ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

正解のない生き方

前回のブログで、学会のシンポジウムで講演することになったと書いた。今日はその講演内容を講演前に一足先に公開してしまおう。というわけで今回の話は、心臓や病気のこととは関係のないゴリゴリの生物学の話である。

 おいらは今から15年ほど前、鹿と大仏で有名な奈良公園で植物の研究をしていた。奈良公園で植物の研究なんて全くイメージのつかない人もいるかもしれない。しかし、奈良公園は実は日本国内の中でもシカが最も高い密度で生息している極めてユニークな地域であり、それゆえに植物が鹿からの採食を逃れるため巧みな防御戦略を進化させているのだ。だから植物の進化を研究する場所として、これ以上にないほどもってこいの地域なのである。おいらは、その奈良公園を舞台にした研究で、植物が”小さくなる”という防御戦略を進化させていたことと、小さくなったがゆえに待ち受けていた悲劇的運命を明らかにした。

 

小さくなる(矮小化する)植物

 最初に述べたように奈良公園では著しくシカ密度が高いために、植物は何らかの防御戦略を備えていなければ、すぐにシカに食べられてしまい公園内で生存し続けることは極めて難しい。よく知られている防御戦略は、体の中に毒を持つ(化学的防御という)方法や、葉や茎に沢山のトゲを生やす方法(物理的防御)がある。その他、植物の体の一部にアリを住まわせてアリに守ってもらう生物的防御というものもある。ところがおいらが奈良公園を散策してみると、これらのどの防御戦略も持っていなそうな植物がたくさん生育していたのだ。実際それらの植物を引きちぎってシカに与えてみると、特に嫌がるでもなくシカくんやシカさんやシカちゃんは食べた。

 その中の一つにイヌタデという植物がいた。イヌタデは、田んぼの畦道などにごく普通に生育する特に珍しくもない植物である。おいらはイヌタデを以前から知っていたので、奈良公園に生育するイヌタデの個体を見た瞬間、今まで知っている形態とはあまりにかけ離れていて目を疑うほどだった。最初は同じ種とは思えなかったが、植物に詳しい別の研究者とも確認しどうやら奈良公園独自の形態なのではないかと考えた。そしてその後詳しく研究した結果、奈良公園に生育するイヌタデの個体は、他地域個体と比べ葉長や茎長が40〜50%も縮小した矮小形態を示していることがわかった。さらに、種から発芽させて育てた個体も矮小形態を示した。つまり、矮小形態は遺伝する特徴なのであった。また、矮小形態の個体と他の地域から取ってきた通常の形態(矮小化していない形態)の個体を奈良公園に移植して何日か観察すると、通常形態の個体はすぐに食べられてしまったが、矮小形態はなかなか食べられずに生き残っていた。矮小形態は被食を回避する上で確実に有効な戦略なのである。

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矮小化したイヌタデに待ち受けた悲劇的運命

 少し話が変わるが、トゲをたくさん生やして防御している植物には、シカが近寄ることすらない。触れただけで痛いからだ。この状況は、トゲ植物が想定しない副効果を生むことになった。実は、トゲ植物自身のみならず周囲にいる(防御手段を持っていない)他の植物もシカから守ったのだ。こうした効果を間接的防御作用と呼び、これはこれで面白い研究テーマとして注目されている。

 もちろんおいらもそんな面白い研究テーマをほっておくはずがない。そこで、奈良公園で生育していたトゲを持つイラクサという植物が間接的な防御作用を示すか、つまり他の植物も守っているかを調べてみた。ちなみに、他の人の研究で奈良公園イラクサは、トゲ防御をさらに強力に進化させており、他の地域と比べて50倍以上もトゲの数が多いのだそうだ。だから奈良公園で迂闊にイラクサを触ったりすれば地獄を見ることになる。おいらは調査中にお尻や腕や顔など何度も触れてしまいベソをかきながら調査していた。

 そうして、散々痛い思いをして入念に調査を行い、イラクサもトゲを強力に進化させたのだから、さぞ劇的な間接防御作用が証明できるだろうと期待した。ところが様々な手法で調査データを分析してみても、イラクサイヌタデに対し間接防御作用をほとんど示さなかったのだ。それは、皮肉にもイヌタデが鹿から身を守るためにい進化させた矮小化が原因であった。本来植物同士は、光や土の中の栄養や水を巡って争う敵の関係にある。当然、トゲ植物とその他の植物の間でも競争が起きているわけだが、防御作用はそれを上回る利点がある。しかし、イヌタデは矮小化したことで、イラクサからの恩恵を享受できなくなってしまったのだ。つまり、イラクサから防御作用よりも競争作用の方を強く受ける羽目になったのである。このことはおいらが行った野外移植実験で確かめることができた。おいらは、他の地域から通常形態(矮小化していない形態)のイヌタデ個体を持ってきて、トゲ植物のイラクサのすぐ隣に植えてみた。すると、通常形態の個体はイラクサの隣で鹿に食べられることなく無事生き残った。ところが、矮小化している形態(奈良公園に生育している個体)を同じようにイラクサの隣に植えてみると、枯れてしまったり成長が悪かったのだ。こうして、イヌタデは矮小形態になったがゆえに、かつては保護してくれていただろうトゲ植物イラクサが恐ろしい競争相手に変貌してしまったのだった。

 この話を聞いて、じゃあイヌタデはどうすればよかったのか。小さくならなければよかったのか、と思う方もいるかもしれない。しかし生物の生存戦略には最適な正解がない、というのが実際のところであり、この話のメッセージでもある。環境や状況が変われば、今まで最適だった戦略が不都合になるかもしれないのである。イヌタデにとって、鹿のたくさんいる奈良公園という環境では、小さくなることは生き残る上で正解である。しかし、奈良公園の中でも隣にイラクサがいるという特別な状況では、小さくなることが不利に働いてしまうのである。全ての環境や状況に最適な戦略はない。これが生物の非常に面白い宿命なのだ。