ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

エバーちゃん

 おいらの祖母が亡くなったのは、20年以上も前のことだ。おいらは、祖母が大好きだった。母方の祖母は、母が小さい時に亡くなっているから、ここでいう祖母とは父方の祖母のことである。

 おいらは、常に死を身近に感じながら生きているようなところがあるので、死に対してさほど恐怖はない。でもそれは、心のどこかで死んだらもしかしたらまた大好きな祖母に会えるかもしれない、という安心感からくるような気もするのだ。

 祖母とはおいらが小学校に上がる前までは、一緒に暮らしていた。小学校に上がる時、両親と姉とおいらが団地に住み、祖母が一人別の家に住むようになった。祖母の家は最寄り駅は同じだが、駅の反対側にあり、そうしょっちゅう行ける距離ではなくなった。だから、夏休みなどの休みの時に、おいらは一人で祖母の家に遊びに行って、何泊かお泊まりした。祖母に会えるのは、本当に嬉しかった。

 そのころの祖母は、和文タイプライターという大きな機械を家に置いて、仕事をしていた。子供だったから特に何も気にならなかったが、今思い出すととんでもない機械だった。何千字も並んだ文字盤から、一文字ずつ文字のタイプ(ハンコのような金属の型)を探し出し、ロールに巻いた紙にタイピングしていくのである。文字盤は文字の大きさやフォントによって違うため、専用の作業机の引き出しの中に、何枚もの文字盤が収納されていた。つまり、祖母の家には文字のタイプが何万個とあり、祖母はそれを全て覚えて、原稿に応じて使い分けていたのだった。

 おいらが泊まりに行った時も、祖母は仕事をしている時もあった。おそらく、締め切りが迫り立て込んでいたのだろう。それなのに、おいらが遊びに来ても全く嫌な顔せず、一緒に遊んでくれたり、お出かけしてくれたりしてくれた。たまに、おいらがタイプライターの文字を文字盤から取り出してしまったり、盤の別の位置に動かしてしまうこともあった。それでも、祖母はおいらを怒ったりしなかった。

 おいらが中学になる少し前、昭和が終わろうとする頃、両親が家を買い、再び祖母と一緒に暮らすことになった。と言っても玄関から全て別々の完全分離型の2世帯住宅だった。それでもおいらは、毎日祖母と会えるようになったことがすごく嬉しかった。実際、学校が終わるとほぼ毎日、祖母の部屋に行って、祖母と一緒に宿題をやったり、テレビを見たり、祖母が趣味でやっていた絵手紙を書いたりした。

 2世帯住宅になってからも、祖母はしばらくはタイプライターを使って仕事をしていた。でもある時からパソコンを使った仕事に変わり、パソコンの仕事も短期間でやらなくなっていた。そのため、使わなくなったパソコンで、おいらがゲームをしていた。

 2世帯住宅にすみ始めてまもなく、おいらの家庭は崩壊し始め、両親は離婚に向けて毎日争っていた。そのせいか、2世帯住宅の記憶は、意図的に消去したかのように、記憶が薄れてしまっている。だから、祖母や母や父や姉が、あの頃どんなふうに普段過ごしていたのか、ほとんど覚えていないのだ。ただ、時々家の雰囲気が悪くなってくると、夜に祖母の部屋に遊びに行って、祖母と一緒にテレビを見たりして暗い雰囲気から逃避していた。そして、おいらが大学に入る少し前だろうか。祖母は、おじさん(祖母にとっての長男)の家に引っ越していった。

 大学に入ってからは、おいらは一人暮らしを始めたため、祖母とも家族とも中々会わなくなった。祖母と最後に長い時間一緒に過ごしたのは、おじさんが企画してくれた阿蘇旅行だった。おじさんと祖母と、おいらと姉の4人だけの、ゆったりとした幸せな時間だった。

 おいらが大学院生のとき、祖母危篤の連絡があった。その晩は一睡もできず、祖母の棺に入れるための絵手紙を書いた。祖母は、風呂の湯船につかりながら、脳の血管が切れて眠るように亡くなったらしい。連絡が来た翌日、おじさんの家にいき、親戚一同で祖母にお別れをした。

 祖母の死後、親から生前の祖母について話を聞き、晩年の祖母はとても寂しい思いをしていたことを知った。2世帯住宅の頃は、おいらの家族だけで外食や旅行に出かけたりすることもあり、祖母は出かけていることすら知らされずにいたこともあったらしい。おじさんの家に引っ越してからも、祖母一人で過ごす夜が多く、一人でコンビニ弁当を食べていたようだった。亡くなった晩も一人で家にいて、風呂に入っていた。

 祖母は、おいらにまさに無償の愛で接してくれた。おいらが何をやっても起こらず、おいらを常に心配してくれて、おいらといつも遊んでくれた。おいらが入院した時も、何度も付き添いで病院に泊まってくれた。でもおいらは祖母に甘えるばかりで、祖母を気遣ったり心配してこなかった。晩年の祖母の寂しさを全く気づいてあげられなかった。小さい時も、祖母の仕事の苦労をまるで理解せず、自分勝手にお泊まりに行ったり、和文タイプライターにいたずらしたり、と邪魔してばかりだった。

 でも、もし死後祖母と再び出会えたとしても、おいらは祖母に謝りたいわけではない。むしろ、やっぱりまた遊びたい。祖母の前では、いつも嬉しくて幸せな気持ちでいたいのだ。そして、多分面と向かっては言えないだろうけど、おいらが子供の頃全く寂しい思いをせずにいられたのは、祖母ことエバーちゃんがいてくれたおかげだと伝えたい。