ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

先天性心疾患者にとって新型ウイルスはどれほど脅威なのか

随分と大げさなタイトルだが、結論から言うとわからないというのが今回の話である。現在、世界中で拡散している新型コロナウイルス。ニュースなどで報じられている話では、基礎疾患がある人、心不全がある人などは感染した場合重症化するリスクが高く、特に注意が必要だそうだ。おいらは、言うまでもなくまさにハイリスク人物であり、周りの人もおいらが感染しないかととても心配してくださる。しかし、当の本人は過去の経験から、感染症に対してあまり恐怖を感じず楽観視してしまっていた。

 未だ理由がわからない謎の一つに、おいらはこれまであまり感染症にかかってこなかった(注1)。家族や職場の人が風邪を引いたりインフルエンザに罹ったりしても、なぜか感染することがなかった。基礎疾患がある上、ステロイド剤を飲んでいて免疫力も低下しているので、真っ先に感染してもおかしくないはずだ。昨年極めて久しぶりにインフルエンザにかかった。しかしそれも楽観視して油断し、先に発症していた息子と丸一日同じ部屋で過ごし、同じ布団で寝たりして超濃厚接触したためであった。幸い軽症で済み、熱もさほど上がらず1日で回復した。それもまた不思議だった。それ以前にインフルエンザにかかったことは記憶のある限りなかった。きっと、大病を患う人は神様が小病にかからないようにしているのだとか、バカは風邪引かないというようにおいらがバカだからだ、などと非科学的な理由を考えたりして、それ以上理由を追求することはしなかった。そんな経験から、コロナウイルスに対しても無根拠に楽観視していた。

 そんなとき、職場の同僚から発熱と咳の症状が出たため休むという連絡が入った。いつもなら、お大事にしてくださいと返事をして終わるところだが、「新型ウイルスの可能性もゼロではないと思いますので、もし可能でしたら医療機関に受診して検査してみてください。」と書いて返信メールを送っていた。送ってから、実はすごく不安になっている自分に気づくとともに、なんだか失礼なことを言ってしまったのではないかという後悔の念が沸き立ってきた。まだ、発症して1日程度であり、新型ウイルスかどうかは全くわからない段階で、自分の身の安全だけを考えて同僚を疑っていることに罪悪感を感じた。それに現時点で安易に医療機関を受診すれば、返って混乱の元になるだけかもしれないのだ。

 本当にすべきなのは、根拠なく楽観視することでも、過剰に反応して不安を募らせることでもなく、冷静に客観的に現状を把握することなのだ。科学者であれば、客観性と論理性を最も尊ぶべきなのに、おいらのコロナウイルスへの反応は恥ずべき態度であった。現時点においてコロナウイルスに関するデータは十分蓄積しておらず、リスクを正確に評価することは多くの研究者にとって難しいことであろう。だから、研究者の中でも楽観論から悲観論まで両極の意見が出ている状況である。おいらの少ない知識と思考力で考えられることは、今コロナウイルスのリスクを一般論化することは無意味であるということだ。この新型ウイルスが脅威になるかどうかは、その人の健康状態や置かれた環境、地域、生活習慣、食生活、行動範囲などによって全く異なる。その上で、おいらの場合はたとえ現実の感染リスクが極めて小さいとしても、もし感染した場合の重症化や致死のリスクは非常に高いため、同僚には申し訳ないが過剰な反応もせざるを得ないと思いもする。

 あまりまとまりのない文章になってしまったが、おいら自身の気持ちは整理できた。明日から楽観視をなどせず、もっとしっかりとした防護策を立てることにしよう。

 

注1:感染症にかかってこなかったというのは本当は正しくない。おいらは、フォンタン転換術後に手術創から菌が感染して縦隔炎を起こし、その治療に一年近く要したことがある。