ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

サッカー占い

いつの頃からかW杯の勝敗をタコで占うようになった。その先駆けは、おそらくドイツの水族館で飼育されていたパウル君というマダコで、2010年W杯のドイツ代表の試合結果を高確率で的中させた。今年のW杯では、北海道にラビオ君というミズダコがいて、日本代表のグループリーグ3試合の勝敗を占い、すべて的中させた。哀れなことに、ラビオ君はその後ボイルされて出荷されてしまったらしい。

 タコは、無脊椎動物の中では抜群に知能が高いことは確かだが、現実はタコがサッカーの結果を予想できるわけがなく、確率的に当たっただけの話である。そんなタコよりもはるかに知能が高いはずの我々人類でさえ、サッカーの勝敗を予想することは極めて難しい。大会前、日本代表の評価は極めて悪かった。多くの人が3戦全敗、よくて1引き分けと予想した。しかし、蓋を開けてみれば、1勝1敗1引き分けでグループリーグを突破する快挙を成し遂げた。今や逆に誰もが決勝トーナメント初戦での勝利を期待している。もし初戦で勝てばベスト8に進出し、日本代表の歴代最高順位になる。ラビオ君がいなくなった今、その結果は誰にも予想することができない。

 そんな国中が注目する戦いの影で、おいらもまたこの夏3つの戦いを計画している。近年では珍しく、おいらの専門分野でパーマネント(任期無し)の大学教員のポストが、3つの大学でほぼ同時に募集されているのだ。研究職を目指す以上、これは絶対に応募しなければいけない公募である。しかし、パーマネント職の公募は極めて厳しい戦いになる。時に1つのポストをめぐって応募者数は100人を超える時すらある。少なくても、30-40人ほどは応募してくるだろう。さらにその中には、海外を渡り歩いて研究力を磨き上げてきた猛者がいたりする。研究業績が桁違いに多かったり、Nature, Scienceといった世界最高レベルの科学雑誌に論文を発表していたりするのだ。一方、おいらはかろうじて研究員として働いている3流研究者にすぎない。猛者が日本代表レベルだとしたら、おいらはJ2の選手以下である(J2の選手に失礼ですね)。そんなわけで、誰も予想しているわけではないが、大会前の日本代表よりはるかにおいらの公募戦は負けが濃厚である。

 だがここは、日本代表と共に希望を持ちたい。きっと、日本代表の勝敗はおいらの公募の勝敗を占っているのだ。グループリーグは1勝1敗1引き分けだった。それはつまり、3つの公募に応募して、1つは書類選考を通過し面接に呼ばれ、一つは書類選考で落ちる、そしてもう一つは応募書類の完成度が低くそもそも負け戦だった、という予想なのかもしれない。1箇所だけでも書類選考を通過すれば、決勝トーナメント(面接)に進出できる。その流れにそえば、日本代表の決勝トーナメント初戦での勝敗が、おいらの面接での勝敗を占うことになる。

 おいらもまた、決勝トーナメント(面接)で勝利して採用に至った経験がない。これまで採用された職は、面接がそもそもないか、あっても対抗馬がいないものであった。対抗馬のいる面接に呼ばれたときも何度かあったが、いずれも負けた。だがこの夏は違う。こんなこともあろうかと、本大会で王者ドイツを破ったメキシコにあやかって、タコスやタコライスを食べまくっていたのだ。タコ違いだが、これでラビオ君の魂も受け継いだ。日本代表のベスト8進出とおいらの面接通過、そんなW快挙を夢見る熱い夏が始まった。

不戦の誓い

今日は、おいらの住んでいる南の島の慰霊の日だった。おいらがこの島に移り住んでから2度目の日である。昨年のその日は、プールに入ってアイスを食べて、のん気に遊んでいた。今年は少しでもこの島の歴史を学ばなければと、近所の図書館で開催している写真展を見に行った。しかしながら、この日は公共機関がお休みで、せっかくのおいらの意気込みも出鼻をくじかれてしまった。でも内心ほっとする面もあった。子供の頃から、戦争の惨状を写した写真を見るのが、とてつもなく嫌だったからだ。黒焦げの死体や火傷や怪我で血まみれになった人々。子供の頃に見たそうした痛ましい写真は、今でもトラウマになっていた。あまりに恐ろしくて、時々夢でうなされることもあった。

 4月から始まった島の戦闘は、日本側の組織的抵抗が終わるこの日まで約3ヶ月続いた。最初から戦闘は劣勢であったろう。ひたすら追われ続け、その間多くの人々が傷つき亡くなっていった。誰しも負け戦とわかっており、初めから降伏すればそんなに多くの人々が亡くならずに済んだかも知れない。でも、もちろんそんな判断を当時の軍隊ができるはずがない。捨て駒とわかっていながらも、時間稼ぎのために戦わなければならなかった。

 現代に戻って、おいらもまた4月から苦しい戦いが続いている。新年度から仕事の内容や量が増え、精神的・身体的にかなり疲労が溜まってきている。この一ヶ月は体調がずっと不安定で、職場でぐったりと横になるときも度々あった。幸い職場はおいらの病気に配慮してくれて、しんどいときはソファーなどで休むことを許されていた。でも、そうしてなんとかしのいできたものの、このまま無謀な戦いを続けていては、いずれおいらの命が持たなくなる不安がある。

 73年前のこの島の戦闘のように、全てが破壊されボロボロになってからでは取り返しがつかない。73年前の人々の命を取り戻すことはできないが、せめて今ある命を大切にしたいと思う。

恐怖の支配

凄まじい虐待事件が起きた。虐待という言葉ではもはや軽すぎで、拷問や殺人と言うべき事件であった。事件の詳細が明らかになるにつれ、あまりの惨状に多くの人がそれ以上聞くことが耐えられないほどであった。虐待を受けた少女の心境を想像することは難しい。おいらが想像するに、恐怖で完全に支配された気持ちだったのではないかと思う。

 恐怖は、人間を無力化する力を秘めている。しかし一方でわずかでも希望があれば、恐怖に打ち勝つ力が人間にはある。例えば恐怖から逃げ出す手段だったり、手助けしてくれる人々だったりといった希望だ。しかし、完全に孤立無援となり、一切の希望が絶たれた時、人は恐怖に抵抗する気力を失っていく。恐怖と絶望が一体となった時、人間は無抵抗に恐怖に支配されてしまう。

 おいらの恐怖体験は、やはり闘病に関わることが多い。子供の頃手術や入院をすることはとてつもない恐怖だった。親から入院の予定が告げられた日には、頭が真っ白になりなにも手がつけられなくなった。あらゆることに対し、気力を失いかけた。それでも乗り越えられたのは、家族の支えがあり、手術によってより元気になるという希望があったからだ。2年前の地獄入院の時は、危うく恐怖と絶望の沼に沈みかけた。一時期は死を望み、生きている方が苦しかった。がその時も家族という希望が救ってくれた。

 もしあなたの周りに恐怖を感じている人がいたならば、ただそっとその人の側にいてくれるだけでいい。きっとあなたの存在は、その人の希望になるはずだ。

Smoke Gets in Your Eyes

最近もまだ夜中に息苦しくなる。水分コントロールがうまくできず、水が抜けたと思ったらまたすぐに溜まり始めてしまうのだ。水による息苦しさとはまた違った感じで息苦しくなるものが、タバコの煙である。昔はそうでもなかったが、最近はちょっとタバコの匂いがするだけでも、呼吸困難になってしまう。もろに煙を吸った日には全く息ができなくなってしまうのだ。ふざけてドライアイスの煙を吸ったことがある人ならわかるかもしれないが、感じはそれとよく似ている。空気を吸いたいと思っても、肺に入っていかないのだ。

 そんなわけで、おいら自身はこれまで一度もタバコを吸ったことも吸いたいと思ったこともないが、受動喫煙はそれなりに浴びてきた。そもそも両親が子供の頃、普通にガバガバ吸っていた。家の中でも時には車の中でも。重度の心臓病の子供の前でタバコを吸うなんて、今考えれば虐待と言われかねないが、その時はおいら自身も全然気にならなかった。それにおいらには分からずも、両親なりにそれなりに気をつけていたかもしれなかった。

 次に煙を浴びまくったのは大学生の頃だった。サークルに入り、部室に行くとその中はいつも煙で充満していた。髪の毛も肌も着ている服も全身タバコの臭いがこびりつき、目はしみてヒリヒリし、いたるところがべたついた。今のおいらだったら即死するほど最悪な環境だった。だがその頃はおいらの黄金時代で、煙が充満する部室に何時間いても平気だった。つまり、それだけその当時のおいらの循環器系は正常で強かったんだなと改めて思う。

 近年は、喫煙に対する社会の意識が厳しくなり、ごく限られた場所でしか喫煙ができなくなってきた。だからおいらが煙にさらされる場面はほとんどなく、不意に呼吸困難になる心配はない。先日、大学時代のサークル仲間に10年近くぶりに出会った。大学時代はおいらの真横でタバコを吸っていた友人だったが、先日はおいらの病状を知っているのか、気を使っておいらの前では全く吸わなかった。それはとてもありがたい配慮である一方、煙まみれの大学時代がはるか遠い思い出であることを実感させて、煙はないのに目にしみるようであった。もしまたその友人に会う機会があれば、このジャズナンバーを一緒に演奏したいと思う。

フォンタンの暗黒面

おいらはまだフォンタンマスターへの修行が足りないようだ。初めて聞いた方のために、フォンタンマスターとは何か改めて説明すると、フォンタン循環を持ちながら、その体に最適な生活スタイルを会得して、長期間入院などをせずに体調を安定できる達人のことである。最もらしく説明したが、特に世の中に知れ渡った用語ではなく、スターウォーズジェダイマスターをパクっておいらが勝手に名付けただけである。

 ともかく、そのフォンタンマスターになるためには、体内の水分コントロールが最重要であることは先日書いたが、おいらはこの数週間それがうまくできずにいる。なぜか水分が徐々にたまり、いっときは安定時より3kg近く体重が増えてしまった。不思議なことに明らかに足や顔がむくむことは無かったため、逆にそれが判断を難しくした。浮腫みは無いにしても、水分が溜まると、顕著に体調が悪くなっていった。特にひどいのは夜中から朝にかけてである。寝ていると、夜中に息苦しくて目が覚めてしまう。しばらく体を起こしていたり、上半身を高くすると少し楽になる。心不全の人に多く見られる起坐呼吸という症状のようだ。横になっていると上半身に戻る血液量が増えて、肺がうっ血してしまい呼吸困難になるそうだ。体内の水分が多いほど、なおさら肺がうっ血しやすいのだろう。

 これがなかなか意外なほど苦しい。溺れているような苦しさになるときもある。空気を吸ってもうまく肺に取り込まれないのだ。息苦しいとなぜか水を飲みたくなり、そしてさらに水分が増えてしまう。息苦しさ以外にも、頭痛やだるさ、脱力感、暑いような寒いような温度わからなくなる感覚などが午前中にかけて続く。お昼を過ぎる頃にようやくこれらの症状が落ち着いてくる。体調が落ち着いたと思うと夕方には疲れが出始め、夕食後はすぐに横になりたくなる。そしてまた、夜中に目が覚める。ここ数週間、その繰り返しである。

 これまでの経験上特に不可解なのは、体内の水分が増えるほどより喉が乾く気がするのだ。なぜだかはわからない。でもそのせいで、体内の水分が多いほどより水を飲んでしまうという悪循環に陥るのだ。一度この悪循環にはまると、暗黒面に引き込まれたジェダイのように脱するのが極めて難しい。過去には、そのまま暗黒面に堕ちて入院する羽目になったこともある。しかし、何かのきっかけで急に利尿剤が効き始め、改善するときがある。なにが原因で水が溜まり始め、利尿剤がよく効くようになるのかは、まるで予想できない。今日は利尿剤がよく効いてだいぶ水が抜けた。でもその分気を許してたくさん飲んでしまった。己の欲に負け、ダークサイドに引き込まれるおいらは、フォンタンマスターからはまだ程遠いようだ。

日常生活活動が極度に制限されている人

引き続きおいらの命綱である社会福祉制度の話をしよう。障害者手帳や障害基礎年金には複数の等級があり、それは障害の程度によって決まる。例えば、障害者手帳の場合は、心機能障害には1、3、4級があり、1級が一番障害の程度が重い。それぞれは、自己身辺、家庭、社会とその活動レベルの違いはあれど、いずれもその活動レベルにおいて日常生活活動が極度に制限されるものという基準になっている。

 日常生活活動が極度に制限されるという基準は、あくまで健常者と比べての話だ。正直おいら自身はそんな極度というほど制限された生活を送っていないと思ってしまう。おいらは、生まれて以来障害を持った体で生きてきた。だから、日常的に息切れしたり、階段を登れなかったりすることも、それが普通と感じている。長年障害のある体に合わせた生活スタイルで過ごしているため、それが制限を受けているものなのかよくわからない。おいらにとっては、この体とこの生活が普通であり、それは極度に制限を受けている生き方とは感じないのだ。

 でも時々、もし健常な体だったら、どんな感じだろうかどれほど楽なのだろうかと思うこともある。もしそれを体験することができれば、おいらの今の生活が実際に極度に制限されていることを実感できるかもしれない。以前にもお話ししたが、おいらにも健常者とほぼ変わらない黄金時代があった。飲食の制限はなく、酒を飲もうが、脂っこいものを食べようが、大食いしようが平気だった。徹夜したり、登山したり、満員電車に長時間乗ったりもできた。研究のために、朝から晩まで生物の野外調査に出かけたりもした。現在はその全てができない。だからその頃と比べれば、確かに今は極度に制限された生活を送っていると言える。

 しかしやはり、今の生き方を極度に制限されていると捉えるのには、少し違和感がある。極度に制限されていると言われると、ネガティヴな印象を受けてしまう。なんだかとても虐げられた窮屈な生活を送っているようだ。毎日辛くて苦しくて耐え忍んでいるような気がしてくる。入院すれば確かにそんな日々になる。でも本当にそんな辛い気分で生活していたら、そう長く耐えられるものではない。いつか自暴自棄になったり、狂ったり、死にたくなってしまうだろう。でも、おいらの日常生活は虐げられてもいないし、辛くて苦しいわけでもない。制限はあるかもしれないが、その中でも喜びや楽しみを日々見出している。むしろ制限がある方が、ちょっとしたことに大きな幸せを感じたりもするのだ。健常者の視点から見れば、障害者は制限がある生き方にみえるだろう。では逆に、障害者の視点から見ると健常者はどんな生き方に見えるだろうか。制限のない生き方に見えるだろうか。

4本の命綱

おいらが障害者生活を送る上で、命綱とも言える4つの公的社会福祉制度がある。障害者手帳、障害基礎年金、指定難病医療費助成制度、そして住んでいる市町村による重度障害者医療費助成制度の4つである。幸いなことに、おいらは現在この全ての制度を利用できており、その結果、一時的な自己負担医療費は少なく、かかった医療費も後日全て返金され、さらに年金を受け取り、そして税の軽減、公共料金や公共交通機関の割引などの惜しみない恩恵に授かっている。それらのうち指定難病以外の3つがこの6、7月に更新時期をむかえている。

 新規にしても更新にしても、これらの制度を受けるには大体医師の診断書などを元にした審査が必要になる。それぞれは独立した機関によって審査されるため、一方が通っても一方が通らないことはある。例えば、指定難病に認定されれば、障害者手帳は必ずもらえそうな気がしそうだが、もちろんそんなことはない。難病であっても生活上に著しい制限がなければ障害者手帳をもらえないのだ。障害基礎年金は、障害者手帳の有無や指定難病であるかなどは問わないが、障害者手帳をさらに厳しくした基準で日常生活の制約度や安静状態を審査される。一方、市町村による重度障害者医療費助成制度は診断書は必要でないが、障害者手帳の等級で決定される。

 これらの制度を審査の厳しさから見ると、障害基礎年金>重度障害者医療費助成>障害者手帳>指定難病となるだろう。さてこれらの上位3つの更新時期が迫ったおいらは、継続できるかがかなり不安である。これらの制度を新規で申請した2年ほど前は、現実に酷い障害状態だった。とても働ける状態ではなく、入院していたか退院後もベッド上の生活が続いていた。それから奇跡的に回復し、昨年度から幸いに新しい職を得て仕事を始めることができるようになった。だから、客観的に見れば障害の程度は少なからず軽減していると診断されるだろう。

 ペースメーカーが入っていることもあり、障害者手帳は継続できるだろうが、等級が下がる可能性はある。そうなれば重度障害者医療費助成は受けられなくなる。さらに、審査がより厳しい障害基礎年金なんてとてもじゃないけど無理である。もう、回復して働けるようになったのだから、支援を受ける必要はないし権利もないと言われればその通りかもしれない。でもおいらにとっては、どれも切実な命綱だ。4つの命綱でしっかり支えられていることで、長く体調を維持し安心して働き続けることができている。綱が切れれば、経済的負担が増えるだけでなく、それを補おうと生活や仕事の面でどうしても無理をしなくてはならなくなり、結果無理がたたって体調が悪化する。そんなことを考えていたら、早くも夜中に胸が苦しくなり目が覚めてしまうのであった。