ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

傷心の研究者

新年早々、投稿していた論文が2つ連続で落ちた。論文が落ちたとは、学術雑誌に投稿していた論文が、掲載不可と判定されて返されることである。研究をしてある程度成果が出ると、それを論文にまとめて学術雑誌に投稿する。雑誌に投稿しても、すぐに掲載してくれるわけではなく、論文に書かれた内容が科学的に適切か、また学術的な意義があるかを審査される。その審査で、内容が悪いと評価されると掲載不可となり落とされるのだ。それが立て続けに2つの論文で起きた。つまり、おいらの書いた論文はどれもこれも内容が悪いと評価されたわけだ。

 研究者にとって、論文が落とされることはかなりショックなことである。実際には論文を投稿すれば、度々起きることではあるが(難易度の高い雑誌だと90%以上の確率で落とされたりする)、それでも毎回非常に落ち込む。論文が落とされることは、どこか失恋に似ている。落ちた後は、暗い気持ちになり、何も手がつかなくなってしまう。人生が終わったような気がして、自分がとても惨めに思えてくる。どうせ自分はダメな人間なんだと自虐的になり、食欲もなくなり、心臓がきゅっと締め付けられる。おいらにとっては、それは特に苦しいことだ。論文が増えなければ次の職が得られず、現実に人生が終わってしまう。不安と焦りと絶望的な気分で心臓はますます締め付けられていく。

 恋を成就させるには、多少なりとも自分のことを盛ってアピールすることもあるだろう。女性なら可愛くメイクしたり着飾ったり、男性ならプレゼントをあげたり優しく振舞ったり、と自分がよく見えるようにすることは当然のように行なっている。が、論文に関してはそれはタブーである。いくら論文の内容をよく見せたくても、結果を盛ったり偽ったりすることは許されない。それは不正、捏造である。もし不正が発覚すれば研究者人生は終わる。

 おいらの論文は、もちろん不正をして落とされたわけではないので、まだ望みはある。論文が落とされる時には、ご丁寧にどこがダメだったかを説明するコメントが添えられている。そのコメントに従って論文を直し別の雑誌に投稿すれば、今度は掲載が認められることはある。

 立て続けの論文却下で傷ついた心とは裏腹に、おいらの心臓は年明けから絶好調であった。新年最初の血液検査では、過去最高レベルに良い結果が弾き出された。あんなに苦しい目にあったというのに、心臓くんはそれを屁ともおもわず元気一杯に振舞っている。さすが何度もメスで切り裂いた心臓だ。傷心には慣れているようだ。