ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

都心で見た震災:前編

まもなく東日本大震災から10年になる。テレビでも連日特集番組が放送されており、もうすでに多くの人々によって語り尽くされた体験談ではあるが、おいらもあの日の体験を記しておきたい。

 おいらは2011年3月11日のあの時間、東京駅にいた。北海道で開かれた学会から帰る途中で、飛行機で羽田に着き、電車を乗り継いで東京駅の新幹線改札口に着いたところだった。改札口で、東京都内で別行動をしていた妻と子供と合流し、一緒に新幹線に乗って帰る予定となっていた。

 地震は、改札口で妻と子を待っている時に発生した。その揺れは過去に経験した地震とはまるで違っていた。大型フェリーに乗って大波に揺られているような重たい揺れだった。建物全体が傾いたのではないかと思えるほどで、天井は液体のようにグニャグニャとたわみ、その場にいたほとんどの人がしゃがみ込み壁や柱にもたれかかった。

 しばらくして揺れが収まると、さほど混乱はおきず人々は元の行動を再開し始めた。お土産やお弁当を買っている人もいた。おいらはガラケーを使っていたため、携帯でネット検索したことはこれまでほとんどなかったが、この時ばかりは情報収集のためネットに接続してみた。巨大な地震が起き、東北の海岸全域に10m以上の津波警報が出されていた。ただ事ではないことを感じ、ともかく妻と連絡を取ろうとしたが、すぐ電話もメールも不通になった。

 妻と子が今どこにいるかすらもわからず、どうやって連絡を取れば良いかしばらく悩んでいたと思う。しかし、滅多に使わなかったネット検索をしたことが功を奏した。ウェブ画面上の一番上に「災害伝言板」というアイコンが見えたのだ。アイコンを押し、指示に従って電話番号を入力すると、なんと妻がメッセージを書き込んでくれていた。妻と子は無事で、東京の隣の神田駅にいるとのことだった。おいらは、「そっちに迎えに行く」と伝言板に書き込んで神田を目指し歩いた。

 東京駅から神田までは1kmほどと近く、すぐに着いた印象がある。しかし神田駅は人々で溢れており、この中から妻と子を探すのは至難だった。人々は電車の運行状況を確認するため、構内で叫び続ける駅員のアナウンスを聞いたり、詰め寄ったりしていた。おいらは、今日はもう電車は動かないだろうと予想し、ともかく妻と子を見つけ安全なところに避難することを目指した。

 妻と子とどうやって出会えたかは正直思い出せない。ただ、あまり探し回ることなく、比較的簡単に出会えた記憶がある。会えて一安心すると、幸いおいらの実家がここから10kmほどにあったため、歩いて向かうことにした。当時まだ4歳だった息子を連れて、そんなに長い距離が歩けるかはわからなかったが、ともかく今は実家に向かうしか手段がないのだ。地震発生から合流して実家に向かい始めるまでの流れは、奇跡的なほどスムーズだったように思える。とはいえ、地震発生から2時間以上経過した。

 一話でまとめるつもりだったが、なるべく正確に書き記していくと長くなってしまった。続きはまた近日書き記したい。