ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

移行期チェックリスト

先天性心疾患患者が大人になるとき、小児医療から成人医療への移行が必要になってくる。小児医療だけでは、成人特有の成人病などの病気や、フォンタン術後症候群などの後期合併症に必ずしも対応できないからだ。さらに患者自身の意識の移行も重要である。子供の頃は、病気のことは親や医者に任せっきりだが、大人になれば自分自身で責任を持って病気に関わらなくてはいけない。どんな治療を受け、いつ通院するかといったことは自分で決める必要がある。このように、小児医療から成人医療機関への移行と、病気の治療に対する責任を家族等から患者本人に移行すること、の2つの移行が、成人先天性心疾患患者が医療を受ける上で重要になる。

 そうした移行を支援するために、医療スタッフ(特に看護師さん)が用いる移行期チェックリストを検討した論文があったので、紹介したい。共著者の中には、おいらが大変お世話になった命の恩人とも言える先生方も含まれていて、治療を受けていた当時から移行の大切さを話されていたことを思い出した。

落合亮太ほか13名 (2017) 先天性心疾患患者に対する移行期チェックリストの開発, 日本成人先天性心疾患学会雑誌 6:16~26.

 論文では、国内に既存の4つの移行期チェックリストと海外の1例を参考に、新たな移行期チェックリスト案を作成した。作成にあたっては、それら既存リストの類似点を整理し、多数の専門家の意見を聞き取った上で、できるだけ少ない項目数で、より簡便に国内のどの医療機関でも使えるチェックリストを目指した。そうして、出来上がった案が以下15項目からなるチェックリストである。おいらの回答も加えて紹介しよう。全て、「はい」か「いいえ」で答えるものだが、詳しい回答も加えた。

 

1 今かかっている病院と医師の名前を言えますか。

  はい:ONセンター、S医師

2 あなたの主な病名を言えますか。

  はーい:両大血管右室起始症、フォンタン術後症候群、PLE

3   あなたが受けた主な手術の名前が言えますか。

  余裕:フォンタン術(APCフォンタン後、成人時にTCPC conversion)

4   現在飲んでいる薬の名前と主な効果を言えますか。

  Yes, I can: プレドニン、サムスカ、ワーファリン、スタチン、など20種類ほど。抗炎症、免疫抑制、利尿、こう血液凝固、コレステロール低下など。

5 現在飲んでいる薬について気をつけることを言えますか。

  だいたい:免疫抑制効果があるので、感染症にならないようにする。出血に注意する。脂肪を取り過ぎないようにするとかかな。

6 医師や看護師に自分で質問したり、質問に答えたりすることはできますか。

  いつも:うざいくらいにね。

7 できること、できないこと(体育・部活動等)について医師に確認していますか。

  まあまあ:するときもある。しないときもある。

8 身の回りの整理整頓や家事など、無理のない範囲で自分のできることは自分で行っていますか。

  当然:でも、配慮が足りず何かいつも欠けています。

9 感染性心内膜炎の予防方法を言えますか。

  あまり:虫歯予防は聞いたことがあるくらい。他は知らない。

10 受信したほうがいい症状と対処方法を言えますか。

  経験的に学んだ:胸が痛い、過剰にむくんだ、体重が増えた、すごくだるい

11 自分で外来受診を予約することはできますか

  あたぼーよ:でも、この間初めて予約した診察を受け忘れちゃった。

12 お酒・たばこを控える、十分に休息を取るなど、 生活する上で気をつけることを言えますか。

  ほぼ:酒タバコしてない。休み取りまくり。脂肪、塩分、食べ飲み過ぎを控える。

13 職業を選択する際の注意事項について主治医に確認していますか。

  してない:すでに仕事についてました。

14 異性とのつきあい方で注意することについて、ご家族や主治医と話したことがありますか。

  ありません:すでに結婚してました。

15 現在、利用している社会保障制度と、利用するうえで必要な手続きを言えますか。

  ようやく:障害者手帳特定疾患障害年金、重度医療費支給など。更新時期になると毎日のように役場通いです。

 

 このチェックリストは、これから成人になる中高生を対象に想定しており、おいらのようにすでに成人になりきった人が答えてもあまり意味はない。おいらのような成人は、全てはいと答えられて当然なのだ。このチェックリストは、自分の病気とそれに伴う医療を客観的に捉え、本人が主体的に関わっているかを問いているように感じる。移行期支援の役割としてはそれで十分であるが、もしおいらがもう一つ項目を付け加えるとしたら、以下の問いを加えたい。

「16 あなたは自分の心臓が好きですか。」

 答えは、はいでもいいえでもどちらでも良い。答えづらいかもしれない。はいであれば、病気をポジティブに捉えているとみなし、医療スタッフは患者に病状や治療法をより詳しく包み隠さず説明することができるだろう。いいえの場合は、受診の中断などのドロップアウトのリスクもあるため、周囲の支えや配慮が必要になるだろう。おいらも以前までは、病気から目をそらしたかった。あまり考えたくなかった。病気と向き合えるようになったのはここ数年のことである。それが移行の完了かはわからないが、そうなれるようになったのは家族やこの論文の著者の医師など、周囲の支えがあったからに他ならない。

注射が痛い部位ランキング

ここ何回か少し暗い話が続いてしまったので、たまにはくだらない小ネタ話でもしよう。おいらはこれまで身体の様々な部位に注射を刺されてきたが、その中で痛かった部位をランキング形式で発表したい。 

第10位 耳たぶ

 これは誰でも知っている通り、神経がほとんど通ってなくメスなどで切りつけてもさして痛くない。子供の頃の入院では、ほぼ毎朝耳たぶから毛細管採血法という方法で採血されていた記憶がある。

第9位 二の腕

 ハイゼントラを打つ部位の一つで、一度試したことがある。刺す時の痛さはほとんどなかったが、液が入っていくとそのうちかなり痛くなってきた。今回は刺す痛みのランキングなので、9位とした。

第8位 お腹

 同じくハイゼントラを打つ部位の一つで、おいらがハイゼントラを打つ時メインで使っている。特に脇腹のぷよぷよにたるんだところがよく、保冷剤で冷やした後で刺せばほとんど痛みはない。ただし打ち所が悪いと時に奥の方でズキッと痛む時がある。

第7位 モモの裏側

 やはりここもハイゼントラを打つの部位で、一回試した。刺す痛みはなんだか虫に刺された時のように少しチクっとする。しかし辛いのが輸液を入れている時で、徐々にすごく痛くなってくるので、もう二度と打つ気はしない。

第6位 腕

 腕は肘の内側から手の先に向かうほど痛みが強くなる。肘の内側は一般的に最も採血で利用される部位で、看護師さんはまずここを刺したがる。しかし、おいらの場合この付近の血管が細く採血がうまく取れることが少ない。たまに果敢に挑戦する看護師さんがいるが、大概失敗し血管を探してグリグリやられる羽目になる。上腕の中間に位置する辺りは血管が太くよく見えるので、点滴のルートを入れるのに最もよく使われる。痛みはそこそこあるがまあさほど苦しくなく我慢できる。

第5位 首

 滅多に刺す機会がないのであまり記憶がないが、肉がやわらかいためイメージするより痛くはない。ただ部位が部位だけに怖い。

第4位 手

 いよいよ苦行のレベルに入ってきた。手周りは肉が少なく骨に近いためどこもかなり痛い。だが意外にも、親指の付け根がかなり痛い。そこは比較的肉がたくさんあってたいして痛そうに見えないが、ズギーン鈍く重い痛みが走る。

第3位 足

 ここも手同様、肉が少なくかなり痛い。滅多に刺す機会はないが、血管が太いためたまにCT検査などで大量に造影剤を流し込む時などに使ったりした。

第2位 肋骨の近く

 肺の周囲に水が溜まった時に、一度刺した。麻酔をしたので痛みはそれほどではなかったが、それでも内部の肋骨近くを刺すときは流石にかなり鋭い痛みだった。医者曰く、骨の近くは特に痛いらしく、入念に麻酔が施された。

第1位 すね

 長期に入院していると、腕の血管のほとんどが採血や点滴の刺しすぎで使えなくなってくる。そうすると、足の血管を使うようになり、足の中でも特にすねの表面の血管を刺すのは痛い。肉がないので、刺すというより、ナイフで切られているような鋭い痛みが走る。

拷問級 鼠蹊部

 カテーテルをするときに使う。これまで何度も刺されてきたが、毎回悲鳴を上げるほど痛い。歯を食いしばり、ギー、ヒー、ウー、などと呻いてしまい、一度は過呼吸になるほど苦しかった経験がある。だからカテーテルはいつもものすごい憂鬱で仕方がない。

 

 全体に共通して言えることは、肉が少なく骨に近い部位ほど痛い。しかしこうした痛みの強さは絶対的なものではなく、その程度はかなり心理的な部分に左右される。怖い、痛い、と想像するほど痛みは増すのだ。だから、先天性心疾患者は、恐怖に打ち勝たなければマスターになれない。恐怖は暗黒面に通じているのだ。

植物の涙

おいらの住む南の島には、モモタマナという樹木種が島のあちこちに自生し街路樹としてもよく植えられている。名前は可愛らしいが、冬が近づくこの時期に大量の葉と果実を落とし、道路を好き放題散らかしてくれるやんちゃな植物だ。葉は、ホウノキのように丸く大きくツルッとした形をしている。南の島の植物としては珍しく紅葉して冬に落葉する。今年は最強クラスの台風がたびたび島を訪れたため、紅葉する間も無く10月にはすっかり葉を落としてしまった。だが、モモタマナは諦めなかった。11月になって、果敢にも再び新緑を出してきたのだ。島の冬空は意外にも灰色で寒々しい。その寒空の中、新緑の鮮やかな葉は不釣り合いではあったが、そんな姿もどこかやんちゃでいじらしく見えた。

 モモタマナの果実も非常に個性的で、大きさは5cmほどもあり楕円形で丸い。しかもただ丸いのではなく、一面に縁のような突起があり、どことなく船のような形状になっている。まさにその形には意味があり、モモタマナの果実は海水に浮くことができるのだ。その特徴を獲得したことで、モモタマナは太平洋上のあちこちの島々に渡りつき、そこで定着して分布を拡大することに成功した。生物学的に専門用語でいうと、こうした海を渡る植物のことを海流散布植物といい、モモタマナ以外にもハイビスカスの仲間のオオハマボウなどの種が知られる。海流散布植物は、熱帯域を中心として太平洋あるいは地球全域という超広域に分布しており、いわば植物の中でも最も拡散することに成功した種類とも言える(外来種も地球全域に分布しているものもあるが、それらは人が拡散させたものであり、己の性質だけで自力で拡散した種は、海流散布植物がダントツであろう)。

 そんな植物界の成功者も、その特徴故の孤独な運命を背負うことになった。海に浮いた長旅の末、なんとか新天地の島に着いたのは良いが、そこは大抵仲間の個体がいない孤独な土地だった。いくら海に長期間浮いていられるとはいえ、数百キロあるいは数千キロ離れた別の島から、新たな果実が流れ着く確率は極めて低い。来る日も来る日も待てど暮らせど、仲間の果実はたどり着かないのだ。やがて数十年あるいは数百年経つと、その島にはたった一つの果実から生まれた子孫たちがたくさん育っていた。その間他の島に生育する個体とは一切交流がなく、一つの果実の遺伝子だけが脈々と受け継がれていった。

 数千年の時が経ち、ついに遠い島から同じ種の果実が流れ着いた。だが、ある意味純血培養されてきた子孫たちにとって、遠い島からの果実はあまりに異端な存在だった。姿形は似ているものの、遺伝的にはもはや別種と言えるほど、遠く離れた存在になってしまったのだ。一方、数千年あるいは数万年の時の間に、もう一つの事件が起きていた。子孫たちの中に、変わり者の個体が現れ、島の環境により適した特徴を獲得していった。そうした変わり者は、島の内陸部にどんどん進出し、海に浮く果実という内陸では無駄な特徴を捨ててしまった。一方、多くのほかの子孫は、海岸周囲の狭い範囲に留まり、海に浮く果実を作り続けていた。そうして時が経ち、海流散布の種から島固有の内陸性の種に種分化していった。

 だが、海流散布の種と島固有に進化した種は、元は同じ一つの先祖から由来している。だから、外見や性質は色々違いはあれど遺伝的にはかなり近いのだ。こうして海流散布植物は、姿形はよく似ているが遺伝的には大きく異なる同種の個体と、姿形は違うが遺伝的には近い別種の個体に遭遇することになったのだ。彼らにとって、真に同じ種と言える個体はどちらなのか。海流散布植物は従来の種の概念では説明できない、宙ぶらりんな存在になってしまった。

 そんなことを思いながら、道路に散らばるモモタマナの果実見ると、どこかそれは彼らが流した大粒の涙のように見えてきた。モモタマナだって孤独は寂しいよな。でも君たちの流したその大粒の涙は、生命の奥深い歴史が込められていて本当に美しいよ。だから、これからも毎年道路を散らかしておくれ。

 

注:ストーリー性を重視するため、多少最新の研究知見とは異なる脚色をしているが、ここでは生物の神秘を楽しんでもらえたらありがたい。

赤い涙

もう何年も前から、血栓予防のためワーファリンを飲み続けている。ワーファリンは血液凝固を抑制し、血をサラサラにする効果があり、その裏返しとしてちょっとした出血でもなかなか血が止まらなくなるリスクがある。そのため、おいらは身体中に常に内出血痕が無数にあり、特に腕や脚に多い。お腹や腰、胸なんかにもよくできる。それらの多くは、衣服を着ていれば人目につかず気づかれないが、厄介なのは目の出血である。

 目は意外と出血しやすい部位のようで、ちょっと擦ったり、ゴミが入ったりすると毛細血管が切れて充血する。普通ならすぐに血が止まりちょっと赤っぽくなるだけで済むが、おいらの場合は血が止まらないために白目が真っ赤になるほど血が溜まっていき、数日すると眼球の表面に血が溜まった袋が飛び出てくるほどだった。見た目は今すぐ治療しないといけなそうなほどおどろおどろしいが、眼科で診てもらうと結膜下出血というほっといていい程度の症状だった。しかし、おいらの目に過剰に溜まる血には、眼科でも見抜けない本当の原因が隠されていた。

 昔一時期、毎日のように大泣きしていたことがあった。昔といっても、赤ん坊の頃や幼い子供の頃の話ではない。ほんの数年前のフォンタン再手術を受ける少し前の頃である。その頃のおいらは、絶望に打ちひしがれていた。その理由は明かせないが、心臓の調子が極めて悪いことだけが理由ではなかった。ともかく、悲しくて仕方がなく、ちょっと気が緩むと途端に涙が溢れ出した。入院していた時には、看護師さんや他の患者に見られないよう、病室や病棟を抜け出し人気のいないフロアに行って泣いていた。

 涙があまりに止まらないものだから、終いには水中にずっといるかのようにぼやけて何も見えなくなったりした。ある晩も泣き続けていた。やがて泣き疲れて眠りにつき、朝になった。しかし、目を開けることができなかった。なんとか差し込んでくる光を頼りに起き上がって洗面台に行き鏡を見ると、おいらの顔が今まで見たことがない状態になっていた。顔全体がパンパンに腫れ上がり、まぶたの間からはみ出るほどに眼球が膨らんでいたのだった。目玉の表面に薄い膜ができ、その中に水が溜まって、水風船のように今にも破れそうだった。流石にその時は悲しさより恐怖が勝ったのか、しばらく涙が止まりやがて水ぶくれは引いていった。しかし、一度水が溜まってできた袋はなくならないらしく、それ以来泣いたり、むくんだりした時にはいつも眼球に水が溜まるようになった。そして、血もまた、出血するたびにたまるようになった。

 もし目が異常なほど充血して血が溜まっている人を見かけたら、もしかするとその人もまたおいらのように過去に散々泣きはらしたか、パンパンに顔が浮腫んだかした経験がある人かもしれない。目に溜まる血には、幾分か涙も混ざっていることだろう。しかし、身体が自然と血を吸収して充血が癒えていくように、涙と絶望も諦めずにいればいつかは自然と癒えていくものだ。だから、真っ赤に充血した目は、絶望なんかに挫けないよという闘志に燃えた目でもあるのだ。

サードインパクト

世の中には第3とつくものが多い。第3世界、第3帝国といった世界の国々を分ける用語から、第3類医薬品、第3のビール、第3世代の〇〇(CPU、携帯電話など)などの商品や技術に関することにもよく使われる。とはいえ、3番目だったら闇雲に使われているわけではなく、第3と呼ぶからには3であることを強調するような意図があり、例えば第1と第2の主流にカテゴリーできないものであったり、あるいはまだこの世に存在しない理想であったり、誕生したばかりの新型のものであったりする。つまり、すごく簡単に言ってしまうと、どこか不安と期待の入り混じった未知の存在というわけである。昔から人々は3という番号に、不安と期待を感じていたようだ。「2度あることは3度ある」は不安の表れであり、「3度目の正直」は期待の表れとも取れる。ちなみに、不安と期待がこもった手術室やICUがあるのも、第3フロアである場合が多い(少なくてもおいらがこれまでに入院した病院は皆そうだった)。

 そんなおいらにも、期待はなく不安だけがつのる第3の闘病時代が訪れる兆候が出てきた。先週の診察で心房粗動を起こしていることがわかったのだ。すぐに緊急入院して電気ショックを受けることになった。電気ショックを受けた後は無事不整脈が止まり、心臓的にも身体的にも楽になったが、精神的不安は取り除かれなかった。その後の診察記録などから心房細動は9月初め頃から起こしており、実際おいらもこのひと月ほど心拍数が100ほどでずっと早い気がして気になっていた。そのため、何度か医者にその症状も伝えたりもしていたが、残念なことに見過ごされてしまった。先日の診察では心電図を改めて取り、ようやく発覚したのだった。

 不整脈が起こると心臓の機能が低下し、いわゆる心不全状態になる。この一ヶ月、血中タンパクが下がり続けた原因は不整脈だった。不整脈が生じると、血行動態が悪くなり他の臓器も機能低下を起こしてしまう。PLEは消化管のうっ血と機能低下が原因で、尿が出にくくなったのも腎臓に血が回らなくなったことが原因であり、最近足がよくつるのも足の血流が悪いためであった。一連の症状は全て不整脈に起因していたのだ。今回発症した心房粗動は、不整脈の中では比較的軽度ですぐ生命に関わるものではないが、それでも長く続けばこれほどの症状が目に見えて現れてしまう。今回は無事止まった。でもおいらが不安なのは、過去の経験から、不整脈がいずれなんども再発してやがて止まらなくなる可能性があることだ。

 5年前、フォンタン術後症候群の発症により、おいらの第2の闘病時代が始まった。その頃のおいらも、不整脈に散々苦しめられていた。それは日に日に悪くなり、しまいには毎日何度も出るようになった。そのため、2年間で電気ショックを5回、アブレーションを4回受けたがそれでも止まらなくなり、最後はフォンタン再手術(TCPC conversion)とメイズ手術、ペースメーカー埋め込みというこれ以上にない最終手段を使って、なんとか不整脈を鎮めることができた。その後3年間不整脈は発生しなかった。

 世界が秩序と平和を重んじる限り、第3次世界大戦は起こらない。おいらの心臓くんも不整脈という暴走をせず、安定した秩序で動き続けていれば、第3闘病時代は訪れない。第2次世界大戦では原爆という地獄が、おいらの第2闘病時代は消化管出血という地獄入院が最後に待っていた。もし第3次世界大戦が起きた時には終末核戦争が、おいらの第3闘病時代が起きた時は、いかなる手術や医療処置も通じない終末状態になるのは避けれられないだろう。世界とおいらの終わりである。でも、おいらはどちらの第3も絶対に起こらないと期待している。いや、期待どころか確信している。なぜなら、どちらも第1と第2の経験から学べば、確実に未然に防ぐことができるからだ。

はじける夢

 この一ヶ月は心身ともに苦しい時期だった。血中の総タンパク、アルブミン免疫グロブリン(IgG)の値がいずれも入院レベルに下がり、タンパク漏出性胃腸症の再発が強く疑われていた。プレドニンを6mgから8mg、12mgへとどんどん上げていき、ハイゼントラを打つ回数も増やした。しかし、それでも一向に改善しなかった。

 今までだったらこのレベルに達していたら入院するか、せめて仕事などの活動を控えめにして自宅療養するかしていた。でもどうしても休んではいられない事情があった。おいらの人生を決定づけるかもしれない正規の大学教員職採用の面接に呼ばれたのだ。面接は、自分の研究内容をプレゼンし、模擬授業も行う必要があるため、その準備にかなりの時間がかかった。平日の夜や土日に準備を進めたが、疲れてできない日も多く気持ちばかりが焦っていった。焦りはストレスとなって体に跳ね返り、夜も眠れなくなったり、体のあちこちがやたらとつるようになった。タンパクの低下もそうした心身の疲労が一因かもしれなかった。

 面接の場所は、おいらの住む南の島から遠く離れた内地のため、飛行機、新幹線、バスを乗り継いで行く必要があった。長旅は、不調の体にはあまりにも酷だった。少しでも楽に行こうと、わずか1時間の面接のために、ゆとりを持って往路・復路それぞれに丸一日をあて、2泊3日の旅程にした。今までだったら旅先でグルメやスイーツを貪ってしまうところだが、それでお腹を壊して体調を悪化させては元も子もないので、それも我慢してなるべく消化の良い食べ物を少量ずつ食べるように心がけた。それでも道中は疲れ切ってしまい、ホテルに着くとぐったりとして面接の練習もあまりできなかった。

 面接が終わった。面接の結果は後日知らされるため、現時点ではまだわからない。しかしおいらの感触では、まるでダメだった。プレゼンや模擬授業の準備不足や練習不足は否めなかったし、その後の質疑応答もうまく答えられずしどろもどろになった。面接官の顔からも失望感が浮かんでくるのが感じられた。体を酷使して面接に備え、妥協せず力を出し切ったとは思えるが、だからといって達成感はなかった。むしろ自分の限界が見えて哀しみが残った。

 唯一の救いは病気のことを話せたことだ。正直に言うと当初は話すつもりはなかった。やはり病気は採用に不利に働く可能性が高いからだ。しかし面接の会話の流れで、結果として病気を持っていることを説明する状況になった。病気を話したことでさらに評価は下がったかもしれない。先方は、野外での活動を積極的にやってくれる人を求めているようだった。でも、病気はおいらにとって極めて重要な要素なのだ。それを話さずにいることはおいら自身を偽っていることになってしまう。もし話さずに採用された場合、後々双方に後悔が生じる可能性もある。面接は散々だったけど、正直になれたことはなんだか清々しかった。

 正直の清々しさに取り憑かれたおいらは、これまで抑えていた欲望にも正直となり、面接会場を出ると近くにあった自動販売機で即コーラを買ってがぶ飲みした。正直と炭酸が合わさって清々しさが一瞬勢いよく溢れ出し、その後すぐに泡のように弾けて消えていった。その泡の一つにおいらの夢も入っているのかな。

水がへばりつきやがるぜ

 ここ最近、なぜか尿の出る量が減ってしまい、どうにも打つ手がない。普段であれば、朝食後の薬一式を飲んだ後は午前中に大量に出た。特に平日、職場で紅茶を飲むとカフェインの効果もあいまってか、30分に一回くらいの頻度で、しかも一回あたりの量も多く、じゃんじゃかとでた。しかし最近は、紅茶でも烏龍茶でも緑茶でも、何を飲んでも出なくなった。ちなみに、仕事のない週末や休日は紅茶を飲まないため、普段でも尿の出は悪く、毎週平日に体重が減り休日に増えるという周期があった。今は、紅の茶を飲んでも休日と同じ程度しかでず、豚のように体重は増える一方だった。

 そんなわけで、9月に入ってから体重は3kg近く増えてしまい、だるさ、息苦しさ、頭痛といった症状が出てきている。腹部や頭部も明らかに膨れてきてしまった。夜中も息苦しくて寝付けない。そしてついに二週間前の診察では、血液検査で血中タンパクが激減し入院レベルに達していた。そのため、緊急に点滴でプレドニンと利尿剤を投与し、プレドニンの服用も1日6mgから8mgに増加することになった。それから一週間。先週の診察では、入院レベルの危機状況からはギリギリ脱することができたが、体重の増加や尿の出具合は相変わらず非常に悪いままである。

 先日はなんとか入院を避けられたものの、このままでは確実に入院である。この危機を脱するには、医者からも止められているあの手を使うしかない。それは、隠し持っている強力な利尿剤を飲むことである。おいらはもうすでに普段から限界量に近い利尿剤が処方されている。だから、医者からは勝手に利尿剤を増やして飲まないよう釘を刺されていた。実際には、どんなリスクがあるのかはよくわからない。おそらく、長期的にはより腎臓を痛め、利尿薬の効き目を悪くし、いつかどんな利尿薬も効かなくなってしまうのだろう。

 そして、禁断の果実を口にした。駄目押しに、ものすごく濃く抽出した紅茶も飲んだ。薬と紅茶を飲んだ効果はてき面だった。尿が、止まらぬ勢いで出続けた。そのため、午前中はトイレと職場のデスクを行き来するばかりでろくに仕事にならなかったが、みるみる体が軽くなりポッコリお腹がへこんでいくのが実感できた。そして、全身を覆っていた倦怠感や息苦しさも水と共に流れていくように薄れていった。しかし、こうした急激な水抜きは当然ながら代償も伴う。まさに熱中症と同様ナトリウムなどのミネラルも流れてしまい、今度は急にめまいがし始めたのだ。水が溜まっても水が抜けてもしんどくなり、実にじゃじゃ馬な体である。

 おいらの体は、日常的に水面すれすれの低空飛行であるため、ほんのわずかな乱れで墜落しそうになる。しかし、そんな体だからこそいざ無事大空に飛び立つことができれば、世界は本当に美しく見えるのだ。