ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

スリルなネイル

 先天性心疾患の患者で特にチアノーゼの症状を持つ人は、共通してばち指と呼ばれる指の変形が見られる。ばち指は、手足の指の先がカエルのように膨らみ、爪は丸くなる。これは血流が悪いために指の先端がうっ血し、膨らんでいくために起こる。さらに、チアノーゼ症状の患者の場合は、爪の血色が悪く独特の薄紫色をしていて、遠くから見てもばち指であることがよくわかる。おいらは子供の頃、エレベーターに乗っていたら見ず知らずの人から、子供なのにマニキュア塗っているのか、と怒られたことがある。お返しに薄ら笑いをして見つめたら、気持ち悪そうにして何も言わなくなった。

 ばち指は、見慣れない人からすればなかなか気味の悪い指に見えるかもしれない。しかし、おいら自身は子供の頃から特別なんとも変に思わなかった。むしろ、つるんと丸まってどこか可愛らしくもあり、ヘルメットみたいで面白かった。まさにばちのように、爪と爪をぶつけてパチパチ鳴らして遊んだりした。一番丸まった指だと、爪が下に90度ほど曲がっていた。曲がった爪はのびると指の肉に食い込んでいく。ある程度大きくなり、自分で爪を切るようになってわかったのだが、丸まった爪を切るのはかなり難しい。肉に食い込んだときには、肉をかき分けて強引に爪の裏に爪切りの刃を差し込まなくてはならない。自分でやるから痛くない程度がわかるが、小さい時は親が切っていたのでさぞ親も不安だっただろう。どこまでが切っていい部分かわかりにくいし、ギチギチに詰まった肉と爪の間に刃を差し込むのは見るからに痛そうで、かなり勇気がいる。しかし、切らなければさらに食い込み、肉が化膿してしまう。

 そんなばち指ともお別れする時が来た。13歳のときのAPCフォンタン手術を受けて以来、爪が改善してきたのだ。実際には、10年以上かけて爪が平らになっていった。黄金時代の20代には健常者と変わらないほど平らになった。爪切りも抜群に楽になり、肉と爪の間に刃を差し込むスリルはなくなった。

 そのばち指が、時を経て再び蘇りつつある。不整脈が多発し第2の闘病時代が始まった30代後半から、再び爪が丸まってきたのだ。特に足の人差し指は今では70度近く曲がっている。2度目のフォンタン手術を受け、不整脈がなくなり血行動態は安定したものの、絶対的に血流が良くなったわけではない。だから、うっ血は指の先を含め様々な部位で起りやすくなっている。でもおかげで楽しみも蘇った。爪切りを差し込むスリルをまた味わえるのだ。差し込むのが難しいほど、サクッと入り込んだ時の快感も大きい。切り取った爪が予想以上に大きい時は、大きな耳垢が取れたような喜びに浸ることができる。この快楽は、ばち指保持者だけが堪能できる特権なのだ。

 

 余談だが、日本心臓財団の「ばち状指」の解説ページに貼ってある手足の写真が、あまりに現在のおいらの手足に似ていてびっくりした。肌の色や質感、やせ細った手足の形、ゴツゴツした指、隆起した血管、どれもこれも似ている。もし叶うならこの方と一度握手してみたいものだ。