ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

2つの記録

今から約3年前半の38歳の時、おいらはTCPC conversion(フォンタン転換手術)を受けた。その時の手術直後の状況を妻が記録してくれていた。このサイトを作ろうと思ったきっかけは、30年前の母の残した記録と3年前の妻の残した記録、その2つの記録があったことが大きい。

 辛い思い出しかない手術や入院のことなんて、正直本人は忘れたい思いだった。しかし、いざしばらく時間が経ち、後で記録を読み返すと、なんだかとても貴重な体験をしたように思えてきたのだ。記録が残っていて良かったと思った。そう思うと、おいらの記憶のなかにしまってある病気の体験も書き記しておきたいと思えてきた。記憶はいずれ薄れてしまう。しかし、ただノートに書き記すだけではすぐに飽きてやめてしまいそうだ。だから、継続できるよう書くことがノルマになり、そして自分だけでなく同じ病気を抱える人々にとっても少しでも役立つような情報として残したいと思った。そうして思いついたのが、インターネット上のブログだった。

 ブログを開設するにあたって、おいらなりにいくつかの制約を設けた。まず一つ目は、知人友人家族等いかなる知り合いにも、このブログの存在をおいら自身から紹介しないこと。その理由は、知り合いの目をできる限り意識したくなかったからだ。知り合いが読んでいると思うと、どうしてもその人に向けて内輪な話を書いてしまうリスクがある。大げさな言い方をすれば、できるだけ万人に話しかけるような内容にしたかったのだ。今ではもしかするとこっそり読んでいる知り合いもいるかもしれないが、おいら自身は誰が知っているか全くわからない。もし読んでいても、おいらに会ったときは秘密にしていてほしい。2つ目の制約は、できるだけわかりやすく丁寧な文章にする事である。わかりやすく丁寧な説明は、おいらが人と話す上でもっとも大切にしているポリシーでもあり、自分が患者として医療の説明を聞く際に切実に願っているためでもある。この点は、また別の機会にお話ししたい。3つ目は、病気のことに関して、なるべく全て隠すことなく書くことである。これは当初の病気の記録という目的のためにも、脚色をせず客観的に実際に体験したことを書き記すことが重要に思うからだ。

 そして最後4つ目の制約は、制約というより願望というべきかもしれない。それは、辛い、苦しい、痛いばかりの病気の体験の中から、わずかでも希望を見出すことである。母と妻の記録は、どちらも起きたことを時系列的に淡々と記しているだけだが、読むとなぜか生きる希望が湧く内容だった。手術後に少しずつ意識と感覚が回復していく様子は、死の淵から這い上がろうとしている人を見ているようで、自分のことなのに応援したくなるのだった。

 そんなわけで、ここ数ヶ月ブログの更新頻度が少ないのは、最近とくに目立った病気の体験がなく、希望を見出せる内容がないからだった。というのは言い訳で、本当は単に怠けているだけ。先天性心疾患だからといって、常に命の危機が迫る展開があるわけではなく、懸命に生きているわけでもなく、世の中年男性と変わりなく、だらけた平凡な日常を過ごしているのである。