ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

読まれる学術書の書き方

昨年末行ったシンポジウムの講演の話を本にまとめるために、原稿を書いている。締め切りは8月末でまだしばらく先ではある。しかし、早くも書き終わるか不安で、常にそのことが頭の片隅にこびりついてしまっている。平日は仕事と家事で疲れてしまうため、書ける時間は休日のみ。でも、その休日も体を休めたかったり、体調が悪かったり、あるいは買い物に出かけたりして、なかなか書くことに向き合えなかった。そうこうしているうちに1月、2月、3月が過ぎ、いよいよ不安と焦りが膨らみすぎて抱えきれなくなってきた。このままでは、不整脈も再発しかねない勢いなので、ようやく先週から少しずつ書き始めたところだった。

 本は、専門的な研究の内容が書かれた学術書の扱いになる。しかし、渡された原稿の執筆要項には、「読まれる学術良書をつくりましょう」と大きく銘打たれ、ともかくわかりやすく読みやすく親しみやすい内容を心がけて欲しいとのことだった。言い換えれば、専門用語が羅列された超難解で硬い文章は、絶対にやめろということだった。「絶対にやめろ」はおいらが勝手に強調した表現であり、実際はもっとオブラートに包んで研究者のご機嫌を損なわないように説明してあった。だから、おそらくほとんどの研究者は、結局超専門的な学術文章を書いてくるだろう。実際、この学術書のシリーズの過去の本は、おいらが読んでも難解な専門的内容が少なくない。

 その点おいらは、圧倒的に有利である(自分で言うな)。おいらは人と話したり、文章を書くときは、常にわかりやすさを極めて重視してきた。このブログも、わかりやすい文章を書く訓練のために始めたところがある。ブログを書き始めて約4年。分かりやすさを追求した修行の成果が、ようやく今発揮されるのだ。

 それから、おいらの研究者として致命的欠点が、今回ばかりは有利に働くかもしれない。それはおいらは、そもそも超専門的な文章を書けないことである。超専門的文章を書くためには、当然ながら超専門的な知識が必要である。おいらには、語れるほどの超専門的知識がないのだ。だから自分の持っている浅い知識、幼稚な文章表現を頼りに、原稿を書かなくてはいけない。だからと言ってわかりやすい文章が書けることにはならないが、少なくても難解な専門用語を羅列することは避けられそうだ。

 研究者が超専門的な文章を書く理由として、読者に誤解を与えないように正確に表現したいからということを、よく聞く。専門用語には、厳密な定義があり、その定義を理解している人物同士であれば、誤解なく意味が伝わる。専門用語のもう一つの利点として、議論が効率的に速く進むことが挙げられる。専門用語を使わずに説明しようとすると、相当文字数が多く必要になってくるからだ。正確さと効率は、研究内容を深く議論しようとする上では、不可欠ともいえる。議論の内容がより専門的であるほど、正確性と効率が求められる。そうした場面では、言葉の意味を間違えたり誤解することは最小限にする必要があり、また次々と浮かび上がる新しい発想や課題についてテンポよく議論していくためである。

 しかし、今おいらが書こうとしている学術書は、最先端の超専門的な研究を議論する場ではない。むしろすでに終わった過去の研究、ある程度解明が進んだ研究の成果について、研究者ではない人々に向けて伝える場である。だから、正確性や効率よりも、わかりやすさや親しみやすさが求められているのである。にもかかわらず、結局超専門的な学術文章を書いてしまうのはなぜだろうか。

 おいらが個人的に感じているのは、わかりやすい文章を書くことが恥だという、研究者の間での暗黙の文化があるような気がしている。わかりやすい文章を書くことは、まさにおいらのように専門知識が足りなくて簡単なことしか書けないからだ。そんな恥ずかしさを感じてしまうのかもしれない。あるいは、より専門的で難解な内容を書くことで、自分はその専門に深く精通しているのだ、というアピールになるのかもしれない。こうして超専門的文章は知的でレベルが高い表現となり、反対にわかりやすい文章が幼稚で恥ずべき表現だとみなされるようになる。これはおいらの非常にうがった見方かもしれない。でも、今まで目にしてきた研究者の書いた文章には、どうにもそういう香りがしてしまうものが少なくないのである。そして、おいら自身の文章もどこかそうした匂いがしていそうで不安なのだ。

 だから、今回書こうとしている学術書は、専門的文章から香る研究者文化に対するおいらの挑戦である。もしかすると、おいらの原稿はあまりに幼稚な内容だ判断され、大幅に書き直しを要求されるか、酷ければ掲載不可になってしまうかもしれない。それでもいい。今オイラが表現できる最大級の分かりやすさを文章に込めようと目論んでいる。