ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

艦砲ぬ喰ぇーぬくさー

かつてない猛烈な台風が南の島を上陸しようとしていた。その台風が来ることはだいぶ前からわかっていた。すでに太平洋のあちこちの島で同じ台風に襲われていたからだ。その島に来る直前も小笠原南方の硫黄島でやはり壊滅的被害を受けていた。島の周囲には、黒々とした波が海面を埋め尽くすほど無数に散らばっていた。さらに上陸前だというのに、島の地形が変わるほどに雨が降り注いだ。雨で濡れた陸上は赤く染まっていった。  

 そして、ついに朝方台風が上陸し始めた。当初は島の南側から上陸すると予想していたが、予想に反し西海岸から上陸した。人々はなすすべもなく暴風雨の中を逃げ惑った。雨風をしのごうと島のあちこちに洞穴を作って身を隠していたが、雨は容赦なくその中まで入ってきた。人々は台風に負けじと懸命に戦ったが、ろくな装備もない中とても敵う相手ではなかった。  

 結局、暴風雨は3ヶ月近く続いた。嵐と戦うため、女子供も関係なくほとんどの島民が駆り出され、そして悲惨なことに多くの人々が犠牲になった。生き残った者にとっても、その光景は地獄だった。地上のほとんどの建物は吹き飛ばされ、森や山も削られた。残ったのは残骸と犠牲者の山だった。しかし、それでも、生き残った人々はめげずに明るく希望を持って生きてきた。  

 お分かりの通り、これは今から70年以上前のある戦いを例えたものである。タイトルは、そうした戦中戦後の人々の様子を唄ったヒット曲だ。おいらを含め、現在の人々の多くはその当時を理解していない。今ならインターネットでその時の様子を写した写真や文がいくらでも見られる。しかし、おいらは臆病なのでそれすら恐ろしくて見ることができない。本当興味があっても、その常軌を逸した地獄は直視できないのだ。  

 それと比較するものではないが、障害者の状況を理解することもまたなかなか辛いことであろう。知りたくない気持ちになっても仕方がないように思う。悲惨な現実は知るべきことであるが、知るのは辛い。おいらはそういう感情を抱いてしまうことは差別的とは思わない。それを克服する方法は、多分少しずつ知って慣れていくしかないだろう。おいらも病気持ちだからといって、たとえ痛い目や苦しい目に会おうと、時に差別を受けようとめげず生きていきたい。そのためにも、辛い悲惨な歴史を学んでいくのだ。