ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

再び目覚めた小さな怪物:縦隔炎入院①-抗生剤治療編

 前回の記事から、一ヶ月以上記事を書かずに過ぎてしまった。この間、4週間弱入院していた。今回の記事は、その4週間弱の入院について記録したい。記事が書けずにいたのは、入院中であったからともいえるが、実際入院中は書く時間がたっぷりあった。しかし正直、精神的にかなり落ち込んでしまい書けずにいた。今日の記事もそうした精神面にはなるべく踏み込まず、まず事実をできるだけ淡々と記そうと思う。

 入院のきっかけは、3月から始まった。胸の正中にある手術痕の最上部のあたり、ちょうど胸骨の一番上の部分が腫れて痛み出したのだ。実は、6年前のフォンタン転換手術の直後にも同じ症状が出たことがある。

 その時の様子がこちら

susukigrassland.hatenadiary.jp

 

 そうした経験上、おいらは過去と同じ縦隔炎だと真っ先に疑った。もし縦隔炎なら治療は相当難渋する上、状況によっては命に関わる危険がある。だから、おいらは急いで救急外来に駆けつけた。そして残念ながら、後々おいらの予想は的中することになる。

 しかし、最初に行った救急外来では、大したことがないとそのまま帰された。その後数日でさらに腫れが膨らんできたため、ますます不安になり再び救急外来に駆けつけた。今度は確かに怪しいと外科の先生が集まってきて、腫れた部分に穿刺して排膿することになった。穿刺する時は、局所麻酔も結構痛いし2回刺すのは嫌でしょう、という謎の理屈に屈してしまい、麻酔なしで刺した。18ゲージ(太さ1.25mm)の太めの針を胸元に刺したので、当然ながらめちゃくちゃ痛い。インディー・ジョーンズ魔宮の伝説という映画で、呪いの人形で背中にナイフを刺されて悶え苦しむジョーンズ博士になった気分だった。

 なんとか排膿を終えると、腫れと痛みが和らぎ、次の外来まで抗生剤を飲んで様子をみましょうという方針で帰された。穿刺で取った膿は培養試験に出され、後日セラチア菌という種類が検出された。その菌は、6年前の縦隔炎と同じ種類の菌だった。おそらく6年前からずっと静かに潜んでいて、何かをきっかけに目覚めたのだろう。1000年もの間、ペジテ市の地下深くで眠っていた巨神兵のようだ。抗生剤を飲みつづけて2週間、腫れは再発することがなく、無事治ったかに見えた。しかし、抗生剤を辞めてから10日ほど経った頃だろうか、再び痛み出したのだ。

 おいらはまたすぐに救急外来に駆けつけた。そして今度こそ入院が告げられたのだった。飲み薬では効き目が弱く、少なくても2週間点滴で抗生剤を入れ続けることになった。そしてさらに悪いことに、CT検査の画像所見から、炎症部は表面だけでなく胸骨周囲とさらに縦隔内のペースメーカーリード周囲にも見られたのだ。もし、それらの炎症が菌の感染によるものであれば、ことはかなり厄介である。最悪、開胸手術をして胸骨を開き、縦隔内のリードやその他の人工物を全て取り除かないといけない。

 しかし、開胸手術はおいらにとって大変難しく危険を伴う手術になる。おいらの縦隔周囲は、過去の手術で癒着がひどく、容易には開くことができない。さらに肝臓腎臓機能が低下しているため、開胸手術に耐えられるかという問題もある。その上、リードを除去した場合、その間ペースメーカーをどうするかも難しい問題である。今あるリードを除去した後、新しいリードをすぐに設置すると、まだ縦隔内は菌で汚染されているため、また同じようにリードに菌が感染し炎症を起こしてしまう可能性が高い。だから、理想的には一旦縦隔内にはリードが完全にない状態にして、菌がなくなるまできれいにしてから、後々新しいリードを入れたほうが良い。そのためには、別の感染していない場所に、一時的にペースメーカーを設置するしかない。

 そんなわけで、開胸手術はリスクが非常に大きいため、なんとか開胸せずに治療しようという方針になった。そこで、炎症が起こり腫れている部分を数cmほど切開して排膿し、さらにその近くにある胸骨を止めているワイヤーを抜去する簡易的な手術をやることになった。ワイヤーはリードと同じく人工物であるため、菌の温床になるからだ。手術後は、傷口を縫って閉じるのではなく、過去の縦隔炎と同じように陰圧閉鎖療法を一か月続けた。この治療方法は、傷口をフィルムで覆って陰圧をかけ膿を吸引し続けて、また吸引することで肉芽の形成を促進させる治療法である。

 フィルムは週に2回交換し、その度に傷内部を生理食塩水できれいに洗浄する。洗浄するときは、食塩水であるため滲みて痛むことはないが、ガーゼで拭くために最初の頃は触れるだけでものすごく痛かった。やがて肉が形成されてくると痛みも和らいでいった。治療が功したのか、おいらの傷口は手術後は膿が出なくなり、きれいな色の肉芽が形成され徐々に自然と小さくなっていった。そして、入院開始から4週間弱たった頃、無事退院することができた。当初は予期せぬ入院な上、開胸手術の可能性まで示唆され、絶望的な気持ちになり相当落ち込んでしまった。恥ずかしながら、ちょっと気を抜くと涙が溢れてくることも度々だった。

 退院前日に、今後の治療方針について詳しい説明を受けた。まず、抗生剤の服用を3ヶ月から半年続ける。さらに予防的に低量の服用を年単位で続けるそうだ。そして、最後にこう告げられた。もしそれでもまた炎症が再発した場合は、次こそ開胸手術をしてリードを除去する必要があると。こうしておいらは、将来の恐ろしいリスクを抱えながらなんとか退院した。

 そして、今また入院している。残念ながら、退院後わずか10日ほどで炎症が再発したのだった。医師の予告通り、今度の入院は開胸手術を予定している。でも最初の入院があったおかげでその覚悟ができた。きっとおいらが覚悟を決めるために必要な時間だったのだ。それに、わずかな期間だったが退院できたことで、家族とゆっくり過ごすことができた。それもまた、気持ちを整理するのに必要だった。やり残したことはない、というと死ぬみたいだが、実際次の開胸手術は、死を覚悟して挑むつもりである。

 次回は、開胸手術の前までに、これからの予定についてできれば書いておきたい。