ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

電気と薬と心地よさ

例の薬物事件の話ではない。先週おいら自身が電気ショックを受けた。昨年10月に心房粗動が発症して以来、また同じ症状が出たのだった。電気ショックは心臓が止まった人にやるイメージが強いが、心房粗動や心房細動を止める応急処置的治療としてもよく使われる。専門的には同期カルディオバージョンと呼ぶらしい。おいらは、これまでなんども電気ショックを受けた経験があり、初めては今から5年前だった。昨年の10月のときも電気ショックを受け、今回で6回目となった。

 おいらがこれまで電気ショックを受けた時は全て意識がはっきりしていた。心肺蘇生法のガイドラインによれば、意識のある患者に対しては、電気ショックの前に必ず鎮静剤か麻酔の投与が必要であるとある。当然ながらおいらも毎回催眠鎮静剤を投与されていたので、電気ショック自体にはさほど恐怖や不安を感じなかった。しかし、ちょっぴり不安になり、念のため今回も始める前に看護師さんに聞いてみたら、安心させるようにすごく優しく手をさすりながら「そうですよ」と答えてくれた。おいらは笑みを浮かべて頷き、早く打ってくれないかと待ちわびた。今回おいらは、ミダゾラムという鎮静剤を静脈に刺さった点滴から投与された。

 催眠鎮静剤の効果は極めて強力である。静脈に流し込まれた薬が脳まで運ばれると、途端に瞼が重くなり意識が落ちていきそうになる。どんなに必死に抵抗して目を開け続けようとしても、薬が効き始めて10秒くらいでもう目を開けることができなくなり気を失う。次の瞬間また目が開くと、もうその時には一通りの手技が終わった後だった。おいらにとっては、目を閉じてまたすぐに目を開けたくらいにしか感じられなかった。

 しかし、今回の電気ショックは今までと少し違う体験だった。まず、後でわかったが催眠時間がわずか10分程度くらいだったらしい。これまでは30分以上は経過していた。それだけ短いせいなのか、おいらの脳が作り出した幻覚なのかわからないが、催眠されている間一瞬体が大きく揺さぶられたような気がしたのだ。もしかすると、電気ショックを受けた瞬間を感じたのだろうか。それを裏付けるかのように、目が覚め始めたとき、医者が「あれもう目を覚ましたよ。痛くなかったかな。」と会話しているのが聞こえた気がしたのだ。おいらは、電気ショックの衝撃で目を覚ましたのかもしれなかった。

 目が覚めてから鎮静剤が完全に切れて意識がはっきりするまでは、30分ほどかかった。毎回思うことだが、この時間は本当に気持ち良い。全身の感覚が鈍く、浮遊感があり、眠気とも異なるうっとりとした心地なのだ。美味しいものを食べたり、感動したり、性的な快楽を感じたときのような、刺激的な気持ち良さとは違った。ついさっきまで苦しかった心臓が嘘のように静まり、体から一切の不快感や痛みを感じない究極の平穏という心地よさだった。それは生きた生身の体では決して感じられないあの世の感覚のように思えた。