ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

二箇所から吹き出す血の池地獄:心外導管穿刺法アブレーション入院前編

アブレーション入院から退院した。日曜日から日曜日までの丸一週間の入院だった。それぞれの日に起こったことを記録のために記し、最後に感想的なものを書いておく。

 入院初日。担当医は現在の小児循環の主治医と、もう一人やはり小児循環の若い先生だった。病棟についてしばらくすると主治医の先生からおいらと妻に今回の治療に関して説明があった。アブレーションの方法は以前おいらが調べた通りで、まずカテーテルを首と脚の鼠径部から入れて、心外導管に細い針で刺し、穴が空いたら徐々に太い針に変えて穴を大きくしていく。最終的にはバルーンで穴を広げるという方法だった。穿刺する部位やアブレーションの部位を正確に把握するために、術中は経食道エコーをし続ける必要があった。一番の難関はやはり心外導管へうまく穿刺ができるかどうかで、事前のCT検査で見ると心房と導管がくっついている箇所は極めて限られており、導管の最上部にしかなかった。心房と導管が離れていると、当然ながら穿刺した時にその間に出血するリスクが高い。最悪の場合、出血した血液が2層の心膜の間にたまる心タンポナーデになってしまう。その場合、溜まった血液をとる外科的治療が必要になり、事態は大事になる。

 穿刺部位を導管上部にした場合、足の鼠径部からのカテーテルでは角度が悪く穿刺ができない。そのため、首からのカテーテルで刺す事になった。導管は硬いため思い切り勢いよく刺す必要があり、その際に他の部位を刺してしまったりするリスクもある。穿刺が無事成功すれば、その後のアブレーションはさほど難しくなく、手術時間は約6時間と想定された。長時間かつかなりの痛みを伴うことから、人工呼吸器を口に挿入して全身麻酔下で行うことになった。今回の心外導管穿刺法によるアブレーションは前例が少なく様々な合併症のリスクも高いことから、主治医は「かなり難しい治療になります」といつになく真剣な表情で説明された。

 二日目アブレーション当日。予定通り朝9時にカテーテル室に入室した。事前においらが念を押したことが功を奏し、導尿カテーテルは麻酔後に入れてくれることになった(実際は、ギリギリまで病室で入れる話になっていた)。カテーテル室に入ると、体と同じくらいの幅の狭い手術台に上り、身体中に様々なモニターを貼り付けられた。直径10cmほどの円盤状のモニターを背中と胸に2枚ずつ、赤黄緑の心電図モニター、自動計測血圧計、指にサチュレーションモニター、電気ショック用の湿布状のシールといったものである。麻酔後にはさらに導尿菅、点滴ルート、筋弛緩モニターの電極などがつけられた。横になりマスクで麻酔ガスを吸うと数十秒で効いて意識がなくなった。

 どこで目を覚ましたかはっきりとしないが、おそらく病棟のベッドに戻った時だろう。ちらっと見えた時計では夕方5時を過ぎていて、約8時間かかったようだ。目が覚めて意識が戻ってくると共に凄まじい寒気、吐き気、息苦しさに襲われ、間も無く思い切り吐血した。粘液と混じった血液だった。酸素マスクをしていたから、吐血液はマスク内にたまり溺れそうになった。吐血したのは、人工呼吸器と経食道エコーにより食道がかなり傷ついたためであり、血と粘液は4、5回ほど吐いた。やっと少し落ち着いたので妻と面会すると、間もなく新たな事態が発生した。左脚鼠蹊部の穿刺部位から血が吹き出したのだ。おいらには見えなかったが、その量はかなり大量だったらしく、血がお尻の周りに池のようにたまるほどだったようだ。医師が駆けつけて思い切り抑えて止血し、ある程度たったら一度貼ってあったテープ類を貼り直した。ところがまた出血し始め、結局止血とテープの貼り直しを2回行った。2回目は念には念を入れ親の仇のように強力なテープを何重にも貼り付けた。

 やっと落ち着いたのは7時過ぎで、もう妻は帰っただろうと思っていたら、ずっと待っていてくれた。再び面会すると涙が出そうになったが、しばらく手を握っていると気持ちが安らいでいった。翌朝まで足を固定されてほとんど身動きできない状態で過ごした。食道が傷ついているため、2日間絶飲食になった。幸運なのは、右脚は比較的すぐに曲げたりして動かして良いことになり、そのため身体の向きを少し変えることができ、背中の床擦れを防げた。また、薬を内服する時だけは水分を飲んで良く、ここぞとばかり普段より多く水分を使って飲んだ。その晩は強烈な口の渇きと息苦しさ、身体のだるさの中眠れぬ長い夜を過ごした。

 簡潔に書くつもりが長くなってしまったので、今回はここまでにしたい。次は、3日目以降の絶飲食期間とその後の回復期、感想をお伝えする。