ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

先天性 x 成人心疾患患者になる

左側の腕や胸、背中にあった重く鈍い痛みは、不安の通り、心筋梗塞の兆候だった。発症後、たまたま数日後に先天性疾患の定期診察があったため、診察時にその症状を伝えて追加の血液検査をしてもらった。主治医の先生は小児循環器が専門なので、心筋梗塞などの成人の心臓病については詳しくなかった。だから、最初おいらが症状を説明した時は、心筋梗塞とは捉えていなかった。

 追加の検査結果が出た。診察室に呼ばれると、主治医の先生の他に成人の循環器科の医師や看護師がわらわらと集まっていた。心筋梗塞の疑いで、緊急入院してすぐ検査や治療が必要とのことだった。そこからは、もう怒涛のように事が進んでいった。ストレッチに寝かされて救急治療室に運ばれ、完全な安静状態に置かれた。

 検査と治療は、すぐに始まった。CT検査で大まかな病理部位を特定し、カテーテル検査でさらに詳しく診てそのまま治療する方針になった。検査の結果、冠動脈の一本が動脈硬化により細くなっていることがわかった。そして、その血管の末端の方で、血栓により血流が止まっていることが確認された。動脈硬化血栓の原因は、長年のステロイド服用である。ステロイドはPLEの再発を防ぐための特効薬ではあるが、その副作用は凄まじい。おいらはこれまでにも骨粗鬆症などの副作用に苦しんできたが、再びやられてしまった。実に恐ろしい薬である。ステロイドが具体的にどのように動脈硬化を導くかは、またいつか詳しく説明したい。

 カテーテル血栓吸引を試みたがうまくできず、最終的にバルーン拡張とステント留置で血管を広げる処置をした。金属ステントはそれ自体が血栓の発生源になるので、できる限り使わないほうがいい。しかし、今回はそれしか対応がないようだった。末端以外の血管も狭窄が進んでいたが、まだそれなりに血流があるため手をつけないことにした。ステント留置により、末端部分にも血流が行き渡るようになった様子が後日の動画説明ではっきりと分かった。

 処置としてはうまくいったが、カテーテル後発熱とCRP(炎症反応)の上昇、悪寒がでて、感染が疑われた。その日はICUで一晩過ごした。毎度のごとくICUでは時間感覚がおかしくなり、うとうとしているのに眠れず、時計を見るたびにほんの数分しか進んでいなくて時間が永遠に思えた。一連の治療は成人循環器の医師が行なったが、フォンタン型の心臓の構造に見慣れず、治療や検査に手こずっている様子だった。

 おいらにとってはあれよあれよの1日だったが、その間、職場や家族に大変迷惑をかけていた。職場ではおいらがいつまでたっても出勤せず、連絡しても繋がらず、相当心配されていた。最終的に妻からの経由で話が伝わったが、それも入院初日の夜遅くなってからだそうだった。その妻も、今回は子供のスキー留学の付き添いのため南の島から遠く離れた本土に住んでいたところだった。おいらはすぐに検査と治療に入ってしまい妻と話せずじまいのまま、病院のスタッフがあとで連絡を取ってくれた。妻は次の日の早朝の便で駆けつけてくれた。職場の方々にも家族にも、相当の心配をかけてしまった。急な発症とはいえ、数日前から前兆はあったので、事前に可能性を説明しておくことはできたはずだ。重度の心臓病を持つものとしては、配慮が足りなかった。

 そんな自分の思慮のなさに加えて、成人の心臓病という新たな不安を抱えたことで、正直気持ちが落ち込んでしまった。小児循環器の医師にとっても、成人循環器の医師にとっても、フォンタン術患者が心筋梗塞になった例は、経験がないそうだ。幸いこの病院は双方の循環器科があったため、お互いの知識を補って治療に当たることができた。その意味では、おいらはとても幸運だった。それにおいらのケースは今は稀でも今後増えるであろう症例の前例として、後世の医学の発展に少しは役立つかもしれない。それはそれでとても嬉しいことだが、やはりおいら個人にとっては病の未知の領域にどんどんはまり込んでいくようで、暗い気持ちになった。結局おいらはちょっと調子が良くなったと思っても、再び問題が発生し、その度に自分も辛い思いをするし、周囲の方にも大きな迷惑をかけてしまう。自分が情けなくて、惨めに感じた。病気とともにネガティブな思考にはまり込んでいった。

 そんな時、ふとテレビを見ると、パラリンピック成田緑夢選手がスノーボードで金メダルを取ったニュースが流れていた。そのインタビューで、成田選手は「目の前のことを全力で」ということを常に心がけていたという。単純だがその言葉になんだか励まされた。成田選手が障害を持っていることは関係がなかった。成田選手のいう目の前のこととは、日々のトレーニングとか金メダルへの目標とか、自分が今すべきはっきりした使命みたいなものを指すのだろう。そうした具体的な使命や目標に向かっている人は、いちいち些細なことに落ち込んだりしないのだ。おいらが落ち込んでいるのは、病気を理由に自分の目標を半ば諦めてしまっていたからだった。でも、それは本当は一番苦しいはずなのにひたむきに頑張っている心臓にとても失礼なことだ。おいらの目標は、正規の研究職に就き、研究を思う存分することである。現実的にその目標は、絶望的に厳しい。駄目押しに、入院中に論文の不採用通知が届いていた。病気とは関係なくおいらは研究者としての実力がないことが、突きつけられた。でも諦めずに向かっていくしかない。まあ、おいらの場合は、全力で向かうとかえって心臓を壊してしまうから、「目の前のことをほどほどに」という心がけで進んでいくことにしよう。

心臓は嘘をつかない

以前、おいらの心臓は、身に迫る危機を頭で考えている以上に正確に感じ取ることができる、と書いた。例えば、頭ではまだ大丈夫かなと思っている時でも、心臓の方が先にドキドキと動悸がして危機を感じ始めるのだ。ここ数日、狭心症のような症状が頻発している。左側の腕や胸、背中、首が重く鈍く痛むのだ。また、心臓の鼓動がとても強く高鳴る時がある。これらの症状は、狭心症の関連痛あるいは放散痛と呼ばれる症状によく似ている。おいらの心臓は、今何かに強い危機を感じているようだ。

 その原因はおそらく、ここ数日畳み掛けるように明らかになっていく政治に関する疑惑であろう。疑惑が解明されていくにつれ、この問題はあまりに衝撃的でこの国の運命を大きく左右する事件であることがわかってきた。それだけに、もし詰めが甘くて真相の解明が不十分であったり、責任の所在が曖昧のままに終わってしまえば、この国は偽りに満ちた世界になってしまうことは間違いない。今まさに国の未来をかけた究極的な状況にいるのだ。おいらの心臓の高鳴りは、その怖ろしい状況を極めて敏感に感じているようだ。

 心臓が高鳴り、苦しんでいるのはきっとおいらだけではない。他にも不安や恐怖や期待など様々な感情で心臓が高鳴っている人は多いだろう。何より今回の事件に関与した人物こそ、今心臓がとても苦しんでいるはずだ。そんな心臓が痛むような良心は持ち合わせていない、と思うかもしれない。でも、おいらは全ての心臓を信じている。心臓は正直だ。いかなる人の心臓であっても、頭とは裏腹に敏感に危機を感じ取るはずだ。そんな正直者の心臓くんが苦しんではなんだかかわいそうだ。だから全ての人の心臓が安らげるよう、どうか全真相がつまびらかに解明されることを切に願う。

偶然の予兆

 この数日、政治に関わる衝撃的疑惑が次々報道されている。もしかすると、長く人々の心に残る歴史的な政治事件になるかもしれない。この事件のように、おいらがこれまでの人生でリアルタイムで目撃あるいは体験した衝撃的なニュースを思い出していくと、ふと衝撃ニュースとおいらが受けたフォンタン手術にある恐ろしい繋がりが存在することに気づいたのだ。

 一つは、今から7年前の東日本大震災。あの日、おいらは東北の学会からちょうど東京駅に戻った時だった。駅構内にいるときに地震が起きた。まるで船底にいるかのような重たい大きな揺れで、それが逆に恐ろしかった。携帯のネットで調べると、東北の海岸全域に10m以上の津波予報が出されていた。胸が高鳴り、相当数の犠牲者が出ると瞬間的に感じた。事実は、おいらの想像をはるかに超え、絶望的な災害が起きていた。その頃のおいらはまだ体調が悪くなっておらず、その後フォンタン術後症候群で苦しめられるとは全く想像していなかった。しかし、震災から4年後、おいらはフォンタン転換手術を受けていた。

 もう一つ、深く記憶に残っているニュースは、1985年においらが入院している時に起きた日航ジャンボ墜落事故である。そのニュースは、夜病室のテレビで見ていた。中継のヘリが真っ暗な墜落現場付近を写すと、ところどころ炎の明かりが見えた。子供ながら胸が高鳴り、この時も相当数の犠牲者が出ていると瞬間的に感じた。この時の入院は肺動脈形成術を受けるためだったが、その後再び手術を受けることになるとは全く想像していなかった。しかし、それから4年後においらはAPCフォンタン手術を受けた。

 子供の頃のAPCフォンタン手術も、大人になってからのフォンタン転換手術も、どちらもその4年前に、胸が締めつけられる痛ましい事故や災害が起きていた。予兆と言うにはあまりに衝撃的すぎるが、フォンタン手術と運命的繋がりがあるかのようであった。

 もちろん実際は、全くの偶然である。ニュースもフォンタンもおいらの世界観を変えるほどの大きな出来事なだけに、何か運命めいた関係性を見出したくなるが、そんな関係は一切ない。現実には、阪神淡路大震災地下鉄サリン事件、アメリカ同時多発テロ福知山線脱線事故、など悲惨な事故・事件・災害は他にもたくさん起きた。それらもおいらの記憶に一生残る衝撃的なものである。フォンタン手術は、おいらにとってはそうした衝撃的な出来事とともに、生涯記憶に残るだろう。でもそれで良いのだ。たとえ辛い出来事でも、一生忘れないでおきたい。

データの力

現在国会で、裁量労働制のメリットを示すデータに誤りが指摘され、捏造さえ疑われている。あるいは、科学研究の世界でも、最近ではiPS細胞研究所での不正事件など、データ捏造事件が度々起きている。こうした事件が度重なると、データとは、結論に合うよう都合の良いところだけをうまく加工して取り出してきた、全くデタラメで信用のならないものだ、という印象を持ってしまう方も多いだろう。それはおいら達研究者にとって、ある意味死活問題になりかねない危機的事態である。研究においてデータは最も大切なものであり、データが信用されなくなることは、研究そのものに価値がなくなるようなものだからだ。

 本来データは、何よりも客観的に真実を映し出す力がある。どんなにああだこうだと論述して説得するよりも、正しいデータこそ最も説得力がある。科学論文では、データ(結果)に説明や考察を加えるが、それはあくまで読者の理解を助けるものに過ぎない。論文の考察を読まなくても結果の図表を見れば、その論文の意義や価値がわかる。

 それだけに、データの取り扱いは極めて厳格にならなければならない。1つのミスも出さない覚悟で、最大限の精度と正確さを求めなければならない。たとえ自分の示したい意図とは合わない不都合なデータだろうと、誠実に示さなければならない。それは科学研究者が厳守すべき掟のようなものだ。データを粗末に扱ったり、適当に扱うことは暴力である。デタラメにいじくったデータには、嘘と間違いしか生まれない。

 とはいえ、データを正しく取り扱うことは実は極めて難しい。大学院の修士・博士課程で徹底的にトレーニングを積んだ研究者でさえ、時にはデータに誤りを犯してしまう。徹底的にトレーニングを積んだオリンピック選手でさえミスしてしまうことがあるようにだ。だから、もし教育を受けずに適当にデータを取り扱えば、本人が意図するかしないかに関わらず、ほぼ確実に間違った結果が生み出される。

 データを正確に扱うことは極めて難しいが、それを実現できた時、真に説得力があり感動を与える結論を導くことができる。人々がオリンピックのメダル(結論)に感動するのは、その背後に確固たる技術と記録(データ)があるからだ。逆に言えば、誤ったデータを基にした結論は、全くもってなんの説得力も価値もないのだ。どんな結論を述べようと、データを見れば何が真実かははっきりわかる。だから、おいらはデータの力を信じている。

裁量休暇制

今国会で熱く審議されている働き方改革関連法案では、裁量労働制の適用範囲の拡大が盛り込まれている。裁量労働制が適用された労働者にとっては残業代なしで長時間働かされる懸念があり、定額働かせ放題だと批判されている。おいらがこれまで働いてきた研究職は、実質全て裁量労働制であった。おいらに限らず、現在大学で勤める教員、研究員はおそらく全員裁量労働制であろう。書類上は勤務時間が規定されていても、現実は勤務時間以上に働いている人がほとんどである。特に、大学教員ともなれば、規定上の勤務時間内は、授業、学生指導、書類書き、会議等に費やし、自分の研究に充てる時間はほとんどない。そのため、研究は勤務時間外にやることになる。任期付きの研究職の場合は、研究業績を上げなければ次の職につけなくなるため、勤務時間外だろうが研究をやるしかない。

 おいらは裁量労働制で働き続けてきたが、残業はほとんどしてこなかった(*)。定時に出勤し定時に帰った。土日祝日もしっかり休んだ。その結果という訳ではないかもしれないが、研究業績は少なく、40歳を過ぎた今でも正規の研究職につくことができないでいる。寝る間も惜しんで実験をして論文を書いていれば、多少なりとも終身雇用の研究職に就くチャンスはあったであろう。社会からは、負け組、3流研究者、無能と思われるかもしれない。でもおいらは働かないことで、もっと大切なものを守ってきた。自分の命である。

 おいらは裁量労働制をむしろ逆手に取って利用してきた。自由に働いて良いという条件をいいことに、体調がすぐれない時、疲れた時、病院に行く時などは自由に休んだ。午後から出勤、午前中だけ出勤などもざらにある。そのため仕事のノルマをこなせなかったり、担当していた業務を同僚に委任したりといったことも多々ある。先天性心疾患という極めて特殊な事情なゆえ、表立っておいらを批判する人はいなかったが、内心は使えないやつだと思った方もおられただろう。ある時は学生の研究指導をする立場になったが、ちょうど運悪く長期入院してしまい、ちゃんと見てあげることができなかった。入院中は携帯のメールで学生とやりとりしながら卒業論文を添削するのが精一杯だった。

 そんな不満足な働きぶりだから、正規の研究職につけないのは当然である。しかし、どんな批判を受けようとそれによって仕事がクビになろうと、これからも長時間労働は極力しない。最近は、かつてなく体調が良い。だから働こうと思えば多少は無理できるかもしれない。でもやらない。それはおいらの覚悟であり、宿命でもある。もしその覚悟が崩れて無理し始めれば、遅からず体調を悪化させ入院し、今度こそ寝たきりのままになってしまうだろう。そうはいっても、どうしても締め切りがせまり仕事が終わらない場面もある。その時は、諦めるしかないのだ。それは無責任なことではない。おいらが長く安定して働き続けるためにも、絶対に崩してはならない覚悟なのである。

 もし、働き方法案が可決して裁量労働制が適用されてしまったら、おいらのように覚悟を持って休めばいい。非難されたり、見下されたりするかもしれないが、言わせておけばいいのだ。無理して働き続けて死ぬ必要は全くない。あなたが生きていることをきっと誰かが望んでいる。その期待に応えるために、むしろ全力で休むのだ。

*残業しなかったとかっこよく書いたが、本当は元気だった頃は無理して働いていた時もあった。しかしその無理がたたり、不整脈が起こるようになりついにはPLEを発症した。その反省もあり、残業しないという覚悟を主張したいのだ。

クールな患者

連日、輝いて見えるオリンピック選手の中で、異色のクールさを醸し出す選手がいる。スノーボードハーフパイプ平野歩夢選手だ。まだあどけなさの残る顔立ちと今風の若者の風貌とは裏腹に、一貫して落ち着いた立ち振る舞いはサムライを思わせるようで、今世界中の女性を虜にしている。女性だけではない。男から見ても惚れてしまうかっこよさがある。おいらもまた、じわじわと彼のかっこよさに引き込まれてしまっている。

 スノーボードハーフパイプは、徹底してかっこよさ、クールさを求める競技である。おいらが初めてこの競技に興味を持ったのは、8年前のバンクーバーオリンピックを見たときだ。この時、圧倒的なトリック(技)を披露して金メダルを獲得したのが、今回平野選手と激闘を繰り広げたショーンホワイト選手であった。それまでハーフパイプという競技自体知らなかったが、初めてショーン選手を見たときあまりのかっこよさに鳥肌が立った。その時の彼の風貌は、パーマのかかった長髪とダボダボのデニムを履いていて、今の平野選手のような今風の若者だった。でも、それもまた技のキレを際立たせてかっこよかった。

 それから8年。王者ショーンはまさに王様の貫禄になった。髪は短く刈りそろえられて、渋みが増した。が、いざ競技を終えると大声で叫びながら、ヘルメットも投げ捨てて全身で喜びを爆発させていた。それに対し、平野選手は対極にあるような静寂を保っていた。全ての競技が終わり自分の順位がわかった瞬間も、一切表情を変えず静かに佇んでいた。そんな平野選手の姿は、最初はなんだか気取っているように見えたが、徐々にかっこよさが際立ってきた。ショーン選手の衝撃的なかっこよさとはまた違った、気品のあるかっこよさだった。女性じゃないけどキュンってなりそうだった。

 そういえば、おいらもつい最近、おいら史上最高レベルの検査結果を叩き出したじゃないか。IgG1272。平野選手がキメたDC 1260にちょっと似てる!でも平野選手は、その前にさらにレベルの高いDC 1440を2連続できめてるよ。ならばおいらも次はIgG 1400越えしてやるぜ。そして、これからはどんな痛い治療や検査も顔色一つ変えずクールに耐えてやる。こりゃ病院がざわつくね。

輝く人々

平昌オリンピックが開幕した。競技をしているどの選手も輝いて見える。この日のために人生の全てをつぎ込んできたかのように、全力で競技に立ち向かっていた。それだけに負けた時の悔しさも、勝った時の歓びも、想像を絶する感覚なのだろう。そのような超越した感覚を味わった選手たちは、どこか悟りを開いたかのように神々しく、輝いて見えるのだった。

 それに対し、今のおいらの日常は、よく言えばのんびりと無理せず、悪く言えばダラダラと怠けて過ごしている。選手たちのような緊迫した勝負の時間は一切ない。全力を注ぐようなことなど何もしていない。その日何をしたのか、なにを食べたのか思い出せないほど、何も考えず生きている。しかしそんなおいらも、以前は人生の全てをかけて全力で病気と戦っていた。フォンタン再手術をして手術後初めて目が覚めた時、想像を絶する痛みと苦しみが全身を襲っていたが、その全てを受け止めて耐え抜いた。だから手術から生き返って一般病棟に戻れた時は、嬉しいという言葉では簡単に表現できない感覚だった。病室の窓から差し込む光はあまりに眩しかった。生きているこの世界の全てが輝いて見えたのだ。

 その時のおいらの姿も、オリンピック選手のように輝いていただろうか。実際には顔はぶくぶくにむくみ、手足はやせ細り、身体中に点滴やドレーンが繋がれ、輝いているどころか、死にかかっているようにしか見えなかっただろう。しかし、おいら自身にとっては、本当に貴重な体験だった。人生を変える出来事だった。

 とまあ、自分の経験をオリンピック選手の姿と重ね合わせて美しく書き連ねてみたところで、おいらの経験は人々に感動を与えないし、おいら自身も願わくは二度と味わいたくはない。でも、オリンピック選手と共通することがあるとすれば、それは周囲の人々の支えがなければ今の自分はないということだ。その感謝の気持ちはいつまでも忘れたくない。