ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

静と動

おいらの心臓は、生まれた時は静脈と動脈が混ざり合っていた。そのため、常に顔色は悪く、唇や爪は紫色、ちょっとした運動でも酸欠状態になり苦しかった。フォンタン手術を受け、その苦しみから解放された。静脈と動脈は混ざり合わなくなり、顔も唇も爪も血色の良い鮮やかな色に変わった。階段を登ったり、走ったり、とこれまでできなかった活動ができるようになった。フォンタン手術は、おいらの生き方を根本から変えるまさに革命的手術だった。

 南の島に移り住んで二年弱になる。この期間、おいらの人生は理想と現実がごちゃごちゃに混ざり合っているような感じだった。新天地で新たな研究に取り組み、そこで良い研究成果を残して正規の大学教員に就く理想に燃えていた。島の温暖な気候はおいらの心臓にもとても優しく、体調はみるみる回復していった。職場では、今までに経験がないほど人々に頼られるようになり、このブログでも多くの方々から励ましのコメントをいただいた。温かい人に囲まれてすごく嬉しかった。南の島に来る前は、一度は死の瀬戸際まで病状が悪化し、もう二度と研究も仕事もできないと感じていただけに、これ先明るい未来が開けるのだと夢見ていた。

 だが現実はそうした理想から程遠かった。新たな研究に取り組むこともなく、大学教員の就職活動もことごとく惨敗だった。論文を書く時間も体力もなくなり、かろうじて書いた論文も科学雑誌に投稿すれば片っ端から落とされた。研究者としての実力不足を思い知らされた。体調は、安定していると思えば急に心筋梗塞不整脈が発症し、薬の量も徐々に増えていった。職場で頼られているのも、病気をネタに愛嬌を振りまいて親しまれただけであり、本当に職場の役立っている実感はなかった。

 現実に合わない理想を抱え続けるのは苦しい。理想と現実が混ざり合わずに循環する、フォンタン手術のような魔法があったらいいのに。それは理想を現実に近づけるのでも、現実を理想に近づけるのでもない、もっと革命的な魔法である。もしそんな魔法にかかれば、どんな理想や現実であろうと、どちらも色鮮やかに見えるだろう。理想と現実、静脈と動脈、皆おいらの体の中を常に流れている。