ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

健常者の時間、先天性心疾患者の時間

このブログでも度々書いてきたが、おいらは子供の頃から自分の寿命は50歳までだろうと感じている。5年前にフォンタン術後症候群になり、PLEや不整脈の合併症が出てからは、その寿命をさらに確信した。先日の心筋梗塞の時には、50歳も甘い予想だったなとさえ思った。そして、今現在も寿命は50歳かそれ以下だという予想は変わっていない。

 しかし、周囲の人々に自分の寿命が50歳までだろうと話すと、全ての人が励まそうと「そんなことはないよ」と否定してくる。より親しい人なら「こういう人に限って長生きしそうだ」とつっこんだりもする。あるいは、「自分はもっと早く死にそうだ」と自嘲される方もいる。当然こうした言葉は、本心ではない。それに客観的に考えれば、おいらが健康な人より長生きすることなどまずありえない。だから、常日頃こうした本心ではない嘘っぱちの慰めには、不満なのである。

 というのは全くの冗談で、周囲の人の暖かい配慮にとても感謝している。むしろ、おいらが寿命が50歳までだなどと暗い話をするのがいけないのである。そんなこと言われたら、誰だって返す言葉がなくなる。おいらだってそうだ。だからそんなことないよと否定して、励まそうとするのはごく自然なことだ。でも、他にもっといい切り返しがあるとすれば、それは何だろうか。おいらだったらこんな切り返しされたら面白いなというのを、ちょっと紹介しよう。

 例えば、「50歳までというその根拠はなんなのか」と理詰めでつっこんでくるのも面白い。一瞬こっちがたじろいでしまうが、病気や寿命について本心では話したい気持ちがあるのだ。だから、遠慮なく色々聞いてくれるのは、むしろ嬉しい。そういうことは、普通は聞いてはいけないことのように感じて聞きづらいものだが、聞いてくれると相手をより理解しようとしてくれる姿勢を感じて、好感がもてる。他には、「それなら残りの人生で何がしたいか」というように、短いなりの将来計画を聞いてくれることだ。そのほうが話が発展して盛り上がる。共通しているのは、どちらの例も、寿命が短いということを必ずしもネガティブに捉えていないことだ。短い寿命を冷静に捉えて、それはそれで一つの人生として考えてくれている気がするのだ。

 来月で誕生日を迎え、50歳まではあと8年になる。それは一般的には非常に短い余命だが、おいら自身はまだ8年もあると思っている。「ゾウの時間ネズミの時間」という本では、全ての生物は生涯に打つ心拍数は大体同じで、ネズミのように心拍が早い種はその分寿命が短く、ゾウのように心拍が遅い種は寿命が長いと述べている。この理論を当てはめてみても、おいらのような先天性心疾患者は、日常的に心拍が早いので寿命が短くなると予想される。本の理論が本当に当てはまるかはわからないが、おいらは時間が早く流れている世界に生きているだけなのだ。