ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

鳥になりたい

日本最大の湖、琵琶湖。その湖で、毎年鳥を夢見て人々が熱い挑戦を繰り広げている大会がある。鳥人間コンテストは、おいらが子供の頃毎年楽しみにしていた番組だった。いつの時か、ついに琵琶湖対岸まで飛行して飛行距離の限界に到達するまではよく見ていた。湖面すれすれを飛びながら、なんとか持ちこたえて低空飛行を続ける人力飛行機の姿は、とてもハラハラした。飛行機のペダルを漕ぐ操縦士の苦しそうな様子が、また緊張感を高めた。落ちそうで落ちない、なんども水面につきそうになりながらそのたびに少し浮上して飛行するスリルがたまらなかった。そして、いよいよ体力の限界が来ると、操縦士は最後の力をふりしぼってペダルを漕ぎ、少し浮上したかと思うとすぐに失速して着水するのだった。着水して崩れ落ちる飛行機の姿が、まるで事切れて息絶えた人のように見えた。

 この一年、おいらの体調は、琵琶湖面を滑空する人力飛行機のようだった。徐々に血中タンパク濃度が落ち込んで行き、いずれ限界に達するのは見えていた。それでも、何度か持ち直したりした。貧血も同時に進行したが、途中鉄剤の投与を始めたことで回復した。6月ごろからは、血中アルブミン量が3前半に落ち込み、いつ入院してもおかしくない状態が続いた。毎月の検査でその値は確実に少しずつ低下していった。だがおいら自身は、粘れると思った。体調は決して悪くなかった。胃腸が痛くなったり気持ち悪くなることもなく、むくみもほとんどなかった。疲れやすい時はあったが、長引かなかった。仕事も無理をしなければ続けることができた。ギリギリの値だが入院するまでには至らないと感じて前向きにやってこれたのだ。

 しかし、全ての人力飛行機にいつか限界が来るように、おいらの体にも限界がきたようだ。今日の検診でアルブミンや血中総蛋白量が急激に低下していたのだ。そのまますぐ入院も勧められたが、一応あと一週間利尿剤を増やすなどの対処療法をやってみて、様子を見ることになった。それで改善しなければ来週から入院である。おそらく入院は避けられないだろう。実は、2週間前の検査では、少しだけタンパク量が改善したのだった。でもそれは今思えば、最後の力を振り絞った浮上だったのかもしれない。そのあとおいらの体は急激に失速してしまい、ついに着水することになったのだ。

 地獄入院から退院して、約1年半。その間大腸ポリープの入院はあったものの、体調を安定させ仕事を続け生活を維持できた。しかしついに限界がきた。もしかするとこの限界は、湖対岸に達したということなのかもしれない。PLEを発症して以来、4年9ヶ月の間何度も回復しては再発を繰り返していた。再発までの期間は過去最長1年で、多くは半年以内だった。それが1年半も粘れたのだ。それはおいらにとっての対岸であり限界到達点なのかもしれない。きっと入院して治療をすれば、今回もタンパク低下を食い止められるだろう。治療はプレドニンを一日40mg投与し、そこから徐々に下げていくことになる。そしてまた10mgを切ったあたりからタンパクの低下がみられ始め、1年半が経過する頃には限界値まで下がってしまうのだ。おいらのPLEへの挑戦はその繰り返しなのかもしれない。

 でも願わくは本当の鳥になりたい。限界に達せずいつまでも羽ばたいて飛んでいたいのだ。PLEの湖面に着水することなく、高い上空を安定して飛んでいたいのだ。それは人力飛行機を永久に漕ぎ続けることが不可能であるように、おいらにとっても不可能なチャレンジなのであろう。