ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

裁量休暇制

今国会で熱く審議されている働き方改革関連法案では、裁量労働制の適用範囲の拡大が盛り込まれている。裁量労働制が適用された労働者にとっては残業代なしで長時間働かされる懸念があり、定額働かせ放題だと批判されている。おいらがこれまで働いてきた研究職は、実質全て裁量労働制であった。おいらに限らず、現在大学で勤める教員、研究員はおそらく全員裁量労働制であろう。書類上は勤務時間が規定されていても、現実は勤務時間以上に働いている人がほとんどである。特に、大学教員ともなれば、規定上の勤務時間内は、授業、学生指導、書類書き、会議等に費やし、自分の研究に充てる時間はほとんどない。そのため、研究は勤務時間外にやることになる。任期付きの研究職の場合は、研究業績を上げなければ次の職につけなくなるため、勤務時間外だろうが研究をやるしかない。

 おいらは裁量労働制で働き続けてきたが、残業はほとんどしてこなかった(*)。定時に出勤し定時に帰った。土日祝日もしっかり休んだ。その結果という訳ではないかもしれないが、研究業績は少なく、40歳を過ぎた今でも正規の研究職につくことができないでいる。寝る間も惜しんで実験をして論文を書いていれば、多少なりとも終身雇用の研究職に就くチャンスはあったであろう。社会からは、負け組、3流研究者、無能と思われるかもしれない。でもおいらは働かないことで、もっと大切なものを守ってきた。自分の命である。

 おいらは裁量労働制をむしろ逆手に取って利用してきた。自由に働いて良いという条件をいいことに、体調がすぐれない時、疲れた時、病院に行く時などは自由に休んだ。午後から出勤、午前中だけ出勤などもざらにある。そのため仕事のノルマをこなせなかったり、担当していた業務を同僚に委任したりといったことも多々ある。先天性心疾患という極めて特殊な事情なゆえ、表立っておいらを批判する人はいなかったが、内心は使えないやつだと思った方もおられただろう。ある時は学生の研究指導をする立場になったが、ちょうど運悪く長期入院してしまい、ちゃんと見てあげることができなかった。入院中は携帯のメールで学生とやりとりしながら卒業論文を添削するのが精一杯だった。

 そんな不満足な働きぶりだから、正規の研究職につけないのは当然である。しかし、どんな批判を受けようとそれによって仕事がクビになろうと、これからも長時間労働は極力しない。最近は、かつてなく体調が良い。だから働こうと思えば多少は無理できるかもしれない。でもやらない。それはおいらの覚悟であり、宿命でもある。もしその覚悟が崩れて無理し始めれば、遅からず体調を悪化させ入院し、今度こそ寝たきりのままになってしまうだろう。そうはいっても、どうしても締め切りがせまり仕事が終わらない場面もある。その時は、諦めるしかないのだ。それは無責任なことではない。おいらが長く安定して働き続けるためにも、絶対に崩してはならない覚悟なのである。

 もし、働き方法案が可決して裁量労働制が適用されてしまったら、おいらのように覚悟を持って休めばいい。非難されたり、見下されたりするかもしれないが、言わせておけばいいのだ。無理して働き続けて死ぬ必要は全くない。あなたが生きていることをきっと誰かが望んでいる。その期待に応えるために、むしろ全力で休むのだ。

*残業しなかったとかっこよく書いたが、本当は元気だった頃は無理して働いていた時もあった。しかしその無理がたたり、不整脈が起こるようになりついにはPLEを発症した。その反省もあり、残業しないという覚悟を主張したいのだ。