ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

二度と繰り返してはいけない世界

おいらが住む南の島は、太平洋戦争時に最後の激戦地となったところだ。先日その慰霊の日があった。その日おいらは、息子と一緒に近くのプールに出かけた。その前日に梅雨明けしたばかりで、夏の始まりという暑い日だった。72年前もこの日に梅雨明けしたらしい。戦闘は終結し地獄が終わったかに思えたが、今度は蒸し暑さが襲い犠牲者の腐敗によってさらに地獄の様相が増した事であろう。

 一方現在のおいら達は、暑い中のプールは最高に気持ちが良かった。水温は31度とちょうどよく、いつまでも入っていられそうだった。おいらと息子は時間を忘れ水の中で浮かんでおり、気づけば一時間半近くも浸かっていた。そして帰りには、コンビニに寄ってアイスを買い、涼しい車内で二人で幸せいっぱいにほうばった。さすがにプールに浸かりすぎたためか、夜はだるくなって疲れたが、それもまた心地よい疲れだった。至福の1日だった。

 だが、ふと72年前を思うと、その当時この島に生きていた数十万人々は誰一人として、こんなに心地よい状態ではなかっただろう。プールに行きアイスを食べるなど、今では当たり前にできることも72年前は不可能だった。それどころか、猛烈な弾丸や火や爆発が襲い続け、灼熱地獄の中食べるものも飲むものもなく、常に命の危険を感じながら、生きていたことだろう。その地獄絵図は、のんきにプールに浮かんでアイスをほうばるおいらにはとても想像できるものではなない。それと比較できるものではないが、一年前のおいらの地獄入院の時も、いつかプールに入りアイスをほうばれるようになるとはとても想像できなかった。毎日ベッドに横たわって、苦しみながらほとんど何も口にできず死んでいくのだろうと思っていた。もう、一年前の地獄には二度と戻りたくない。そして、72年前のこの島の地獄は、おいらの地獄入院よりも何千何万倍も苦しかったはずだ。おいらは鼻くそほどの地獄しか味わってはいないが、それでも地獄は二度と繰り返してはいけないし、誰も経験してはいけないものだと強く思うのである。