ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

痛みの緩和術

今回は、おいらはこれまでの闘病経験で、痛み、苦しみ、辛さからなんとか逃れようとした時に実践したことを紹介したい。これはある程度病気で痛い思いや辛い思いをされた方であれば、おそらく誰しもが似た経験をされていると思うので特に目新しいことではないが、一つの小話としてお聞きいただければ幸いである。

 

痛み緩和力10%:テレビを見る、本を読む、ゲームをする。

テレビ、本、ゲームはいい暇つぶしになり気がまぎれるので、痛みの緩和手段として有効そうに思える。しかし、実際のところこれらは精神的肉体的に相当ゆとりがなければできるものではない。例えば、テレビ。痛みや苦しみが強いときは、テレビのある方向に体を向け続けるのが辛いのだ。さらに、言葉やストーリーを理解するのも辛い。極め付けは、バラエティー番組などでの笑い声や騒がしい会話は、あまりに鬱陶しく痛みを増長してしまう。本やゲームも同様である。ともかく、ストーリーを理解したり考えたりするなんてゆとりはないのである。そんなわけで、テレビ、本、ゲームは緩和力はほとんどないのである。

 

痛み緩和力30%:音楽を聴く。

音楽は頭を使わず聴き流せるので、テレビなどよりはるかに受け入れやすい。静かな音楽を聴けば気持ちがリラックスするし、体の向きを気にする必要もない。それに医療機器のピコピコ音もかき消してくれたりもする。ただ一つ厄介なのは、特に入院している時にはイヤホンで聴かなくてはならず、イヤホンのコードが非常に鬱陶しくなることだ。ただでさえ身体中に管やケーブルがたくさんまとわりついているのに、さらにコードが増えしまっては元も子もないのである。また、イヤホンを長時間つけていると耳の穴が痛くなってきたりもする。結局、音楽の緩和力は長時間続かないのだ。

 

痛み緩和力50%:人と会話する。

テレビや本と違い、人と会話することは意外と頭を使わずに楽にすることができる。ゆっくりと自分のペースで話したり、たわいのない会話をすれば、ふっと痛みを忘れて時が過ぎていることもある。また、痛みや苦しみの辛さを人に話すことで、気持ちが落ち着いたりもする。何より誰かと一緒にいるということ自体が、不安や孤独感から逃れられ安心できるのである。がしかし、それも話相手による。テレビのように一方的に話しまくる人だったり、元気な時でもうんざりするような愚痴や悪口、あるいは自分自慢、お節介な忠告やアドバイスなどを言う人はどっと疲れて辛くなる。さらに、水分制限で常に強い口渇感がある時には、会話すると口の中がパッサパサになるほど乾いてしまうのである。一度それで喉の奥が張り付いて呼吸困難になりかけたことがある。会話の緩和力も常に有効ではないのだ。

 

痛み緩和力70%:飲む食べる。

食いしん坊万歳のおいらにとっては、飲むこと食べることは痛みや苦しみを一時的に忘れ幸福感に浸れる強力な手段である。入院中3度の食事時間は最大の楽しみであり、食事をしている間だけは(たとえ、あまり美味しくなかったとしても)、生きていてよかったと思える。しかし、そんな強力な手段も万能ではない。絶飲食の時は全く役に立たないどころか、幸せを奪われた絶望感で苦しみが増すのだ。それに手術後間もない頃は全く食欲が湧かず、あんなに楽しみにしていた食事がむしろ苦痛になってしまうこともある。というわけで、飲食もまた緩和術としては完璧ではない。

 

 ここまで紹介した方法はどれも痛みを確実に緩和できるものではなかった。むしろ場面によっては痛みを増幅してしまうリスクすらある。では、どんな場面でも効力のある緩和力100%の方法はないのだろうか。実は、ただ一つそんな完璧な緩和術があるのだ。それは、人に触れる触れられることである。

 人の温もりは究極の麻酔である。おいらはこれまで激痛に襲われたときは、いつも看護師さんや家族に触れることで、痛みを耐え忍んできた。手を握ったり顔を撫でたり背中や腕をさすったりしてもらうと、ふわっと体から力が抜け、痛みがわずかではあるがでも確実に弱まるのである。先日のアブレーション入院でも、術後目が覚めて強烈に苦しかった時は、看護師さんの手を思い切り握って耐えていた。翌日、悪寒とだるさで辛かった時には妻が背中に手を当ててくれた。その手から伝わる温かみは、カイロとは全く異なる体の芯までじわりと伝わる温かさだった。

 なぜ人の温もりにそのような鎮痛効果があるのかはわからないが、おそらくそれは長い生命進化の中で培われてきた能力なのだろう。人に近い霊長類だけでなく、多くの哺乳類が同種の仲間とスキンシップをとっている。それは意思疎通だけが目的ではなく、お互いに安心させるための役割が大きい。哺乳類の中の霊長類、その中の類人猿になるほどその役割は強化され、そして人では安心効果(鎮静効果)を超えて鎮痛効果まで発揮するに至った。母親が子供の痛い部分に手を当てて「痛いの痛いの飛んでいけ」とやるのは、ただのおまじないではなく本当に効果があるのである。

 これはあくまでおいらの想像であるが、今日人類が地球上の覇者になれたのには、この最強の痛み緩和術も一役担っているだろう。人は、他の動物では到底到達できない新天地に進出し生息範囲を広げていった。その道中では巨大な山脈や大海原、極寒の地や灼熱の大地もあったが、そうした厳しい環境下でも人がお互いに触れ合うことで苦しさを和らげ、勇気付けられ、先へと進むことができた。どんな過酷な状況でも手に手を取り合うことで次の一歩を踏み出せたのだ。

 だから、あなたも目の前に苦しむ人がいたならばそっと触れてあげてほしい。あなたのその手は全知全能のいかなる神よりも、その人を癒してくれるはずだ。