ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

身体の幸せと心の幸せには50°Cの差がある。

おいらの住む南の島は梅雨の中休みに入り、この数日は日中30°C前後になるようになった。30°Cとなれば、一般的には汗ばんで暑さが鬱陶しい陽気だが、おいらにとってはすこぶる心地よい。もちろん、おいらにとっても30°Cは暑い。でも、寒さで体調を崩す心配がないのだ。寒さは本当に体にこたえる。日中30°Cにもなる今でさえ、朝方の冷えで苦しくて目が覚め、そのまま午前中は体の不調をひきづってしまうことがある。とはいえ、心地よい陽気になったおかげで息苦しさやだるさもだいぶ緩和され、自粛緩和と相まって平穏な日常に戻った感覚を人一倍強く感じることができた。

 そんな寒さに弱いおいらだが、南の島に移り住む前は本州では最も気温が低くなることがある山地高原に住んでいた。冬の最低気温は−20°Cを下回ることが度々あり、日中の最高気温も−10°Cを上回らない日々が続いたりもした。そんな寒い地域だと、さぞ北海道のように家の暖房設備が充実しているかと思うが、おいらが住んでいた家に限っては、二重サッシもなく床に断熱材もない築50年近いボロボロの平屋だった。だから冬場は家中の窓が凍り、玄関の扉も凍り、暖房のついていないトイレなどでは0度以下になった。南の島でさえ寒いのに、今思えばよく生きていたと思う。

 実際、生きていられない状況だったため、度々体調を崩し入院した。寒さだけが原因ではないが、おいらの心臓が不調になり始めたのもその家に住んでいた時からだった。不整脈が頻発し、蛋白漏出性胃腸症になり、全身が浮腫み、そしてついにフォンタン再手術に至った。おそらく、そんな寒い環境に住んでいなかったとしても、すでにおいらの心臓はかなり限界に達しており、いずれそれらの症状は出てきていただろう。しかし、寒さが最後のトリガーになったかもしれないとも思いもする。ほとんどゆとりのない心臓に、追い討ちをかけるようにダメージを与えてしまったのだ。

 でも、おいらはその地域に住んだことを全く後悔していない。それどころか、もし可能ならまた住みたいとすら思っている。闘病体験やその他のことでもものすごい辛い経験もしたが、一方でそれ以上に楽しく幸せを感じていた。食べ物はとんでもなく美味しく、水も空気も信じられないほど綺麗で、研究環境も恵まれて思う存分研究ができ、ちょっとドライブすれば有名な観光地が周囲にあちこちあり、温泉も入りたい放題だった。そして闘病生活を送った病院は、言葉に表せないほど素晴らしい病院だった。しかし残念ながら期限付きの研究職が切れたため住み続けることが叶わず、約8年の生活の後次の職を求めて南の島に移ることになった。

 身体のことを思えば、南の島に移住したことは本当に幸運である。それなのに、今でもあの極寒の地の生活を思い出してしまう。もしこの先の人生で、また大きな手術を受けることになったら、できることならまたあの病院で受けたいと願っている。そしてその時が来れば、またあの地域に戻って住むのが密かな夢だ。30°Cの環境でさえ寒さが辛い今の身体には、−20°Cの環境に戻ることはもはや自殺行為であろう。でも、おそらく決して人並みには長くはない残りの人生において、身体の快適さと心の喜びどちらが大切なのだろうか、と迷っている。