ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

心の師

おいらには、心の師と仰ぐ人物が二人いる。偶然にも二人ともチャーリーという名の外国人だ。今回はその二人の師匠についてお話ししたい。

 一人は、かの有名な喜劇王チャーリー・チャップリン。彼の存在を知ったのは、おいらが保育園の年長の頃だった。その頃のおいらは体調が不安定で、度々保育園を休んでいた。しかも一度休むと数日から一週間近く休むことも稀ではなかった。両親は共働きだったから、日中は一人で留守番してテレビの前に座椅子で陣取り、テレビ漬けの日々を過ごしていた。そして、その時よく観たのが父がVHSのビデオテープに録画したチャップリンの映画だった。

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 チャップリンの素晴らしさは、今更おいらがあれこれと説明するまでもない。独特のユーモアと計算され尽くした芸。それは、先日亡くなった志村けんドリフターズに通じるものがある。というよりドリフターズは、チャップリンの芸を徹底的に学んだのだろう。そして決して他人を見下すことも自分自身を卑下することもない底知れぬ人間愛。彼の映画を見終えた後は、面白かったという印象以上に不思議な幸福感に包まれるのであった。

 おいらがチャップリンを心の師と仰ぐのは、劇中での彼の何気ない一つ一つの仕草にある。劇中の彼の役は、大概どん底に貧しく、ボロボロの服を着て、今日食べるものにも困っている人物である。だから、度々人の食べ物をこっそりくすねたり、無賃乗車を試みたり、インチキな商売をやったりもする。それなのに、彼は人間としての尊厳を決して忘れていないのだ。たとえどんなにみすぼらしい格好でも、常に紳士的に振る舞うのである。転んで服に汚れがつけばはたき落し、人に挨拶するときは毎回帽子を脱ぎ、食事の前には感謝の祈りを捧げ、脱いだ帽子や杖や服はほったらかしにせずちゃんと片付ける。不幸な人をほっとけず、女性、子供、動物には深い愛情を注ぎ、時に身を呈して守ろうとする。こうした紳士的振る舞いは、決して自分をよく見せようとしているためではない。全てその根底にあるのは、他人に対する敬意と愛情なのだ。

 おいらは幼い心ながらにその清らかさ、美しさに映画を見るたびに新鮮な感動を味わっていた。だから、病気で休んだときに思う存分チャップリンの映画を観れるのがこの上なく楽しみだった。意図的に仮病をしたことはないが、もしかするとチャップリン観たさに無意識に体調が悪くなっていた時もあるかもしれない。そんなわけで、作品によっては100回くらい繰り返し観たものもあるだろう。それでも全く飽きなかった。

 チャップリンの作品の中でおいらのベストを挙げるとすれば『サーカス』であろう。チャップリンはひょんなことからサーカス団の団長に声をかけられ、ピエロとして入団する。その入団テストの時に、団長から「何かおふざけをやってみろ」と言われる。しかし、彼はおふざけというものが全然わからない。なぜなら彼は常に真面目に真剣に生きているからだ。だから、見よう見まねでおふざけっぽいことをやってみるが、それが全く面白くなく団長を激怒させてしまう。でも彼が真に面白くなるのは真剣に生きている時である。真面目に何かをやろうとすればするほど、彼は失敗しはちゃめちゃなことが起きてしまう。その姿は、時に人々に見下され呆れられ怒られもするが、彼はその生き方を貫く。どうして生きることにそんなに真剣になれるのだろう。人は誰しも面倒くさくなったり、手を抜いたり、諦めたり、疲れたりする時があるだろうに。そんなチャップリンの姿を見て育ったからだろうか。おいらは自分が病気であることに一度も不幸を感じたことがない。たとえそれが他人から見たら哀れな姿に見えようと、おいらはこの体で生きていくことになんの迷いもないのだ。

 サーカスの結末はある意味悲劇に終わる。同じ団員の美しくも悲しみにくれる女性に、密かな恋心を抱くチャップリン。彼は劇中ただひたすら彼女を励まし続けるが、結局彼女はイケメンのスターと結ばれてしまう。彼の愛情は報われることなく、最後は次の公演地に向かうサーカス団と別れ、一人荒野に佇みやがて行くあてもなく歩いて行く姿で終わる。その後ろ姿には寂しさを胸に抱えながらも明日に向かって進もうとする強い意志を感じる。その姿は、おいらが生涯目標とする姿となった。

 図らずも、その目標は20代に散々達成する。おいらはなんども恋をし、そして振られ続けた。あるときは、男性、女性双方の相談役になり二人の恋を応援し、あるときは振られた後も恋心を引きづりながら友人として接した。そしてどうしても心が張り裂けそうになったときは、チャップリンを思い出して笑顔を取り戻し、前を向くことができた。

 

 長くなってしまったので、もう一人のチャーリーの話はまた今度。