ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

3年目の正直

 今日で、このブログを開設して丸3年になる。この一ヶ月ほど悩み続けていた。一度は決心がついた。その決心を表明するときは今日と決めていた。決めてしまうと、肩の荷が下りたかのように気持ちが楽になる部分もあった。だが、それでも迷いは続いた。

 大体ご想像がついた方もおられるかもしれないが、おいらが悩んでいたこととは、このブログを中断することである。この数ヶ月ブログを書く頻度は徐々に減ってしまった。それは、忙しかったり体力的にゆとりがないというのもあるが、人様にお話しできるほどの話がなくなったこともある。大人になってからの第二の闘病記を中心に、二度目のフォンタン転換手術、PLE入院、消化管出血の地獄入院、心筋梗塞不整脈、薬、食事や水分制限、障害者としての生き方、フォンタンマスターなど、主だった病気の体験はおおかた書き記した。もちろんそれで全てではないが、それ以外のことはこれまで書いたことに比べれば、瑣末なことに思えた。

 比較的あまり書いていないことは、子供の頃の闘病経験である。しかし、それはただの思い出話であり、今まさに病気と闘っている方々にとっては、あまり価値がある内容ではないだろう。それから、病気とともにこのブログのもう一つのテーマである生物学に関しても、正直おいらの学問的活動が行き詰まっていた。毎日のように調査や実験を行い、最新の論文を読んでいたりする時であれば、日々新しい発見に出会いそれをお話しすることもできたであろう。でも、現在は古びた昔話しかできない。できれば生きた話題を提供したかった。そう、このブログのメインテーマは、まさに「生きること」だからだ。

 おいらのブログ更新頻度が少なくなったためなのか、そもそもつまらない内容だったのか、次第に閲覧数は減り続けた。なおさら、もう潮時だなと思えてきた。ブログを中断しようと決心はしたが、それは完全な終わりではなく、2つのどちらかの条件が訪れれば再開するつもりだった。一つは、第3の闘病時代が訪れる時。もう一つは、奇跡的に大学教員の職につくことができ、おいらが自由に研究をできるようになった時だ。どちらにしても、おいらの中で「生きる」意欲が再び燃え上がることだろう。どんなに無様な姿であっても、生きることに向き合う姿勢をこのブログでは綴りたいと思った。

 やっと決心がつきかけた時、ふとおいらのブログを訪れてくれる方のブログを閲覧すると、どんなことがあっても書き続ける、という言葉があった。ずしりと重く伝わった。なんだかおいら自身に言っているようにすら感じた。それに追い打ちをかけるように、別の方々からは励ましのコメントをいただいた。やっとついた決心がぐらぐらと揺らぎ、そして崩壊した。いいじゃないか、話す話題がなくても、古びた昔話でも、書けることを書いたらいい。今はおいらの生きる意欲や活力が低下しているが、それもまた無様な生きる姿なのかもしれない。

 はあ、正直な思いを書き綴ったら、なんだかスッキリした。次回からはより正直により無様な姿をお届けするよ。