになる。だからときには、効果がなかったり悪化しさえする。恐ろしいようだが、そのことは肝に銘じておいた方がいい。

 

第3条:患者さんは、いつ苦しみ出すか分からない。

 

医者も、いつ苦しみ出すかわからない。これは医者も病気になるという意味ではなく、医者も治療が定まらず悩むことがあるという意味だ。患者に自信のない顔を見せる医者は頼りがいがなく不安だが、もし患者側にゆとりがあれば、そういうときは相談し合ってお互いに納得いく治療方針を探っていくしかない。患者とよく話すことで、医者の方も楽になることもあるだろう。

 

第4条:入院している患者さんにも自分の生活がある。

 

医者にも、自分の生活がある。これは文字通りで、医者も家族がいて休日がある。今日は休みで病院にいないからとせめてはいけない。それから、患者が入院中も自分の生活を維持したいのであれば、それも正直に相談したらいい。たとえば、夜中の検温は睡眠の妨げになるからやめてほしいとか、指につけるサチュレーションモニターはうっとおしいとか。意外と聞いてくれるものである。

 

第5条:入院している患者さんにとって、ベットは我が家のようなものだ。

 

だから、医者や看護師はカーテンのしまった患者のベットを訪ねるときは、それなりに気を使っているはずである。他人の家に入るもののようだからだ。時には着替え中などで、都合が悪い場合もある。そのときは出直す訳だが、すぐにまた押し掛けては迷惑と思われるだろうし、どのくらい時間が経ったら出直していいか悩みどころである。そうしているうちにも、別の患者の診察などがあり、いつの間にか数時間経過していることもある。そんなことはおかまいなく、おいらのようなモンスター患者は、なかなか訪ねてきてくれないとイラついてしまう。やはりこういうときも、看護師さんなどを通して、また来てもらえるか伝えたら良い。

 

第6条:患者や、患者の家族は、手術や検査の結果を心待ちにしている。

 

だから、結果がでたらすぐに持ってきてくれるのが望ましいが、現実的にはなかなかそうならない。血液検査の結果が翌日になっても持ってきてくれないことも多々ある。おいらはその度にイライラしてしまうが、医者も人間で忘れることがあると思ってしつこく結果を要求していくしかない。医者が結果を持ってきやすくする一つの方法として、持ってきてくれるたときはオーバーなほどうれしさを表現するのはいいかもしれない。人にプレゼントをあげたとき、すごく喜んでもらえたらまたあげたくなる。料理を作って、とてもおいしそうに食べてくれたら、今度はもっとおいしいものを作ってあげたくなる。逆に、そういうリアクションがないと、やりがいがなくなる。検査結果も、いい結果であれ悪い結果であれ、持ってきてくれた喜びを伝えられるとよい。

 

第7条:患者さんとの関係は、治療が終わればおしまいという訳ではない。

 

医者との関係も、治療が終わればおしまいという訳ではない。たいていの患者は、病気が治れば医者や病院と疎遠になる。しかし、先天性心疾患のような難病は、治療は永遠につづく。だから、手術などで一時劇的に回復して、病気が治ったように感じても、その後の定期検診などを怠ってはいけない。おいらは、それを怠り、子供の頃の最後の手術から二十数年診察を受けずにいたため、その後手遅れなほど合併症が進んでしまった苦い教訓がある。

 

第8条:医者はどんな状況でも諦めてはならない。

 

患者もどんな状況でも諦めてはならない。おいらは、地獄入院のときなどでとてもつらいとき、もう死にたいと思ったりしていたので、こんなこといえる立場じゃないが、やはり諦めたら病気は一気に進行する。患者側も治療に向けて、日々努力を惜しまないことだ。とはいえ、苦行のようにつらい治療やまずい食事などを我慢して続けていては、精神が持たずそれはそれで病気に悪い影響がある。自分にとってもなるべく苦しまず、継続できる範囲で努力するのが良いと思う。そしてどうやっても治療がうまくいかず、もう手を尽くしたと覚悟したときは、残された時間をどう生きるか考えたらいい。それは、生きることを諦めたことにはならない。

 おいらは、幸運にも地獄入院後は治療が効をそうして、今は順調に回復している。しかし、いつかまた下降に転じるだろう。そのときはもう回復できないかもしれないと覚悟している。自分の寿命が人ほど長くはないことも覚悟した。でも、息子が成人するまでは生きたい。それまでの時間をどう生きるか、日々考えている。

 おいらのひねくれ解釈をまとめると、医者と患者はよき同士であるべきだということだ。病気の治療は、両者の信頼と協力関係によって成り立ち、どちらか一方だけが頑張ったり、闘うものではない。治療のことは医者に任せたでは、実は医者も困ってしまうのである。多少うっとうしく感じられようとも、患者も積極的に治療方針に口を出していくくらいがいい。そのことを実感したエピソードはまたいつかお話ししたい。