ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

我が生涯に一片の悔い無し

運命は残酷だ、とはまさにこんなことを言うのだろう。先日、知り合いが突然亡くなられた。その人も心臓ではないが重い病気を持っており、手術を受け、時々発作に見舞われていたという。予兆はなかったが、急に発作が起き亡くなられたとのことだった。まだ若く、いつも明るく優しく、将来有望な優秀な方だった。本当に残念でならない。

 健康な人にとっては、死は恐怖であり、生きることより死ぬことの方がはるかに難しい。しかし、重い病気を持つ人には、死は生きることより易しい。ちょっと怠惰な生活を送るだけで死が急激に近づいてくる。飲み過ぎ食べ過ぎをしたところで、健康ならそれで死ぬことはまずないが、おいらだったらそれで胃腸を壊して出血し、入院して寝たきりになり衰弱死なんてことは十分ありうる。現に昔、ドーナツ1つ食べて、その後一月入院する羽目になったことがあった。風邪などの感染症にかかってもそれがきっかけで、体調を急激に悪化することもある。死ははるかに身近なのだ。

 だから、突然発作が起きて死んでしまった場合も、周りの人から見ればあまりに急なことでも、本人にとっては突然には思わないだろう。ついに来たか、という感覚なのではないだろうか。遅かれ早かれ、いつか必ずやってくる出来事なのである。そうであれば、普段から最大限注意して、危険な状態にならないように過ごせばいいのかもしれない。だがそれではあまりに窮屈なのである。それに全く注意していないわけではない。むしろ日常的に注意し続けていて、それだからこそいつも死を身近に感じているのだ。

 でも、死がそれほど身近にあるおかげで、死はもはや恐怖ではない。死という命あるものにとってある意味最大の恐怖に怯えることなく、生きていけるのだ。そして、死の恐怖を克服すれば、もう怖いものなしの最強なのである。知り合いの方も、そうした超越した精神を持った最強な人だっただろうと思う。だから、おいらの勝手な想像だが、未練を残して亡くなられたようには思えないのだ。きっと天国で、生前身近だった人々を温かく見守ってくれていることだろう。