ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

まめに生きる

この冬もまた、年末から妻と息子が南の島を離れ、遠く離れた山国へスキーの留学に旅立った。おいらは3ヶ月間一人お留守番である。正直、爆発的に寂しい。年々一人でいることが寂しくなっている。入院をした時には、退屈さとあいまって昼夜を問わず寂しくてたまらなくなる。恥ずかしながら、枕を濡らすこともしばしばであった。

 かなしみや虚無感から脱するためには、どうしたらいいだろうか。楽しく派手なことをしたらいいのかな。贅沢なご馳走を食べたり、友人知人と遊んだり騒いだりしようかな。でもそうした非日常的な生活は、それが途切れた時返ってかなしみが増幅しそうだ。それにそんな羽目を外した生活をしたら、妻と息子を幻滅させるだけだ。

 何かこう一見地味でも、人様に恥じない真面目なことをすればいいんじゃないだろうか。そう考えながら、ふと台所の床を見ると、青大豆の袋が転がっていた。妻が買っておいたか誰かにいただいたものだった。これだと思った。豆を煮て保存食にして色々な料理に活用したら、なんかすごく健康的な感じがする。とはいえおいらは今まで豆を煮たことがない。妻が時々作ってくれていたが、長時間水で戻したり、煮た後に土鍋の余熱で一晩寝かせていたりして、随分と手間がかかっている感じだった。でも手間ひまをかけて丁寧に豆を仕込むなんて、食べること生きることにすごく丁寧に向き合っているように思えた。

 ネットで作り方を調べると、時間がかかるだけで意外と作り方は簡単だった。十分に時間をとって水で戻すのだけがコツのようだ。水で戻していく途中、早く戻らないかなと何度も何度も豆の様子を見にいった。少しずつ変化していく豆の様子がまたワクワクした。最初の一時間でシワシワになって、表面の薄皮が剥がれそうになってきた。もしかして、この薄皮は剥がした方がいいのかなと思い、何粒か剥がしてみた。中からは緑色のきれいな身が出てきて、すごく美味しそうだ。いっそ全部剥がそうかと思ったが、ネットでは皮をはがすようにとは書いてなかったので、不安になってやめた。

 危なかった。5時間後くらいには、中の身も水を吸って膨らみシワシワだった表面がなくなってきた。一方、薄皮を剥いてしまった何粒かは、身がボロボロに崩れてしまっていた。もし全部剥いていたら恐ろしい状態になっていただろう。8時間ほど水につけると、豆は最初の大きさの2倍以上に膨らんで、表面も綺麗にツルツルになった。その後は30分くらい煮て、妻をまねて土鍋に入れたまま余熱で一晩寝かせた。翌朝、豆の出来具合を見るのがたのしみで仕方なかった。一人になって半月。初めてかなしみを忘れて眠りにつくことができた夜だった。

 朝起きると、真っ先に豆に向かい何粒かスプーンにすくって味見した。うーん、予想以上の出来栄え。程よい硬さ。優しい塩味。ほんのりと香る大豆の匂い。特別うまくもまずくもない味だけど、豆本来の純粋な味。その煮豆を活用して、早速ひじきの煮物を仕込んだ。ひじきの黒に豆の緑色がまたよく映える。めちゃくちゃ美味そう。はあ、妻と息子にも食べさせたいな。そう思ったら急に二人のいない現実に引き戻され、鮮やかな緑色が滲んで灰色にくすんでいった。

命の品定め

最近、おいらの住む南の島のサンゴ礁を巡って、世界中を巻き込んだ論争が起きている。軍事利用のためにサンゴ礁が埋められる事態が迫っており、その保全が争点の一つになっているのだ。おいら自身は、生物学者の端くれとして保全を願っているが、生物保全の意義を科学的に説明することは実はかなり難しい。おいらの足りない知識で申し訳ないが、なぜ科学的意義付けが難しいのかをおいらなりに説明してみたい。

 生物学の一分野に保全生物学という分野があり、この数十年で急速に発展した。保全生物学の理論では、生物とくに生物多様性には、環境浄化、気候や生態系の安定化、生物資源の生産など、人類では到底達成できない莫大な価値があるとされる。これらは実際に多くの研究で実証されており、生物多様性を経済価値で評価すると恐ろしい金額になる。しかし、こうした経済価値を重視した視点では、経済価値のない生物種や生態系は破壊して良いという解釈もできてしまう。あるいは、その場所の生態系を保全した時の経済価値より、そこを開発して新たに生み出される経済価値の方が大きければ、開発して良いというお墨付きを与えてしまいかねない。それは生物保全という本来の目的からは、なんだか逸脱してしまう。

 生物多様性には経済価値とは別に、歴史的価値という考え方もある。人は、歴史上古いものには特別な価値があると感じる。それは失われたら二度と生まれない貴重な存在だからだ。例えば、国宝となっている建物や仏像などは、厳重に保全したくなる。それと同様に、生物種もまた地球が生み出した歴史の産物である。ある生物種が絶滅すれば、その種は二度と生まれることはない。だがこの考えにも保全上の限界がある。生物進化上古い時代に誕生した種は価値が高いが(例えば生きた化石と言われるシーラカンスとかイチョウなど)、比較的最近種分化した種は価値が低く扱われてしまいかねない(遺伝的に極めて類似した近縁種がいるため)。おいらの住む島には島固有の生物種も多いが、それらは残念なことに比較的新しく種分化したものばかりだ。だから保全上価値が低いなんて評価が下されかねない。

 もう一つ歴史的価値と類似するが、希少性というのも生物の価値の一つとみなされる。例えば、島固有種は世界中でその島だけにしかいない生き物であり、個体数も少なく極めて希少な存在である。我々の日常生活でも、限定品やらオリジナル品などは高いお金を払っても得たくなる。希少性は生物保全において重要な価値であるが、それを重視しすぎると、島など固有な生物が多い地域ばかりが保全対象になる。そのような場所は、大概面積が小さく他の地域と隔離されていて、地球全体の生物多様性に占める割合はごくごくわずかである。そこにコストをかけて重点的に保全すると、もっと大規模な地域の保全がおろそかになってしまい、結果として地球全体の生物多様性は大幅に減少しかねない。

 生物保全にかけられるコストは有限であり、全ての生態系をまんべんなく保全することはできない。そのため、どこにどれほど保全コストをかけるのかが難しい問題である。経済価値、歴史的価値、希少性、そのどれを重視するかで保全の手法や対象は大きく変わってくる。だから、今研究者にできることは、複数の保全案を提示することだけであり、どの案を選択するかは保全を実施する人(多くは行政などの実務者)が主観で決めるしかない。

 振り返って、島のサンゴ礁保全を考えると、経済価値、歴史的価値、希少性、いずれにおいても軍事的価値より高いように思えるが(少なくともこの島の人々にとっては)、賛成派の主張する安全保障や人命と比較されると、いかなる価値もそれより低くなりかねない。なにせ人の命は地球より重いのだから。ほら、答えが出ないじゃないか。でも、おいらが思うに人の命を心から大切に思えるなら、サンゴの命も大切だと思える気がするよ。だから、人とサンゴの命を天秤にかけるのは虚しいのだ。

親不孝な帰省

40才台になると、知人や友人に親が亡くなられる方が多くなってくる。それは悲しいことではあるが、親を見送れるのはある意味最高の親孝行なのではないかと最近思うようになった。すでになんども書いているように、おいら自身は50歳くらいが寿命だろうと予想している。幸いおいらの両親はまだ健在なため、きっと自分の方が親より先に逝く可能性が高い。しかし、おいら自身が自分の子供を持った今、子供が先に亡くなるのは親にとってすごく辛いことだと想像できるようになった。

 3年ほど前の地獄入院で死にかけた時は、親や家族にかなりショックを与えてしまったようだった。それ以来、親は精神的にも肉体的にも弱っていっているように感じる。今までは親の死に目を想像できなかったが、最近は少しずつ現実味を感じるようになってきた。そんなことを考えたら、年末くらい親に会いに行こうかなという気になり、明日から南の島を離れ帰省することにした。

 妻と息子は、この冬もスキー留学のため南の島を離れる。すでに数日前に島を飛び立って、留学先である山岳地域に移動していた。明日から親の住むところに皆合流して年末年始を過ごす。南の島に比べると、親の住む地域は30度近くも気温が低いので、寒さがとても不安である。そのため、冬山登山をするぐらいに防寒ウェアをリュックに詰め込んだが、恐ろしい重さになってしまった。一人で重い荷物を背負って飛行機、電車、バスを乗り継いで長旅をするのは、かなり辛い。寒さと重さと旅の疲れで、親を気遣うどころかおいらが看病される羽目になりかねない。

 しかし、そんな試練をかいくぐるからこそ、久しぶりに親や家族と再会できることが格別楽しみに思えてくる。なんてのは建前。本当の楽しみは、帰省先でのグルメや温泉を堪能することだよん。もう防寒ウェア以上に入念に調べて、行きたいお店をリストアップしたからね。さらに道中も口寂しくならないよう旅のお供のおやつも買い込んで、ますますリュックが重くなったよ。だから防寒ウェアを一つ抜いちゃったよ。

静と動

おいらの心臓は、生まれた時は静脈と動脈が混ざり合っていた。そのため、常に顔色は悪く、唇や爪は紫色、ちょっとした運動でも酸欠状態になり苦しかった。フォンタン手術を受け、その苦しみから解放された。静脈と動脈は混ざり合わなくなり、顔も唇も爪も血色の良い鮮やかな色に変わった。階段を登ったり、走ったり、とこれまでできなかった活動ができるようになった。フォンタン手術は、おいらの生き方を根本から変えるまさに革命的手術だった。

 南の島に移り住んで二年弱になる。この期間、おいらの人生は理想と現実がごちゃごちゃに混ざり合っているような感じだった。新天地で新たな研究に取り組み、そこで良い研究成果を残して正規の大学教員に就く理想に燃えていた。島の温暖な気候はおいらの心臓にもとても優しく、体調はみるみる回復していった。職場では、今までに経験がないほど人々に頼られるようになり、このブログでも多くの方々から励ましのコメントをいただいた。温かい人に囲まれてすごく嬉しかった。南の島に来る前は、一度は死の瀬戸際まで病状が悪化し、もう二度と研究も仕事もできないと感じていただけに、これ先明るい未来が開けるのだと夢見ていた。

 だが現実はそうした理想から程遠かった。新たな研究に取り組むこともなく、大学教員の就職活動もことごとく惨敗だった。論文を書く時間も体力もなくなり、かろうじて書いた論文も科学雑誌に投稿すれば片っ端から落とされた。研究者としての実力不足を思い知らされた。体調は、安定していると思えば急に心筋梗塞不整脈が発症し、薬の量も徐々に増えていった。職場で頼られているのも、病気をネタに愛嬌を振りまいて親しまれただけであり、本当に職場の役立っている実感はなかった。

 現実に合わない理想を抱え続けるのは苦しい。理想と現実が混ざり合わずに循環する、フォンタン手術のような魔法があったらいいのに。それは理想を現実に近づけるのでも、現実を理想に近づけるのでもない、もっと革命的な魔法である。もしそんな魔法にかかれば、どんな理想や現実であろうと、どちらも色鮮やかに見えるだろう。理想と現実、静脈と動脈、皆おいらの体の中を常に流れている。

移行期チェックリスト

先天性心疾患患者が大人になるとき、小児医療から成人医療への移行が必要になってくる。小児医療だけでは、成人特有の成人病などの病気や、フォンタン術後症候群などの後期合併症に必ずしも対応できないからだ。さらに患者自身の意識の移行も重要である。子供の頃は、病気のことは親や医者に任せっきりだが、大人になれば自分自身で責任を持って病気に関わらなくてはいけない。どんな治療を受け、いつ通院するかといったことは自分で決める必要がある。このように、小児医療から成人医療機関への移行と、病気の治療に対する責任を家族等から患者本人に移行すること、の2つの移行が、成人先天性心疾患患者が医療を受ける上で重要になる。

 そうした移行を支援するために、医療スタッフ(特に看護師さん)が用いる移行期チェックリストを検討した論文があったので、紹介したい。共著者の中には、おいらが大変お世話になった命の恩人とも言える先生方も含まれていて、治療を受けていた当時から移行の大切さを話されていたことを思い出した。

落合亮太ほか13名 (2017) 先天性心疾患患者に対する移行期チェックリストの開発, 日本成人先天性心疾患学会雑誌 6:16~26.

 論文では、国内に既存の4つの移行期チェックリストと海外の1例を参考に、新たな移行期チェックリスト案を作成した。作成にあたっては、それら既存リストの類似点を整理し、多数の専門家の意見を聞き取った上で、できるだけ少ない項目数で、より簡便に国内のどの医療機関でも使えるチェックリストを目指した。そうして、出来上がった案が以下15項目からなるチェックリストである。おいらの回答も加えて紹介しよう。全て、「はい」か「いいえ」で答えるものだが、詳しい回答も加えた。

 

1 今かかっている病院と医師の名前を言えますか。

  はい:ONセンター、S医師

2 あなたの主な病名を言えますか。

  はーい:両大血管右室起始症、フォンタン術後症候群、PLE

3   あなたが受けた主な手術の名前が言えますか。

  余裕:フォンタン術(APCフォンタン後、成人時にTCPC conversion)

4   現在飲んでいる薬の名前と主な効果を言えますか。

  Yes, I can: プレドニン、サムスカ、ワーファリン、スタチン、など20種類ほど。抗炎症、免疫抑制、利尿、こう血液凝固、コレステロール低下など。

5 現在飲んでいる薬について気をつけることを言えますか。

  だいたい:免疫抑制効果があるので、感染症にならないようにする。出血に注意する。脂肪を取り過ぎないようにするとかかな。

6 医師や看護師に自分で質問したり、質問に答えたりすることはできますか。

  いつも:うざいくらいにね。

7 できること、できないこと(体育・部活動等)について医師に確認していますか。

  まあまあ:するときもある。しないときもある。

8 身の回りの整理整頓や家事など、無理のない範囲で自分のできることは自分で行っていますか。

  当然:でも、配慮が足りず何かいつも欠けています。

9 感染性心内膜炎の予防方法を言えますか。

  あまり:虫歯予防は聞いたことがあるくらい。他は知らない。

10 受信したほうがいい症状と対処方法を言えますか。

  経験的に学んだ:胸が痛い、過剰にむくんだ、体重が増えた、すごくだるい

11 自分で外来受診を予約することはできますか

  あたぼーよ:でも、この間初めて予約した診察を受け忘れちゃった。

12 お酒・たばこを控える、十分に休息を取るなど、 生活する上で気をつけることを言えますか。

  ほぼ:酒タバコしてない。休み取りまくり。脂肪、塩分、食べ飲み過ぎを控える。

13 職業を選択する際の注意事項について主治医に確認していますか。

  してない:すでに仕事についてました。

14 異性とのつきあい方で注意することについて、ご家族や主治医と話したことがありますか。

  ありません:すでに結婚してました。

15 現在、利用している社会保障制度と、利用するうえで必要な手続きを言えますか。

  ようやく:障害者手帳特定疾患障害年金、重度医療費支給など。更新時期になると毎日のように役場通いです。

 

 このチェックリストは、これから成人になる中高生を対象に想定しており、おいらのようにすでに成人になりきった人が答えてもあまり意味はない。おいらのような成人は、全てはいと答えられて当然なのだ。このチェックリストは、自分の病気とそれに伴う医療を客観的に捉え、本人が主体的に関わっているかを問いているように感じる。移行期支援の役割としてはそれで十分であるが、もしおいらがもう一つ項目を付け加えるとしたら、以下の問いを加えたい。

「16 あなたは自分の心臓が好きですか。」

 答えは、はいでもいいえでもどちらでも良い。答えづらいかもしれない。はいであれば、病気をポジティブに捉えているとみなし、医療スタッフは患者に病状や治療法をより詳しく包み隠さず説明することができるだろう。いいえの場合は、受診の中断などのドロップアウトのリスクもあるため、周囲の支えや配慮が必要になるだろう。おいらも以前までは、病気から目をそらしたかった。あまり考えたくなかった。病気と向き合えるようになったのはここ数年のことである。それが移行の完了かはわからないが、そうなれるようになったのは家族やこの論文の著者の医師など、周囲の支えがあったからに他ならない。

注射が痛い部位ランキング

ここ何回か少し暗い話が続いてしまったので、たまにはくだらない小ネタ話でもしよう。おいらはこれまで身体の様々な部位に注射を刺されてきたが、その中で痛かった部位をランキング形式で発表したい。 

第10位 耳たぶ

 これは誰でも知っている通り、神経がほとんど通ってなくメスなどで切りつけてもさして痛くない。子供の頃の入院では、ほぼ毎朝耳たぶから毛細管採血法という方法で採血されていた記憶がある。

第9位 二の腕

 ハイゼントラを打つ部位の一つで、一度試したことがある。刺す時の痛さはほとんどなかったが、液が入っていくとそのうちかなり痛くなってきた。今回は刺す痛みのランキングなので、9位とした。

第8位 お腹

 同じくハイゼントラを打つ部位の一つで、おいらがハイゼントラを打つ時メインで使っている。特に脇腹のぷよぷよにたるんだところがよく、保冷剤で冷やした後で刺せばほとんど痛みはない。ただし打ち所が悪いと時に奥の方でズキッと痛む時がある。

第7位 モモの裏側

 やはりここもハイゼントラを打つの部位で、一回試した。刺す痛みはなんだか虫に刺された時のように少しチクっとする。しかし辛いのが輸液を入れている時で、徐々にすごく痛くなってくるので、もう二度と打つ気はしない。

第6位 腕

 腕は肘の内側から手の先に向かうほど痛みが強くなる。肘の内側は一般的に最も採血で利用される部位で、看護師さんはまずここを刺したがる。しかし、おいらの場合この付近の血管が細く採血がうまく取れることが少ない。たまに果敢に挑戦する看護師さんがいるが、大概失敗し血管を探してグリグリやられる羽目になる。上腕の中間に位置する辺りは血管が太くよく見えるので、点滴のルートを入れるのに最もよく使われる。痛みはそこそこあるがまあさほど苦しくなく我慢できる。

第5位 首

 滅多に刺す機会がないのであまり記憶がないが、肉がやわらかいためイメージするより痛くはない。ただ部位が部位だけに怖い。

第4位 手

 いよいよ苦行のレベルに入ってきた。手周りは肉が少なく骨に近いためどこもかなり痛い。だが意外にも、親指の付け根がかなり痛い。そこは比較的肉がたくさんあってたいして痛そうに見えないが、ズギーン鈍く重い痛みが走る。

第3位 足

 ここも手同様、肉が少なくかなり痛い。滅多に刺す機会はないが、血管が太いためたまにCT検査などで大量に造影剤を流し込む時などに使ったりした。

第2位 肋骨の近く

 肺の周囲に水が溜まった時に、一度刺した。麻酔をしたので痛みはそれほどではなかったが、それでも内部の肋骨近くを刺すときは流石にかなり鋭い痛みだった。医者曰く、骨の近くは特に痛いらしく、入念に麻酔が施された。

第1位 すね

 長期に入院していると、腕の血管のほとんどが採血や点滴の刺しすぎで使えなくなってくる。そうすると、足の血管を使うようになり、足の中でも特にすねの表面の血管を刺すのは痛い。肉がないので、刺すというより、ナイフで切られているような鋭い痛みが走る。

拷問級 鼠蹊部

 カテーテルをするときに使う。これまで何度も刺されてきたが、毎回悲鳴を上げるほど痛い。歯を食いしばり、ギー、ヒー、ウー、などと呻いてしまい、一度は過呼吸になるほど苦しかった経験がある。だからカテーテルはいつもものすごい憂鬱で仕方がない。

 

 全体に共通して言えることは、肉が少なく骨に近い部位ほど痛い。しかしこうした痛みの強さは絶対的なものではなく、その程度はかなり心理的な部分に左右される。怖い、痛い、と想像するほど痛みは増すのだ。だから、先天性心疾患者は、恐怖に打ち勝たなければマスターになれない。恐怖は暗黒面に通じているのだ。

植物の涙

おいらの住む南の島には、モモタマナという樹木種が島のあちこちに自生し街路樹としてもよく植えられている。名前は可愛らしいが、冬が近づくこの時期に大量の葉と果実を落とし、道路を好き放題散らかしてくれるやんちゃな植物だ。葉は、ホウノキのように丸く大きくツルッとした形をしている。南の島の植物としては珍しく紅葉して冬に落葉する。今年は最強クラスの台風がたびたび島を訪れたため、紅葉する間も無く10月にはすっかり葉を落としてしまった。だが、モモタマナは諦めなかった。11月になって、果敢にも再び新緑を出してきたのだ。島の冬空は意外にも灰色で寒々しい。その寒空の中、新緑の鮮やかな葉は不釣り合いではあったが、そんな姿もどこかやんちゃでいじらしく見えた。

 モモタマナの果実も非常に個性的で、大きさは5cmほどもあり楕円形で丸い。しかもただ丸いのではなく、一面に縁のような突起があり、どことなく船のような形状になっている。まさにその形には意味があり、モモタマナの果実は海水に浮くことができるのだ。その特徴を獲得したことで、モモタマナは太平洋上のあちこちの島々に渡りつき、そこで定着して分布を拡大することに成功した。生物学的に専門用語でいうと、こうした海を渡る植物のことを海流散布植物といい、モモタマナ以外にもハイビスカスの仲間のオオハマボウなどの種が知られる。海流散布植物は、熱帯域を中心として太平洋あるいは地球全域という超広域に分布しており、いわば植物の中でも最も拡散することに成功した種類とも言える(外来種も地球全域に分布しているものもあるが、それらは人が拡散させたものであり、己の性質だけで自力で拡散した種は、海流散布植物がダントツであろう)。

 そんな植物界の成功者も、その特徴故の孤独な運命を背負うことになった。海に浮いた長旅の末、なんとか新天地の島に着いたのは良いが、そこは大抵仲間の個体がいない孤独な土地だった。いくら海に長期間浮いていられるとはいえ、数百キロあるいは数千キロ離れた別の島から、新たな果実が流れ着く確率は極めて低い。来る日も来る日も待てど暮らせど、仲間の果実はたどり着かないのだ。やがて数十年あるいは数百年経つと、その島にはたった一つの果実から生まれた子孫たちがたくさん育っていた。その間他の島に生育する個体とは一切交流がなく、一つの果実の遺伝子だけが脈々と受け継がれていった。

 数千年の時が経ち、ついに遠い島から同じ種の果実が流れ着いた。だが、ある意味純血培養されてきた子孫たちにとって、遠い島からの果実はあまりに異端な存在だった。姿形は似ているものの、遺伝的にはもはや別種と言えるほど、遠く離れた存在になってしまったのだ。一方、数千年あるいは数万年の時の間に、もう一つの事件が起きていた。子孫たちの中に、変わり者の個体が現れ、島の環境により適した特徴を獲得していった。そうした変わり者は、島の内陸部にどんどん進出し、海に浮く果実という内陸では無駄な特徴を捨ててしまった。一方、多くのほかの子孫は、海岸周囲の狭い範囲に留まり、海に浮く果実を作り続けていた。そうして時が経ち、海流散布の種から島固有の内陸性の種に種分化していった。

 だが、海流散布の種と島固有に進化した種は、元は同じ一つの先祖から由来している。だから、外見や性質は色々違いはあれど遺伝的にはかなり近いのだ。こうして海流散布植物は、姿形はよく似ているが遺伝的には大きく異なる同種の個体と、姿形は違うが遺伝的には近い別種の個体に遭遇することになったのだ。彼らにとって、真に同じ種と言える個体はどちらなのか。海流散布植物は従来の種の概念では説明できない、宙ぶらりんな存在になってしまった。

 そんなことを思いながら、道路に散らばるモモタマナの果実見ると、どこかそれは彼らが流した大粒の涙のように見えてきた。モモタマナだって孤独は寂しいよな。でも君たちの流したその大粒の涙は、生命の奥深い歴史が込められていて本当に美しいよ。だから、これからも毎年道路を散らかしておくれ。

 

注:ストーリー性を重視するため、多少最新の研究知見とは異なる脚色をしているが、ここでは生物の神秘を楽しんでもらえたらありがたい。