ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

ステロイドに蝕まれた末路

気が重い地獄入院の話を再開しよう。

これまでの流れを簡単におさらいすると、新年早々に貧血のためNC病院へ緊急入院。内視鏡検査のためSD病院へすぐに転院し、検査後消化管出血が原因と判明。一旦NC病院にもどるも再検査のため再びSD病院に転院。消化管出血がさらに悪化。吐き気腹痛に苦しみ、食事もまともにとれず絶食や激マズ栄養ドリンクばかりの寝たきり生活で、体力筋力が衰え、病状は悪くなる一方。死を覚悟する。怒りの懇願のすえNC病院に戻る。食事が再開し、甘酒ドリンク効果もありようやく回復の兆しがでてくる。

 ここまでで約2ヶ月が経過した。しかし、地獄はまだ終わらなかった。おいらを腰痛とその後に続く腰椎圧迫骨折が襲ったのである。もしこれらがなければ、地獄入院はもっと早くおわり地獄というほどまではならなかっただろう。腰痛と骨折により、おいらはほとんどベッド上から動くことができなくなり、ちょっとした寝返りですら痛みに苦しむこととなった。腰痛はすでにSD病院に入院中に軽く発症していた。しかしまだ軽い状態だったので、歩いたり座ったりもできた。痛みのレベルも低く最大を10とすると3か4だった。看護師さんからはよく、痛みレベルが最大を10とするとどのくらいですかと聞かれた。実はこれが意外と難しい。10をどこに設定するかによるからだ。10を死ぬレベルとするのか我慢できる最大とするのか。普段生物の研究で、定量化を厳密に定義することが習慣になっているのがこういうところで仇となる。おそらくはもっと大雑把でいいのだろう。

 入院が始まって2ヶ月半が経った頃。ちょうど久しぶりの天国のような一時外泊の数日後のことだった。ちょっと床に物を置こうとしてかがんだときに、バキッと強く腰を痛めたのだった。このときの痛みレベルは6。その後は歩くことができず車いす生活になった。そしてさらにその10日後、ベッド上で座っていたら今までとは違う痛みがじわじわと襲ってきた。腰椎が直接痛みだし、すぐに横になったが痛みがどんどん強くなっていった。痛みレベルは8か9ほどに達した。呼吸するだけで痛かった。早速形成外科の先生が来てCT検査をした結果、腰椎圧迫骨折だった。骨折の原因はPLE治療のためのステロイド薬の長期服用による副作用である。あらかじめそうした副作用がでる可能性があることは説明されていたが、まさか本当になるとは思わなかった。圧迫骨折が判明した日、自宅にいる妻に報告すると絶望のあまり妻は泣いた。おいらは当事者なのになんだか他人事のような訳がわからない心境だった。ただ何となく落ちるところまで落ちてしまったのかなと漠然と思った。

 その日から起き上がることはもちろん、寝返りすらできないほどベッド上で動けなくなってしまった。さっそく、腰を固定するコルセットを注文した。コルセットはオーダーメイドで、体のサイズを測り一週間程度でできあがった。その間完全に寝たきりで、ほんのわずかにベッドを起こすだけが許された。食事も排泄も洗髪も体拭きも、何から何まで横になったままやった。

 NC病院にはリハビリ科があり、二度目に戻ってきてから筋力トレーニングのためリハビリを受けていた。その頃は歩くことができたので、トレーニングルームでストレッチしたり、階段上り下りをしたり、後方歩行をやったりした。またベッド上や病室でできるトレーニング方法を教えてもらい、それを日々実践した。トレーニングの療養士さんは、自らスパルタだといった。実際、かなり痛くてもびしびしと鍛えられた。日々のトレーニングを怠けるとすぐに見破られた。圧迫骨折がおきるとこうしたトレーニングはほとんどできなくなったが、スパルタ先生はさらにスパルタになった。コルセットが届くまでは絶対安静だったが、コルセットが来てからはリハビリが再開された。コルセットをつけていても、ベッドから起き上がるだけで強烈に痛かった。ベッドを最大限に起こしてそこから上半身を起き上がらせ座るのだが、まずベッドを起こす途中で痛みが走った。おそるおそるギリギリゲームのようにベッドを1cmずつ小刻みに起こし、痛みが走りそうになるとちょっと戻したりを行き来した。スパルタ先生は、コルセットをつけていればどんなに痛くても絶対圧迫骨折が酷くなることはないといって、ベッドから起き上がりそこから立ち上がる練習をさせた。あるときは、立ち上がる途中で凄まじい痛みが走り、なんとか座り直してひいーーーと悲鳴をあげ続けた。それでもスパルタ先生は、「ほら、痛みはおさまってきたでしょう。もし骨折が起きていれば痛みは強まるはずだから大丈夫」といって、もだえるおいらに喝を入れた。

 だがこのスパルタトレーニングがなければ、今もおいらは動けなかっただろう。後で聞くとおいらは一生寝たきりになる寸前だったそうだ。2度目の腰痛と圧迫骨折により、おいらの筋力は激減してしまっていた。手足はがりがりになり、腹水のためお腹だけがふくれ、飢餓に苦しむ人々のような姿だった。体がとんでもなく重く感じられ、腕で体を起こすことも、足だけで立つこともできなくなった。トレーニングは、退院するまで続いた。起き上がり、立ち上がり、歩行器を使っての歩行。退院するときはなんとか両手で杖を使えば歩行できるまでになった。しかし、まだ床や低い椅子に座ることやそこから立ち上がることはできず、家に帰ってもある程度高いベッドや椅子に座って立ち上がる生活が続いた。便座も低すぎるので、座高を高くするアタッチメントや手すりをつけた。テーブルなど何かにつかまりながら床に座れるようになったのが退院後2ヶ月が経過した頃。最近ようやく何もつかまらずに床に座ったり立ったりできるようになった。それまではずっと立つしかなく、床がすごく遠くに感じられた。座りたいのに座れない、触ることもできない。家は畳なので、畳の上に寝転ぶ妻や子供がうらやましかった。夏だったのでひんやりした畳の上をゴロゴロできたらなんて気持ちいいだろうと想像した。片思いの相手のように、床を遠くいとおしく恋いこがれた。

 腰痛や圧迫骨折とは別に、もう一つおいらを苦しめることが起きた。昨年の手術痕が再び化膿したのだった。手術痕の化膿は、これまでに手術の後すぐそのご退院して一ヶ月後と2度すでに起きていた。今回が3度目だった。原因は細菌の感染だった。これもまた免疫機能を低下させるステロイドの副作用の一つである。PLEの治療にはステロイドは極めてよく効く。前回の記事で書いたように、おいらもこれまでに何度もステロイドで回復してきた。しかし、ステロイドは強い副作用のある大変危険な薬物である。だからできる限り量を減らし離脱を目指さなくてはいけない。ステロイドを3年以上長期服用をしたおいらの体は相当蝕まれていたのだろう。すぐにでも減らしたいが、急激な減量はかえって副作用が強く、PLEも悪化する。副作用を覚悟しつつ少しずつ減らしていくしかないのだ。一度手を付けたらやめられないステロイド。しかし、この禁断の毒薬に変わるPLEの治療法は今のところほぼない。

 手術痕化膿の治療は、化膿部の切開と膿みの吸引、抗生剤の長期服用からなる。しかしこれらの治療により、新たな痛みと腎機能の低下に苦しむことになった。ステロイドの代償はとてつもなく大きかった。その詳細はまた次の機会に話したい。今日のところはここまで。