ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

フォンタン術後の長期死亡要因

昨年、フォンタン患者の長期予後に関する論文が新たに発表された。

Tarek Alsaied,Jouke P Bokma,Mark E Engel,Joey M Kuijpers,Samuel P Hanke,Liesl Zuhlke,Bin Zhang,Gruschen R Veldtman. 2017. Factors associated with long-term mortality after Fontan procedures: a systematic review. Heart 103: 104-110.

大変興味深い内容だったので読んでみたのだが、難しくてあまりよく理解できなかった。わかった部分をおおざっぱに解説すると次のような内容だった。

 論文はレビュー論文(新たに実験してデータを取ったりするのではなく、先行研究の論文を沢山調べてこれまで発表された知見を整理する論文)。数ある論文の中からいくつかの条件を満たす28の論文(6707の患者のデータ)についてまとめた。

 その結果、6707人の患者のうち、1000名が死亡した(平均年2.1%の死亡率)。フォンタン術後の死亡要因は、35種類に分けられた。そのうち特に要因として多かったのが、*心不全(heart/Fontan failure, 22%)、*不整脈(16%)、*呼吸不全(15%)、*腎疾患(12%)、血栓症(10%)であった。このほかに、*フォンタン術を1990年以前に受けた人、左心低形成症候群(または、*解剖学的に右心室が体循環を担っている人)、*7歳以上でフォンタン術を受けた、*APCフォンタンの人、*術後ドレーン留置が長かった人、フォンタン圧が20mmHg以上、左心房圧13mmHg以上、*不整脈、*心不全血栓を持つ人、*蛋白漏出性胃腸症、鋳型気管支炎、*肝硬変、*低ナトリウム血症、*BNPが高い人などである。(*印はおいらが該当する要因)。

 この論文でも改めてわかるように、おいらは死亡リスクの高いフォンタン患者であるようだ。だから、今こうして比較的元気に生きていられるのは奇跡的なことかもしれない。実際、おいらの親は昨年の地獄入院のときの様子を知っているだけに、奇跡だ奇跡だと今だにいっている。でもこの程度で奇跡は終わらせたくない。今はまだ就活中、リハビリ中で、人並みの日常生活を送れていないけど、いつか定職に就き、仕事をして給料をいただき、家族を養い、休日や趣味を楽しみ、という生活を送ってやるのだ。障害施設連続殺傷事件以来、障害者は社会に不要などという意見も耳にするが、このおいらが不要でないことを証明してやるのだ。グレートな研究成果をあげて、人類に貢献するのだ。それは夢のような話だけれど、今までこんなに奇跡的な人生を送れたのだから、これからも奇跡が起こるんでないかい、と淡い期待を抱いているのである。

障害は自己PRになるか

ここ最近のおいらの主な活動は、就職活動である。つい先日も、筆記試験と面接を受けてきた。来週もまた、面接を受けに遠方へ赴く。就活では、おいらは病気のことを正直に打ち明けることが多い。応募書類に書いたり、面接のときにも話したりする。しかし、現実には病気のことを話してしまうと不合格になる可能性が高いだろう。もちろんあからさまにそんなことをすれば障害者差別になるだろうが、職務内容に体力が必要な業務が明記されていることも多く、暗に断られていることがままある。だから、病気のことは話さず応募しようかと毎回悩む。実際、応募書類に健康診断書などを求められなければ、表記する義務はない。自分に不利になるようなことはあえて書く必要はない。

 だが、病気は酒癖が悪いとか変な性癖があるとかと違い、欠点とはいいがたいところがある。それに、おいらの先天性心疾患は一生ものであり、なくなることがない。だから、もし採用されて働き始めれば早々に分かってしまうことだろう。あとで分かってこんな人とは思わなかったといわれても、やるせない。それに病気と知らず、体力的に無理な仕事をいろいろ頼まれてもできない。そんな訳で、後でお互いに後悔しないためにも、あらかじめ知ってもらった方がいいだろうと思って話している。

 応募書類には、できるだけ病気を持つことがプラスになるように書いている。たとえば、病気があることで人とは異なる経験をしたとか、独自の考え方が身に付いたとか。あるいは、業務内容が障害と関係づけられば、その点をアピールするなどだ。たとえば、里山創成学の研究職では、障害者にとっても生活しやすい里山創成をめざすなどとアピールした。

 残念ながらいまのところ採用には結びついていない。客観的に考えれば、おいらのように半年近くも入院したり、しょっちゅう通院したり、一日中働くのがしんどいような人物を雇用したいとは思わないだろう。今おいらは、フルタイムの職ばかり応募しているが、実際にフルタイムで働けるか不安がある。週5で40時間が基本で、ときには残業や出張、休日出勤もあるだろう。今のおいらの体力ではとてもこなせそうにない。そうなるとパートタイムの比較的楽な業務の職しかないが、そういう職は給料も安く、とても妻と子供3人で食べていかれない。現実的にはフルタイムの職は、障害者本人にとっても雇用側にとっても厳しいのである。

 おいらは、週5日・一日8時間、集中して勤務することは土台できないと諦めている。だから、8時間のうち人一倍集中する時間を作り、その時間で一日分の成果が出せるよう努力していきたいと思う。そして、目指すはおいら独自のオリジナルな仕事のスタイルを確立し、その職場で唯一無二な役割を果たせるようになることだ。障害者は意外にもそういう役割を演じやすい存在だと思う。たとえば、すごく単純なことだけど、仕事中ちょっとお茶して休憩しようとかは、障害者だからこそいいやすい特権に思う。その延長で、残業はやめよう、休日出勤もやめよう、もっとのんびり仕事しようなんてことも障害者だからこそ説得力を持っていえるかもしれない。障害者は、今問題になっている長時間労働、過労、ブラック企業を解消する救世主になるかもしれないのだ。だったら、なおさら企業側からすれば、障害者は厄介者かもしれないね。

デスゾーン

 世界には、標高8000mを超える山が14ある。8000m以上の環境は、酸素濃度が地上の約3分の1となり、これまで多くの登山家が死亡してきたため、「デスゾーン」と呼ばれている。その死亡率は、多くの山で5%以上になっているそうである。デスゾーンを攻略し、意識が朦朧とする中、山頂に立った登山家には、神々の姿が見えすらする。

 新年に入り、おいらはステロイド剤(プレドニン)の服用が8mg/日に減量された。ここ数年8mg以下に減量すると、蛋白漏出性胃腸症が再発し、入院して再び40mgほどに増量というのを繰り返してきた。昨年の地獄入院もまた、8mgへ減量した後に起きた。だから、8mgはおいらにとってデスゾーン突入なのである。さらに今回は、利尿剤とハイゼントラも合わせて減量した。つまり、以前より水分が溜りやすくタンパク補給が少ない状態での突入である。まるで、無酸素で8000m峰登頂を目指すようなものである。

 今のところ、まだ体調は良い。利尿剤(ニュートライド)をなくし、多少おしっこの量は減ったもののそれなりにでている。浮腫んだ様子も感じられない。しかし、一方でステロイド離脱症状に当たるような症状もでてきている。倦怠感、関節痛、気力の低下、寒気、異常な眠気、胃腸のもたれ。だから、決して油断してはいけない。

 寒い冬の時期でのデスゾーン突入は、特に危険が大きい。ただでさえ、寒さで心臓の負担が大きく体調が悪くなりやすい。これまでも冬期に体調を崩し入院することが多かった。だから、8mgへの減量は春になるまで待った方がよいとも考えた。実際、医師はもっと早くから減量したそうだったが、とりあえず年明けまでは様子が見たいということで先延ばししてもらっていた。しかし年明け最初の診察で、医師はもういい加減減らしたそうだったので、挑戦してみることにしたのだ。

 ちなみに今年は、おいらは本厄の年である。そんな年にデスゾーン突入はかなり薄気味悪いが、厄年は悪いことばかりではなくいいことも大きく起こるぶれの大きい年なのである。もしかすると、ここ数年失敗し続けたデスゾーンをついに攻略し、そのまま良い体調を維持できるかもしれない。ここ半年の回復ぶりからは、それを十分期待できる。離脱症状で意識が朦朧とする中、デスゾーンを突破し、おいらも神々の姿を拝みたい。

入院最高!

この年末、サンタさんからファミコンが贈られてきた(息子に贈られたものだけど)。おいらの手元にファミコンが来るのは子供の頃と合わせてこれで2度目になる。おいらの子供時代1980年代はファミコン全盛期だった。しかし、ファミコンは当時は高く、おいらの家は厳しい教育だったので、ファミコンを買ってもらうなど夢のまた夢だった。

 そんなころ、おいらが8才の1984年に二度目の心臓手術を受けることになった。今後フォンタン手術を受けるための前段階として肺動脈形成術である。入院中は親も親戚も知人も皆とても優しくしてくれる。そしてほしいものがあれば、買ってきてくれたりもした。ここぞとばかりファミコンをおねだりしたかったが、子供ながらに遠慮してしまい、おいらはゲームウォッチをねだった。ゲームウォッチとは、今でいうnintendo DSのような携帯型ゲーム機のことで、ゲームのソフトを換えることはできず、1つの機械に1つのゲームだけが遊べるものである。また、液晶画面に表示できる絵柄はデジタル時計のようにあらかじめ決まっていて、基本的に単純なゲームしかできない。

 しかしそれでも、退屈きわまりない入院生活を送るには、ゲームウォッチは最高のアイテムに思えたので、しつこくおねだりした。そしてついに親が買ってきてくれた。ところが、病室に現れた親の手にはゲームウォッチにしては大きすぎる紙袋をぶら下げていた。紙袋から現れたのは、ゲームウォッチの100万倍すごいファミコンだった。一体何を勘違いしたのか、親はファミコンゲームウォッチだと思ったらしい。一緒に買ってきたソフトはパックマンとワープマンという、どちらも今からするとかなり地味で単純なゲームだった。とはいえゲームウォッチに比べれば、圧倒的な差がある。フルカラーで自由自在な操作性、耳に残るBGMに強烈な効果音。アーケードゲームもやったことがないおいらにとって、初めて手にする本格的なゲーム機は凄まじく衝撃的だった。

 ファミコンはおいらだけでなく、周囲の人も一瞬で虜にしてしまった。同じ病室に入院している子たちはおいらのベッドに群がり、すぐに噂は広まり別の病室からも子供たちが押し寄せた。当然こんな状況を看護師さんは許すはずはなかった。わずか2日ほどでファミコンが禁止され家に持って帰ることになったのだった。結局すぐに退屈な入院生活にもどり、見かねた親が本来ご所望のゲームウォッチを買ってきてくれた。すでにファミコンの衝撃を受けた後では、ゲームウォッチはかなり色あせてみえたものの、家にファミコンがあるのが楽しみで、なんとか入院をのりきった。

 そんなわけで、今でこそ入院は地獄であるが、このころのおいらは「入院最高!」とほざいていた。今たとえファミコンがやり放題だとしても二度と入院はしたくはない。それに、最近の入院では、パソコンにゲームをダウンロードしたりブラウザゲームを立ち上げたりしていくらでもやっていたが、それでも死ぬほど退屈だった。

 8才の手術から退院したあとは、すっかりファミコン少年になり、友達とファミコンをしまくった。どんどんとファミコン中毒となり、お年玉でゲームソフトを買い、普段は遊ばないクラスの女子からもゲームソフトを借りたりした。ときには、友達の家にゲームソフトを借りにいって、友達がいないとその兄弟や親にお願いして借りたりもしたが、あとでその友達が怒り狂ってやってきた。ともかくゲームへ対する欲望がすごく、ゲーム中毒がおさまったのは中学になって友達がスーパーファミコンとかを手にするようになってからだった。今度は、おいらの家にそうした次世代ゲーム機はやってこなかった。

 それから約30年後、再びおいらの元にファミコンが登場したのだった。今ではレトロゲームと呼ばれ、ファミコン世代のノスタルジーに浸るためのアイテムにすぎないともいわれているが、それでもやはり実際手にすると嬉しい。初めてファミコンをしたときの衝撃、本来地獄であるはずの入院を最高といわしめるほどの感動が、よみがえるようであった。子供の頃のワクワク心躍る気持ちが思い出された。さすがに、今は子供の頃のように何時間でも飽きずにはできないが、小一時間やるには今でもとても楽しめた。そしてノスタルジーのない息子にはレトロすぎてつまらないかと思ったが、意外にもめちゃめちゃはまっていた。息子と二人で大笑いしながらファミコンをしていると、なんだかとても幸せに満ち足りた気分になれた。だから今も昔もおいらにとってはファミコンをしていると生きててよかったと思える瞬間なのだ。

体調、神ってる。

ここ数年、年末年始のころはいつも体調が悪かった。そのためか、気分も落ち込み年が明けてもとてもめでたい気分にはなれなかった。今年の初めもまた気分が落ち込んでいて、それが祟ったのか地獄入院につながった。しかし、今年は違う。極めて体調が良いのだ。タンパクも下がっていなそうだし、むくみもない。腰や背中も痛くなくなった。寝ていて息苦しくもならず、寒気もなく胃腸のムカムカや吐き気もない。夜は、今までは2時間おきに起きてトイレに行っていたのに、最近は5、6時間まとまってぐっすり寝れるようになった。なんとも気持ちいい。昨年の今頃と比べると奇跡に近い回復ぶりである。同じ体とは思えないほどだ。

 体調が良い理由は、とんでもなくぐうたらに無理せずのんびり過ごしてきたからかもしれない。地獄入院の反動で、退院後は徹底して自分を甘やかしてきた。仕事は週2回ほどで、お昼もたっぷり休んでときどき昼寝もした。紅茶や炭酸水で至福のひと時を満喫した。桃、梨、ぶどう、リンゴ、みかんなど果物を好きなだけ食べた。ただし、無理をしないのが原則なので、食べ過ぎや飲み過ぎには気をつけた。極めつけは、サンタさんからファミコンミニをプレゼントされたことだ(息子に贈られたものだけど)。ファミコン世代のおいらには、たまらないものがあり、息子と一緒にゲラゲラ笑いながらやっている。

 でも、今こうして元気に過ごせるのは、家族や医師や看護師さん、職場の人々の助けがあったからに他ならない。だから、その恩返しに、今年以上に自分を甘やかして元気に過ごそう。いや、仕事を頑張ろう。来年はいい研究成果をだすよ。

SW=生物多様性

おいらは、生物多様性を研究している。なぜ生物は多様なのか。どうやって多様性は維持されるのか。多様であるとなにがおこるのか。おいらにとって、生物多様性はなんとも不思議な存在であり、なぜか魅力的なのだ。

 おいらが、生物多様性に興味を持ったのは、ほかでもなく映画STAR WARSのおかげである。そのためではないが、スターウォーズは最も好きな映画でもある。スターウォーズの魅力はあげればきりがないが、中でも映画に登場する生物多様性がすごい衝撃的であった。それを象徴するのが、第一作目エピソード4の酒場のシーンである。主人公ルークとオビワン、それにロボット2体が、自分たちを運んでくれるパイロットを探しにモス・アイズリー宇宙港を訪れる。そこで、優秀なパイロットがいるという悪党がたむろす酒場へ入っていくのだが、酒場の中には銀河中のさまざまな生物が集まっていたのだった。次々と画面上に現れる怪物のような生物たち。だれしもが、人間と同じように振る舞い、ある者は楽器を演奏し、ある者は酒を飲み会話を交わしていた。話す言語も様々だった。ごぼごぼと雑音にしか聞こえない言葉もあった。なんて宇宙は広いんだろう。宇宙のどこかにはこんな世界があり、様々な生命体がうごめいているのかもしれない。フィクションとはわかっていても、その壮大さに完全に心を奪われたのだった。

 地球上では我々人類が生命の頂点に位置すると錯覚してしまう。最も知的で、他のあらゆる生物に多大な影響を与え、他のあらゆる生物ができないことを成し遂げる。しかし、スターウォーズの世界では人間は一種族にしかすぎない。そこがまた魅力的だった。地球外に生物がいるかは、今はまだわかっていない。いる可能性は示唆されているものの、いたとしても微生物のようなものだろうとも予測されている。だとすれば、人間のような生命体は宇宙の中で他にいないのだろうか。それはなんだかとても寂しい。人間はロケットで宇宙空間に飛び立つことができるようになったが、まだその距離は地球からほんのわずかな範囲に限られる。到底、他の惑星に行って新たな生物にであうことはできそうにない。だとすれば、別の惑星から宇宙船にのって地球に訪れる生物がいてほしい。だから、UFOや異星人の目撃談もまたおいらはとても興味があるのだ。スターウォーズは、そんなおいらを夢を叶えてくれる映画だった。

 地球上の生物多様性は、その意義について科学者によってさまざま議論されている。おいらも生物学者の端くれとして、生物多様性の意義は理解しているが、正直そんなこととは全く関係なく、こどもの頃初めて酒場シーンをみたときのあまりの興奮と衝撃が未だ忘れられないのだ。生物多様性に触れるとそうした興奮や衝撃がよみがえり、心が躍ってしまうのである。なんだか面白くて仕方がなくなってしまうのだ。

狂った食欲

大分間があいてしまったが、地獄入院の話を再開しよう。できればこれで最後の話にしたい。

今日は食事の話である。食事は医療以上に病気の治療に効果がある。だから病気持ちの人、病気の予兆がある人、そしてもちろん健康の人も食事を決して舐めてはいけない。食事次第でどれほど健康になれるか、人生を楽しく生きられるか、が全く違ってくる。健康維持のための食事というと、多くの人は栄養バランスばかり注目してしまう。しかし、それは本質的に間違っている。そして、入院中にだされる病院食は、栄養バランスだけをみれば最高の食事である。しかしそれは完全に間違っている。

 地獄入院中のおいらの食事は、以前にも少し触れたように、胃腸の負担を極力減らすためまず絶食から始まりその後ジュース・スープの汁だけメニュー、激マズ栄養ドリンク、ミキサー食へと変化していった。その後は刻み食になり、徐々にお粥が固くなり、最終的に固形の食事になった。ただし、心臓や腎臓への負担を減らすため、塩分、タンパク質、水分が制限され、肝臓や消化管の負担を減らすため脂肪が厳しく制限された。どの制限が一番きついかは甲乙つけがたい。それぞれ特有の苦しみがある。まず、塩分。もともとおいらはこどもの頃から家庭が薄味だったので塩分制限は比較的苦にならなかった。しかし、ほうれん草などのおひたしが一切味がついていことがよくあり、これはなかなかつらかった。また、おかずの量に対し米の量が多いので、薄味のおかずではご飯をさばききれないのである。タンパク質は、消化したときの老廃物が多く、それを尿とともに排出するために腎臓に大きな負担がかかる。普通の成人男性なら一日70−90gが推奨されているが、おいらの場合は20−30gに制限されていた。タンパク質は意外にもお米にも結構含まれている。麺類などはさらに多い。だから麺類は一切でなかった。また、お米で大半のタンパク質を取ってしまうため、おかずには肉類がほとんどなかった。でてくるのは1cm角の角砂糖くらいの大きさの肉切れが2つ、3つといった具合だった。脂質はエネルギーが大きいだけでなく、料理を抜群に美味しくする。だから、中華料理、イタリア料理、フランス料理など大抵の料理にはたっぷり使われている。またアイス、ケーキ、クッキー、ポテトチップ、チョコなどのお菓子にもたっぷりだ。当然おいらの食事にはこれらは一切でてこない。角砂糖サイズの肉はまるで紙で作ったようにパッサパさだった。なぜここまでぱさぱさにできるのか不思議なほどだった。例えば、鳥のささみや胸肉など脂肪分の少ない肉も、中の水分が逃げないよう調理すれば(例えば片栗粉をつけてゆでるとか)、パサパサせずに美味しくできる。しかしでてくるものは、水分も脂肪分も完全に抜けた状態の代物ばかりだった。それは水分制限がありただでさえ口が渇いているおいらには、拷問のような料理だった。パサパサで味もせず、唾液がでないため、いつまでも飲み込むことができなかった。小さな2、3切れの肉片ですら食べられずに残してしまうことがあった。おいらは食べ物を残すのはとても罪悪感があり、残すとさらに気が滅入った。苦しくて切なくて涙が出たこともあった。そして、水分制限はこれまでも何度も書いているように、頭の中が常に水分のことを考えてしまうほど、強い禁断症状がでてしまうものだった。

 これだけ制限があると摂取できるものはかなり限られてくる。特にエネルギーを得るためには、炭水化物、糖分だけがほぼ頼みの綱となってしまう。そのため、これらの制限とは裏腹に、異常に甘い食べ物をともかく食べさせられた。糖質制限ダイエットをしている人からすればうらやましいかもしれないが、実は糖質は脂質や塩分やタンパク質と一緒にとるから美味しいのである。ケーキにはたっぷりの脂質が、お肉やラーメンや揚げ物には塩分、脂質、タンパク質がたくさん入っている。糖分だけというのは、アメとかゼリーとかジュースしかなくなってくる。おいらは、激マズ激甘栄養ドリンクや、アガロリーという激甘ゼリーを毎日食べさせられた。また、脂質の中では消化管に負担の少ない中鎖脂肪酸は摂取が許された。そのため、中鎖脂肪酸の油がたっぷりかかった、全然さっぱりしないぎとぎとのおひたしがでてきたりした。

 こうした食事メニューの一例を挙げると大体以下のようだった。朝はご飯、みそ汁、おひたし、卵焼き。昼は、ご飯、野菜炒め、サラダ、栄養ドリンク、激甘ゼリー、果物。夜、ご飯、煮物、肉または魚料理、おひたし。これだけ見ると、それなりの食事に見えるかもしれないが、ほぼ毎日これが変わらずに続くとつらかった。カレーやラーメンや揚げ物など夢のまた夢だった。せめて麺類やパンや辛いものも食べたかったがタンパク質や塩分が多くなるので、でてこなかった。次第においらは、食事することが苦痛になっていった。本来、入院患者にとって食事は一日の中で最も楽しみな至福の時間である。だから、毎食今日こそは美味しいものがでるとわずかな期待を抱くのだが、毎回裏切られ拷問に変わった。

 限界に達したおいらは、看護師さんや医者に食事を改善してもらうよう何度もお願いした。その結果、栄養士さんと面談することになった。だがおいらの食事は、栄養士さんにとっても極めて難しい献立だった。ほとんどの成分に制限がかかる一方、体力と筋力をつけるためそれなりのエネルギーを摂取する必要があった。カロリーの高い脂質やタンパク質をほとんどとれないため、頼みの綱の炭水化物などの糖質でできるだけカバーした。しかしそれでも、おいらの一日の摂取量は1400kカロリー程度にしかならなかった。理想的には1800くらいなければいけなかったが、とてもそこまで到達できずおいらの体重は一向に増えなかった。それに加えて、おいらのクレームが重なり、栄養士さんは相当追いつめられていただろう。でもおいらもまた拷問のような食事に追いつめられ必死だった。だから面談の際にはほぼけんか腰にあれこれと注文を付け、それでも改善しないと毎食の下膳の際に、要望をメモ書きし添えたりもした。栄養士さんはおいらとの面談が本当に嫌そうだったし、伝え聞いたところによると泣いてもいたそうだ。食事をめぐっておいらと栄養士さんは格闘していた。

 今冷静に客観的に思えば、申し訳なく思う。大勢の患者さんの食事も用意するため、おいらのためだけに手間ひまをかけていられないこともよくわかる。食事も治療の一環として、栄養バランスを最優先にしなくてはならないのもわかる。栄養士という立場からは最大限努力されていたことだろう。そして、おいら自身も体調が悪かったため味覚などが変化し、健康なときより食べ物が美味しく感じられなくなっていただろう。実際その病院の入院食は、数年前に入院した頃はとても美味しく感じられていた。

 食事は医療以上に病気の治療に効果がある。でもそれは、美味しいことが大前提で成り立つ。おいしい食事は栄養補給するという面だけでなく、生きる気力に直結するからだ。どんなに素晴らしい栄養バランスであっても、食べることが苦痛になるような食事では食べられない。仮に食べられたとしても、精神的にはとてつもないストレスがかかり、結局それが体の負担になるのだ。おいしい食事がとれないことは、死を予感する。死を願いすらしてしまう。おいらは人一倍食いしん坊かもしれない。妻に言わせると食に対する欲望が異常すぎるそうだ。食欲は、排泄欲、睡眠欲、性欲などとともに生理的な欲求であり、ある種本能的な欲望だ。それを生きがいとするのは人間らしくなく、あまりに個人的だ。人間ならもっと二次的な欲求、たとえば他人を楽しませたり幸せにしたり、社会に役立ったり、といった他人と共有できる社会的欲求に生きがいを感じるべきかもしれない。しかし、そうした人間性を見失ってしまうほど、おいしい食事をとれないことは苦しいものなのである。

 退院してかなりいろいろなものが制限無く食べられるようになったが、今でも食欲はすさまじい。暇さえあれば、インターネットのグルメサイトを検索し食べ物探しをしてしまう。日常生活でも今日や明日の献立で頭が一杯である。だから、食に対する欲望をそう簡単になくすことはできそうにない。せめて自分だけの満足のためではなく、家族や友人などと一緒に食べる楽しみを生きがいにしていきたいと思う。