ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

静かな時間

入院しているときに、何気に大きなストレスになるのが音である。昼夜を問わず常にどこかで音がなっている。心電図モニターのピコピコ音やアラーム、ナースコールの呼び音、誰かの足跡や話声、いびき、うめき声。気になり始めると、人によっては気が狂いそうになるだろう。おいらもまた、自分自身が心電図モニターに繋がれていたときには、ちょっとした脈の乱れですぐにアラームがなってしまうため、なんとかしてくれと看護師さんに泣きついたこともある。

 それでも一般病棟はまだマシな方だ。集中治療室ICUにいるときは、凄まじい騒音の渦に身を置くことになる。ICUにいる全ての患者には心電図モニターがつけられていて、どの患者も容態が不安定なために心拍のアラームが何重にも止むことなく鳴り響いている。さらに呼吸器の音、点滴の音、医療スタッフが慌ただしく動き回る音が覆いかぶさってくる。ただでさえ痛みや苦しさに必死に耐えている状態なのに、音がその痛みや苦しみを耐え難いレベルに増幅してくるのだ。そういう状況では、誰しもがICU症候群と呼ばれるある種の錯乱状態に陥ってしまっても不思議ではない。

 こうした音の洪水から逃避するためには、音には音でかき消すしかない。おいらは、以前にも書いたポータブル音楽プレーヤーでイヤホンから音楽を聴いて、身の回りの雑音を遮断していた。特に静寂に浸りたいときには、矢野顕子のピアノ弾き語りをよく聴いていた。前に話したPerfumeとは対極にあるようなアコースティックな音楽である。完全に無音のレコーディングスタジオの中で、ピアノの音と矢野顕子の声だけが鳴っている。スタジオが広いのか音はこもっておらずとても透明感のある音で、タッチも柔らかい。普通なら息継ぎの音、足でピアノのペダルを踏む音、体を揺らす音や椅子の軋む音などの雑音がわずかでも入りそうなものが、それらは全く聞こえてこない。それだけに静寂が一層際立つのだった。

 夜寝ながら矢野顕子を聴いていると、その日一日にあったことが過ぎし日の遠い思い出のように薄れていく。たとえそれがどんなに辛く苦しく痛い出来事だったとしても、どこか懐かしさとともに和らいでいく。もう終わったことだ。今は、苦しみから解放された安らぎと静寂の時間なのだ。そうして毎晩いつの間にか眠りに落ちていった。