ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

20gに託された命

ペースメーカー(PM)が突然止まったら、おいらは一体どうなるのか。それは、5年前にPMを埋め込んだ時から、怖いもの見たさのような好奇心として、おいらの頭の片隅にずっと潜んでいた。図らずもその好奇心は満たされることになった。この1ヶ月半ほど、おいらを苦しめていた、だるさ、疲れやすさ、息苦しさ、心不全、極度の寒気、みぞおちの疼痛などの症状は、PM不全によるものだった。

 PMを埋め込んだのはフォンタン転換手術をした時で、手術後のおいらの心臓は自己心拍が40以下となっていた。その状態のままではすぐに全身がうっ血し、多臓器不全を起こしてしまう。だからPMで心拍を調節してあげる必要があった。PMの埋め込み方法としては、一般的によく行われるリードを鎖骨下静脈から挿入する方法と、その方法が何らかの理由で行えない場合として心筋に直接電極を固定する方法がある。おいらの場合はフォンタン転換手術と合わせて行ったこともあり、後者の方法がとられた。どちらがメリットがあるかはよくわからないが、後者はジェネレータを腹部に埋め込み、開胸手術によってリードを心筋に挿して固定する必要があるため、より難易度が高い。それはつまりリードを交換する際にも、再び開胸手術を行う必要があるのである。

 PMにはペーシング(刺激)とセンシング(感知)の役割がある。また、リードは心房か心室に一本だけ挿す(シングルチャンバー)と心房心室両方に挿す(デュアルチャンバー)の二種類がある。おいらのPMはデュアルで心房心室それぞれのペーシングとセンシングを行なっている(厳密にはその時の設定で異なる)。そのため、PM不全と一言でいっても、心房心室それぞれでペーシング不全(PMは刺激を送っているが心臓が反応していない場合)とセンシング不全(心臓の自己心拍をPMが感知できていない場合)がある。おいらの場合は、心房でのペーシング不全が起こっている状態だった。

 実は、おいらが将来心房性ペーシング不全になる可能性は、すでに埋め込み当時から予測できることだった。埋め込み時、おいらの心房の心筋はどこにリードを挿しても反応せず、反応する部位を見つけるのに相当苦労したらしい。後日妻から聞いた話では、手術の途中で執刀医が説明に訪れ、「もうどこも反応しなくて、ずっと胸を開いたままにしているんです」と困り果てている様子で、その外科医の目頭は長時間拡大鏡か何かをかけていた跡がくっきりと残り、皮膚がズルむけていたそうだ。そんなわけで、おいらの心房心筋は、土台からペーシングに反応しにくい状態になっていたのだ。ようやくなんとか反応する部位を見つけることができペーシングが機能したが、その後年月が経つにつれ反応が悪くなり、徐々に刺激電圧を上げて持ちこたえていた。

 今月6月の頭にいよいよ体調がしんどくなり、病院の救急に駆け込んだ。一通り検査するとやはり心房性ペーシング不全となっていたため入院になった。幸いその時もPMの電圧を上げる設定に変更したことで、反応するようになった。しかし、それから一週間後、また同じような不調が現れた。今度はペーシング不全に加え、センシング不全、さらに心房粗動まで発症していた。今度はPMの電圧を最大にしても反応せず、医師の顔からも明らかに落胆の表情がうかがえた。とりあえず心房粗動を電気ショックで止めて、その後また設定変更してみることになった。おいらが鎮静剤の眠りから目覚めた時には心房粗動も止まり、運よくペーシングにも無事反応するようになっていた。

 今現在、一応PMは機能している。しかし、最近の不安定な状況を考えると、いつまたPM不全に陥っても不思議ではない。医師の説明では、PM不全を回避するためには、抗不整脈薬を変えたりして不整脈が起きないようにする、アブレーションで不整脈を治す、あるいはリードを交換するしかないそうだ。電圧を上げ続けたことで、ジェネレータの電池もかなり消耗してしまっており、一年以内に交換が必要になった。しかし、新しい電池に交換しても、PM不全は解消できないそうだ。抗不整脈薬やアブレーションも不整脈を根治できるわけではなく、そもそも不整脈が起きなくてもPM不全になりうる。結局根本的にはリード交換しか方法がない。しかし、それには非常に困難な手術が待ち受けている。果たしてそれを引き受けてくれる外科医はいるのだろうか。おいらの運命はこのわずか20gの小さな装置にかかっている。

 

注) PMをPrime minister(首相)と置きかえると、とんでもない文章になります。