ある生物学者の不可思議な心臓

ある生物学者の不可思議な心臓

先天性心疾患をもつ生物学者が命について考える。

人生最悪の地獄入院

今年は新年早々から入院した。その入院は過去最悪の地獄のような入院だった。三途の川やえんま大王をみたりはしなかったものの、いっときはこのまま病院で死ぬんだろうと思った。また、苦しさのあまり死んで楽になりたいとも思った。かなり大げさかもしれないが、今こうして家で元気に過ごしていることが奇跡に思える。おいらは、痛みや苦しみ、ストレスに弱く、すぐへこんでしまう。だから、他人からみればたいした苦ではない話だろうが、記憶が新しいうちに記録しておこう。
 前年末から体の調子は悪くなっていた。体が重くてだるく疲れやすく、足がむくんで口が渇き、気力がでなかった。精神的に落ち込んでいるためだと思っていたが、見かねた妻が病院への受診を勧め、かかりつけのNC病院に行った。血液検査の結果、ヘモグロビン値が10以下に低下し、貧血状態になっていた。また、血中蛋白のアルブミンや総蛋白も下がっていた。その日のうちに緊急入院となり、早速輸血と蛋白補充の点滴をした。このときは、医師もおいらも数日の輸血等で退院できるだろうと踏んでいた。だが、その後様々な症状が連鎖的に発生し4ヶ月半にわたる戦いとなったのだ。
 貧血の原因は消化管から出血していると予想され、内視鏡検査を受けることになった。NC病院では内視鏡の機器がそろっていないため、連携しているSD病院に翌日転院し検査を受けることになった。転院その日にまず胃の内視鏡検査を受けた。幸運にも内視鏡検査のときは、眠らせてくれるため検査は非常に楽に受けられた。しかし、その日の検査では胃にまだ内容物が残っていたことと、出血部位が腸のもっと奥の方である可能性があったため、翌日改めて内視鏡検査を受けることになった。
 今度は内容物を全部きれいに出すために、検査日早朝から下剤2Lを飲むことになった。下剤2Lを飲むのは大腸検査では一般的である。常に水分がぶ飲み願望のあるおいらは、このときはラッキーとすら思った。が、飲み始めてその楽しみは瞬殺された。下剤の味は、少ししょっぱくにがく酸っぱいような感じである。色は少し白く濁っていた。人によってはポカリスエットに似ていると言う人もいるが、おいらからすればひどい表現だがつばを大量に飲んでいるような気分だった。飲めば飲むほどにまずくなっていった。おいらは氷を入れてカキンカキンに冷やして飲んだり、途中でお茶や水で口直ししたりしたが、どんどん吐き気が込み上げ耐えられなくなってきた。おいらと同じように、吐き気をもよおす人もいるが、それほどまずく感じずに飲める人もいるらしい。超人である。下剤を飲んでいる途中から、下痢が始まり何度もトイレに通った。便の色はまるで岩のりやコールタールのような真っ黒になって、何度出しても黒さが変わらなかった。黒いのは便に血が混ざっている証拠である。入院前の便の色ははっきり覚えていないものの、そんな黒ではなかった。結局1.5Lほど下剤を飲んだところで、限界に達したおいらはマーライオンのように口から下剤を噴射した。これ以上下剤を飲めなそうだったため、浣腸を2回してできるかぎり腸内をさらに洗浄し、なんとか検査を受けられることになった。
 検査の結果、ドボドボと出血しているような部位はなかったものの、ところどころ消化管表面に血管が浮き出ていて、そこからじわじわと出血しているようだった。後にわかることだが、腸管からの出血は、蛋白漏出性胃腸症のさらに進んだ状態であった。世界的にも報告例がまだ少なく、2006年にアメリカのグループが3名の患者の事例を報告している。また、日本国内では岡山大学で事例があったらしい。岡山大学の事例では、蛋白漏出性胃腸症の末期状態にあると診断された。
 先日も書いたが、おいらは3年半前から蛋白漏出性胃腸症(PLE)を発症し、ステロイド投与と蛋白点滴補充の治療を継続している。3年半の間に何度かPLEの改善と再発を繰り返した。再発するたびに、入院してステロイドを増量し、蛋白補充の点滴を受けた。ステロイドの長期服用は、糖尿病、白内障骨粗鬆症、ムーンフェイス、多毛、脱毛、などさまざまな副作用がでるため、減量していく必要がある。しかし、ステロイドは一気に減量することができないため、始め40mg/日の量を飲み始めたとしたら一年くらいの期間で徐々に減量して離脱を目指す。が、おいらの場合はある程度減量するとまたPLEが再発してしまうのであった。その度に、40mgに増量、徐々に減量を繰り返した。再発までの期間も徐々に狭まっていった。はじめは一年くらい再発せず、ステロイドも3mgまで減量できた。しかしその後は、半年、4ヶ月と短い期間で再発し、ステロイドは10mgを切ると再発するようになった。そしてついに、PLEの末期状態とされる消化管出血にいたるのだった。
 2度の内視鏡検査を終え、一旦NC病院に戻り様子を見ることになった。しかし、検査後からみぞおちの辺りがムカムカとして痛くなり、吐き気が続いた。症状は日に日に悪くなり、胃腸薬を点滴で投入したり、止血剤や鉄剤をのんだり、食事をおかゆなど優しいものにしたりなどしたが、改善しなかった。寒気がし、だるくしんどく息苦しかった。いっそ死んで楽になりたいとさえ思うようになった。アルブミンヘモグロビンの値は下がり続け、連日点滴で補充したり輸血したりした。便の色は相変わらず真っ黒だった。そのため、再びSD病院に転院し更なる内視鏡検査を受けることになった。この時点ですでに体調はボロボロであったが、転院後雪崩のようにさらに体調は崩れ落ちていき、地獄が幕を開けた。

水に左右される

最近は、2、3週に一度外来の診察を受けている。診察を受けにいくと、必ず血液検査をする。今気にしなければならない項目は、まず血中蛋白量を測る、総蛋白(TP),アルブミン免疫グロブリン(IgG)である。フォンタン手術の合併症に蛋白漏出性胃腸症(PLE)というのがあるが、おいらは3年ほど前からこれが発症し、血中の蛋白が腸に漏れている。腸に漏れでて血中蛋白濃度が下がると血液の浸透圧が下がり、細胞に水分が移動してむくんでくる。その他だるくなったり、消化が悪くなったり、浮腫は多種の臓器におよぶと多臓器不全に陥る。体内の水分が多いため心臓の負担も大きくなる。いくつかの医学論文によれば、フォンタン手術後にPLEを発症すると、5年生存率が50%だそうだ。フォンタン手術合併症の中でも最も深刻なものの一つである。おいらは、PLEの改善のためプレドニンというステロイド服用やアルブミングロブリンの点滴補充などの治療を続けている。

 血液検査の項目に話を戻すと、次に腎臓機能を測るクレアチニン尿素窒素、尿酸がある。入院して蓄尿検査を受けたときにはクレアチニン・クレアランス(24hCCR)も調べる。おいらは、抗生剤や利尿剤などの長期多量投与により腎臓機能がかなり低下してしまった。24hCCRの値は30を下回り、これは高度腎臓障害のレベルにある。

 そして、肝臓機能を測るGOT, GPT, γ-GTP, CHEも注視している。おいらは子供の頃の輸血により、C型肝炎に感染してしまい、現在は肝繊維化が進んでいる。γ-GTPの基準値は50以下だが、おいらは100を下回ることがほぼない。ひどいときには1000越えした。その他の項目も異常値を示している場合がほとんどだが、肝臓は沈黙の臓器と言われるだけあり、いまのところ特に自覚症状はない。それから、今年の初めから貧血のため長期入院する指標となったヘモグロビン値、心不全の程度をあらわすBNPがある。

 血液検査の度に、これらの項目の変化に一喜一憂をしていたわけだが、最近ようやくこれらの値の多くが体内水分に大きく左右されることがわかってきた。蛋白やヘモグロビンは水分をたくさんしぼって浮腫がなくなると、血中濃度があがる。しかし、しぼりすぎると腎臓に負担になるらしく腎臓系の値が軒並み悪くなる。また、水分をしぼると心臓に負担が軽減するためかBNPが改善される。肝臓系の値は、はっきりとした水分との関係はみられない。つまり、肝臓系を除いては水分バランスに大きく影響されるようなのだ。

 でも、まだ適度な水分バランスがうまくつかめずにいる。サムスカを飲んでいるせいもあり、今は水分制限もなく喉が渇いたらこまめに水分を取るように医師から指示されている。ただ、長年の水分制限のトラウマのためか水分への渇望が強く、喉が渇いたらと言われたら24時間常に渇いている気分がある。お茶でも水でもジュースでもなんでもいいから、浴びるようにごくごく飲みたいのである。こまめにチビチビ飲むなんて全く満たされない。でも現実にできるのは、せいぜい良くて200mlを一度に飲むくらいである。だから家にいるときは、一日に何度もうがいして口の中を潤している。しかし、うがいをすると、ものの数分で余計に口が渇いてくるときもある。そんなわけで、街に出れば常に水分を無意識に探していて、自動販売機、飲料水売り場、果物、レストランのドリンクメニューを目で追ってしまう。

 先月の水抜き入院の後からは、クリームパン足はすっかり消えてなくなり、体重は減り、腹囲は減ったものの、まだ腹水はかなりある。これ以上利尿剤でしぼっても腹水はでてこなそうだ。腹筋を鍛えるしかないだろう。口渇感をなくし、蛋白、腎臓、ヘモグロビン等の値がよい水分バランスを見つけたい。今日もまた、口の中をべたべたネバネバと自分でも気持ち悪くなりながら、このことに思いをめぐらせている。

障害者はお荷物か

また日があく。書こうと思うことはいろいろあるけど、一話完結のように話をうまくまとめようとするから、重荷になってしまう。

 今日は、あまり触れたくない先月の障害者連続殺人事件について。ほとんどの障害者がこの事件に少なからず、影響を受けただろう。おいらも、こんな犯人の言うことなんて気にしないと思いながら、やはりいろいろ考えてしまった。

 障害者は社会や家族のお荷物か。これはどうしても気になってしまうことの一つである。たまに、自分の社会での存在意義というものを考えてしまう。そういうときは、体調がすぐれず、気が落ち込んでいるときが多い。気が落ち込んでいるから余計に、悪い方向に思いをめぐらす。自分は社会で何も役立ってないな、むしろ迷惑な存在だな、家族にも負担ばかりかけてるなあと。

 では、実際おいらがどのくらい社会の負担になっているかを紹介しよう。まず、医療費がすごくかかっている。昨年受けたフォンタン再手術で保険適用前医療費が700万を超えた。おいらは、子供の頃にも同レベルの心臓手術を3回受けているので、それぞれ700万とすると、手術だけで2800万円かかった。さらに、カテーテル検査やカテーテルアブレーション術なども総数10回以上受けている。それぞれ100万以上かかる。その他にも、ここ数年は蛋白漏出性胃腸症などの治療で何度も入院している。これらも入院ごとに数十万から百万近くはかかっているだろう。そして現在、毎日1万円以上の薬を飲んだりしている。以前はもっと高い薬を飲んでいたときもあった。これら全部を合わせると、おいらがこれまでにかかった医療費は、5000万以上一億円くらいはかかっているかもしれない。自己負担で払った部分もあるが、ここ数年はいろいろな免除や医療費支給の手続きをした結果、現在自己負担で払う医療費はほぼゼロになった。さらに、今年から障害基礎年金を受給できることとなり、まだ40才にして年金を納める側から支給される側になった。これらの医療費、年金は全て税金でまかなっている。おいらが働いておさめた税金もあるが、それよりはるかに大きい額だ。とんでもない金食い虫である。

 障害とは関係ないが、おいらは国立大学に勤めて研究しているので、研究費や給料も税金が元になっている。おいらの研究は、それに見合う研究なのだろうか。社会に役立つようなことなのだろうか。すくなくても、基礎生物学をやっている以上、すぐに役立つことはまずない。自然科学は人類の探究心を満たすため、人類が自然をより深く理解するために必要だと考えてはいる。芸術やスポーツと似たようなところがある。どちらも何か具体的に役立つという訳ではないが、人類の美の探求、人体の極限への探究心を満たすためでもある。このような探究心がなくなったり、満たされなくなれば、人類は生きる喜び、活力の一部を失うだろう。しかし今の経済難の社会では、こうした欲求は道楽であり必要なしと見なされてしまいがちである。とくに、一般には伝わりにくい自然科学研究は、年々肩身が狭くなっている。

 アカの他人からみれば、大金食い虫のおいらは、明らかにお荷物であろう。でも、おいらはとても幸運で幸せな身であった。おいらには妻と子がいる。妻と子はおいらのことを全くお荷物だとは思っていないことがひしひしと伝わってくる。以前、おいらが負担になってないかと聞いたこともあったが、そんなことかってに決めるんじゃない、と妻に怒られた。例の殺人事件では、障害者が死んだことは家族にとって本音ではほっとしている面もあるのではないかといった意見も聞かれた。実際そうであっても、仕方ないとおいらは思ってもいる。でもだからといって障害者は卑屈になる必要はないのだ。かりに、社会や家族の負担になっていたとしても、お荷物ではなく存在意義を見いだすことはできるはずだ。妻は言ってくれた。おいらは、生きていることに意義があると。そんなうれしい言葉はない。入院中など本当に体調が悪く苦しくて痛くて耐えらなそうなとき、何度ももう死んで楽になりないと思った。でも、妻の言ってくれた言葉がかすかな光となり、生きる意欲を奮い立たせてきた。おいらだけではない。だれしも生きていることに存在意義があるのだ。

 生物学的に考えると、障害者は多様性を育む重要な要素である。人類の文化や社会の多様性を広げ、生命進化の原動力にすらなる。この点はいずれまた詳しく書きたい。

今日のところはここまで。

植物に隠された数の世界

前回の記事から大分日が経ってしまった。時間があくほど、腰が重くなり新しい記事を書く気力が失われていく。だから、とりあえず内容なんて気にせず何でもいいから書くことが継続の秘訣である。

これまで心臓病の話ばかりだったので、今回はもう一つの主題である生物学について話たい。

おいらが研究対象とする主な生物は、植物である。植物は、人間のように動くことができない。これが植物の最も面白い特徴だとおいらは思っている。実際には、植物性プランクトンのように泳いだりできるものもあり、動くかどうかで植物かどうかを区別することはできない。光合成でエネルギーを得られる独立栄養生物というのが、生物学的には正確な植物の定義であろう(ただし、寄生植物のように光合成をしない例外もいる)。

とはいえ、動かないという特徴は植物を知る上でとても重要な点であり、面白い特徴なのである。それは動かないことが植物の生き方にとって大きな制約となるとともに、植物固有の性質を生み出す進化の原動力にもなっているからだ。しかし、動かないがゆえ、世の中の大半の人は植物に興味を抱かない。興味を抱いても、きれいな花ばかりで、葉や茎、根っこなんてみようとも思わない。地味な花しかつけないイネ科の植物なんて全く相手にされない。人によっては、生き物として感じられず緑色の背景としか認識していない場合もある。たしかに、鳥やほ乳類や昆虫など動いている生物の方が断然興奮するし、反射的にそれを目で追ってしまうと思う。おいらも大学で生物学科を専攻していたにもかかわらず、そんな一人だった。

学部3年のときに受講した野外実習が、おいらの植物観をひっくり返した。実習を受ける前の生物学の授業は、小学生時代からずっと暗記科目だった。生き物の名前や組織、器官の用語を覚えまくるのが生物の授業だった。正直とてもつまらなかった。一番好きなのは数学だった。話はそれるけど、数学は多くの人がもっと嫌いな科目にあげるが、おいらはそれが寂しい。今数独とか携帯のパズルゲームが流行っているけど、数学はそうしたパズルゲームと対して変わらないと思う。それでは、なぜおいらが数学を専攻せず生物学を専攻したかというと、それはまたいつかお話ししたい。

学部3年のときに受けた実習は、植物と動物の生態を野外で観察したり測定したりする泊まり込みの実習だった。そのときは、まだ動物の方に興味があり植物の実習にはあまり気持ちが乗らなかった。その野外実習での植物の内容は、湿原に生える植物の分布と森林調査の基本となる毎木調査であった。

湿原植物の実習では、湿原内に敷かれたも木道に沿ってある植物種がいるかいないかをみていくもので、1学生1植物を担当し全部合わせると十数種になった。最終的に各自が取ったデータを全員分合わせて、統計的な解析をすると、どの種とどの種が一緒にいる傾向があるか、それとも別々にいるのか、ランダムなのかの関係が数値的に示すことができた。毎木調査では各木の位置や大きさ(幹の太さ)を測定して、森林を横から見た断面図や下から見上げた林冠投影図を描いたりした。また、木の大きさのデータを使って統計解析すると、優占度順位曲線という不思議な数学的パターンを示すことができた。

これらの統計解析とそこから浮かび上がる数学的パターンは、数学好きのおいらにとって衝撃的であった。たまらなく興奮した。生物学と数学が合体した瞬間だった。生物の背後にこんな不思議な数学的法則が隠されていたのか、それも植物という全く無秩序に生きていそうなものに。やばい、面白すぎる。実習を終え、自宅に帰ってからも、もらったデータでさらに独自に解析を進めた。たとえば、優占度順位曲線とは、それぞれの樹種ごとに大きさを合計し、合計値が大きい順に並べていくグラフである。縦軸には合計値を、横軸は左から順に順位1番の種から並べる。するとすると縦軸の合計値と横軸の順位にきれいな直線関係が浮かび上がるのだ(厳密には縦軸を対数にする必要がある)。こうした直線関係があるということが意味するのは、順位2番目の種は1番目の種の合計の50%、3番目は2番目の50%というふうに、ある一定の割合で合計値が減っているということである。不思議すぎる。別に、2番目の種が1番目の50%で、3番目は2番目の40%であっても良さそうだ。ここには、生物特有の生物学的法則が隠されているに違いない。この直線関係は、元村の等比級数則とよばれ、1935年に元村勲によって発見された。

しかし、疑り深いおいらはこれが本当に生物特有の法則なのか疑問に感じたのだ。単に数学的に必然的にできてしまう関係なのではないのか。そこで、生物ではない別のデータを使って同じようにグラフを描いてみた。おいらは、世界の国の面積を大きい順に並べてみた。すると、やっぱり同じような直線関係が見いだせたのだった。おいらは、元村の等比級数則は生物に固有な法則ではないと得意げに結論づけ、実習レポートを提出した。湿原植物のデータ解析も同様に狂ったように解析を進めてレポートにその結果を報告した。ここまでしつこく解析した学生は他にいなかったらしく、べた褒めの評価を頂き、ますますおいらは興奮し有頂天になった。生物学面白いー!植物面白いー!

その後、4年生になり迷うことなく植物生態学の研究室に所属し、幸運にも今に至るまで植物生態学の研究を続けられることになった。あの実習がなかったら、まず植物の世界に行かなかっただろう。生物の世界を数値的に表すことができる、数学的に分析することができる、それはおいらにとって革命的な出来事だった。これまでの人生の中で頭が真っ白になる経験が何度かあったが、これはその一つである。真っ白体験は、自分の世界観を覆し、無限の広がりを持った全く新しい世界を感じるきっかけとなる。自分の無知や視野のせまさに気づくとともに、人はこうして一歩進むのだろうと感じるのであった。

後日談であるが、元村の等比級数則が数学的に必然的に生じてしまう法則なのどうかはその後も気になっていた。やがて数学者となった後輩がいたので、彼に相談して解析してもらったりもしたが、未だその結論は出ていない。

モンスターパティエント

腹水の水抜き入院から、無事退院できた。連日ラシックスとソルダクトンを点滴で日に3回打ち続けた。約一週間で体重は3kg、腹囲は5cmほど減った。点滴による利尿剤はすごい効果である。点滴を打ち始めた最初の日は、おしっこが3L近くもでた。その後はでるものがなくなったのか2L、1.5Lと減少していった。

 

今回は短い入院で済んだものの、長引く入院はかえって健康を害する。多くの医学論文でも、入院期間が長いほど、短期・長期的な予後が悪いという結果が示されている。入院期間が長い患者はそもそも病状が良くないからということなのかもしれないが、おいらは健康な人でも入院すると病気になると思っている。耐性菌などの院内感染といった深刻なリスクもあるが、そもそもの入院生活がストレスになるのだ。ひたすら暇で、自由がなく、牢獄に入れられたような生活。体には点滴、心電図モニター、サチュレーションモニターなどのコードがつながり、身動きにも不自由する。

 

夜寝ているとこれらのコードが体に巻き付いたり背中に入ったりして、とても不快である。指にまいたサチュレーションモニターは、手を伸ばすたびに引っかかったりしてじゃまになる。まさに鎖に繋がれたような気分になる。だからおいらは、サチュレーションモニターは勝手に外してしまっていることが多い。病院によっては、24時間ずっとつけず検温のときだけ測るところもある。それで十分だと思う。勝手に外していても、大概の看護師さんや医師は見逃してくれる。ただ中には、ちゃんとつけていてくださいとしつこく注意してくる方もいる。つけていて何の意味があるんだ、患者のストレスも考えてくれ、マニュアル通りの指示しかできないのか、などと心の中で思いながらも、その場はとりあえず注意通り付け、いなくなったらすぐ外す。それを繰り返していると諦めてくれる場合もある。

 

入院患者にとって食事は、一日の中の最大の楽しみである。しかし、それも時と状況によって地獄になる。おいらは、腎臓肝臓心臓の機能が落ちているので、水分・塩分・脂肪分・タンパク質制限などがあり、一般食とは全然違うメニューがでる。塩分制限が厳しいときにはほとんど味のない食事だったが、薄味に慣れていたのでこれはさほど苦にならなかった。タンパク質制限を受けているときは、肉・魚類は4cm角ぐらいの大きさでちょこっとでただけで、後は野菜と多めのご飯だったりした。ほとんどおかず無しご飯の状態だった。その貴重な肉類も乾燥機にかけたかのようにぱっさぱさだった。水分もあまりとれないので、飲み込めず涙が出た。栄養士さんに何度もクレームを付け、下膳するときには「ぱさぱさ肉はどうかやめてくださいと書いたメモを置いたりした。そしたら、あんかけにしてくれるなど改善してくれたが、数日経つとぱさぱさが復活した。

 

今回の入院が短かったのも、早く退院させてくれとしつこくお願いしたためである。医師としては、点滴をとめた後数日飲み薬の利尿剤だけでおしっこがちゃんとでるか確かめたかっただろう。でも、退院後すぐに外来にくるからなどいろいろ理由を付けて、退院をせかした。また、こっちで勝手に退院日を設定して、この日までに退院させてくれと繰り返しお願いした。医師は途中から苦笑いのような引きつった顔になっていったが、結局望み通り退院させてくれた。

 

こんな感じで、おいらは超クレーマーな患者である。モンスターぺアレントならぬモンスターパティエントである。きっとうっとうしい厄介な患者と思われているだろう。でもそれも開き直るしかない。長引く入院はかえって体によくない、その思いを一心に早期退院とよりストレスのない入院生活を目指すのだ。患者の多くはこうしたクレームを付けることにためらいがあると思うが、ちゃんとした理由があれば言っていいと思う。その方が、ただいいなりになっているより、自分の病気に積極的に向き合っている姿勢を示すことにもなり、自分自身も気持ちが奮い立つ。病気は病院に任せっぱなしではなく、まず自分が良くなろうという気持ちが何より大切なのだ。

クリームパン足とアンパン腹

数日前から、腹水がひどくなってきた。それに伴って体重も増加し続けている。2週間前と比べて3キロ近く増えた。今の体型はお腹だけがポッコリと異様にでていて、妊婦さんを体験した気分だ。

お腹以外に足先もまた、特に水が溜ってむくみ足の甲や指はパンパンである。破裂するのではないかと不安になるほど膨らんでいる。歩いたりして足首が曲がるとパツパツになって痛い。そういう足をクリームパン足と呼ぶらしく、足裏の筋肉がおとろえるとなるそうだ。お腹もまた、圧迫骨折を保護するコルセットを長期につけているため、腹筋がなかなかつかない。水分は筋肉がないところに集中してたまるようだ。心臓や腎臓に問題がない人であれば、筋トレとストレッチで徐々に改善していくのだろうけど、おいらは腎臓の機能が低下しておしっこがあまりでないので、自力での水分の排出には限界がある。腹水は過去に経験がないほどひどくなってきたので、残念ながら緊急入院とあいなった。しばらく点滴でラシックスという利尿剤を打ち水抜きすることになった。

ラシックスは強力な利尿薬にもかかわらず、医師の処方がなくても簡単に手に入るらしい。薬を飲めば数時間のうちに尿が1リットルやそれ以上どばどばとでるため、ダイエットなどで素早く体重を落としたい人が使ったりする。ラシックスという名前は、その効力が6時間だからだそうだ。でもこの薬、医療関係者の中では、自分では絶対使いたくない悪名高い薬という噂がある。それは、強力なだけに腎臓のダメージが大きい上、その効果が徐々に効かなくなってくるからだ。おいらもまた、初めてラシックスを投与されたときはすごく効いた。打ってから30分程度でものすごい尿意がして、一気に400cc近くでた。それが30分おきに4回ほど続き、その後も時間の間隔は長くなりつつもで続けた。数時間で、2リットルくらいはでたと思う。しかし、ラシックスを乱用しまくったおいらの体は効きが悪くなり、今となっては当初の倍の量を打ってもでる尿量は半分以下に減ってしまった。

おいらは、普段から飲み薬でサムスカ、ダイアート、セララ、ニュートライドといった利尿薬を飲んでいる。もう最大量に近い量である。それでも一日にでる尿量は良くて1.5リットルくらい。いずれ、尿が全然でなくなり、透析の運命が待っているのだろう。そのまえに、腹水などが破裂するかもしれない。そんなわけだから、水分を取ることを躊躇してしまう。でも、今は水分制限はなく、特にサムスカを飲んでいるときには水分をこまめに取らないと、脱水症になったりする。また、水分摂取量を減らしすぎると、体に老廃物が溜りさらに腎臓を痛める。長らく水分制限に苦しんできたおいらにとって、水分を自由にとれることは天国のようだ。でも、飲めばむくむのではという不安が、天国の裏側にある地獄をかいま見てしまう。天国経由地獄行きという寝台列車の旅が始まったのだった。

先天性心疾患の患者が避けられない水分制限の地獄は、またいつか話したい。今日はここまで。

奇跡の終焉

おいらは、13歳のときフォンタン手術を受けた。フォンタン後の体の変化は劇的だった。顔や爪や唇の色は、紫色から血色の良いピンク色にかわり、ばち指はなくなり湾曲した爪はまっすぐに延びはじめた。走ることができ階段も息切れすることなく登れるようになった。20代頃にはさらに調子がよくなり、夜更かしも飲酒も難なくできた。満員電車に乗ったり、長時間あるいたり、外国へ一人旅に行ったり、タバコの煙が充満するサークルの部屋にこもっても、体調を崩すことなどほとんどなかった。ごはんも好きなものを無制限にたらふく食べることができた。乱れた学生生活のときには、レトルトカレーや納豆などで、ご飯2合を飲むようにかき込んだりもしていた。フォンタン前とフォンタン後では世界は違っていた。

フォンタン手術の核心は、1心室しか使えない複雑奇形の心臓に対し、動脈血と静脈血をわけ、肺循環と体循環を確立することにある。正常な2心房2心室型の心臓では、上半身と下半身から戻ってきた静脈血(酸素を使い果たし、二酸化炭素を蓄えた色の濃い血液)は大静脈をとおり、右心房へ送られる。血液は、右心房から右心室に流れ、右心室がポンプの力で肺動脈を経由して肺へ勢い良く血を送る。肺では、血液中の赤血球に酸素を吸着させ、酸素のついた赤血球は鮮やかな赤色に変色し、血は動脈血となる。動脈血は肺静脈を通り左心房へ送られ、左心房から左心室へと流れていく。左心室は心臓の中で最も力強く脈打つことができる部屋で、その強力なポンプによって大動脈に血を濁流のごとく送り込む。こうして血液は足の指先まで隅々と行き渡り、体中の細胞にたっぷりと酸素を供給することができる。フォンタン手術は、複雑奇形の心臓に対しても、こうした正常な循環系に近い循環を実現する。

その方法は、1つある心室を体循環に特化させることである。その心室が解剖学的に右心室であっても左心室であっても、全身に動脈血を送る役割をさせるのである。そして、右心房に集まってきた静脈血は、心室に送られることなく肺へと直行させるのだ。つまり、右心房の上部を肺動脈につなげ、右心房から心室への流れは完全に遮断してしまう。これにより、血液の流れは、大静脈ー右心房ー肺動脈ー肺ー肺静脈ー左心房ー心室(右か左使える方)ー大動脈ー全身となる。これがフォンタン医師が最初に開発した、心房・肺動脈連結法(Atriopulmonary connection)、通称 APC fontanと呼ばれる方法である。

フォンタン手術は、その後幾度かの改良が加えられた。右心房を経由するルートは、心臓にたくさんメスを入れなくてはならず、心臓の負担が大きい。だから、この手法に耐えられる条件は厳しく、全ての患者が受けることができなかった。そこで、大静脈・肺動脈連結法(Total cavopulmonary connection)、TCPC fontanとよばれる方法が開発された。TCPCフォンタンは、人工血管を使って大静脈と肺動脈をつなげる方法である。その方法はさらに2種類あり、人工血管を右心房内に通す側方トンネル法と、心臓の外でつなげる心外導管法がある。心外導管法は、心臓にメスを入れることが少なくより簡単に手術を行うことができ、適用できる患者は大幅に増えた。また、術後の追跡調査により、短期・長期的にも予後が良いことがわかってきた。現在では、ほぼ全ての患者が心外導管型フォンタン手術を受けている。

最初のフォンタン手術(APCフォンタン)が、心房を経由させたのは人工血管がまだ十分に開発されていなかったためもあるかもしれないが、心房の拍動をポンプ機能として働かせようとしていた狙いもあった。しかし、後の研究で心房の拍動は弱すぎてポンプとして機能しないことが明らかになった。ならばなおさら、人工血管で直接肺動脈につなげることが効率が良い。心房を経由させると、血液の流れはS字を描いたルートを通らなくてはならず、流れによどみができてしまう。このことは、後々重大な問題を招くことになった。

心外導管型フォンタンでは、右心房は使われないか、左心房との壁のなくして構造上右左心房で一つの心房となる。心室もひとつなので、1心房1心室型の心臓となるのだ。心臓は、生命進化とともに複雑化していった。2心房2心室型の心臓を持つのは、我々ほ乳類と鳥類である。静脈と動脈はわけられ、動脈から豊富な酸素が供給されることにより体温は常に高く一定に保つことが可能になった。その結果、これまでにない運動能力を獲得し、陸上や空中を何千キロも移動でき、極寒の地から熱帯まで地球上の様々な環境に生息域を拡大させた。は虫類と両生類は、2心房1心室型の心臓を持ち静脈と動脈は混ざってしまう。体温を維持することができず、寒い環境では活動量が落ちていく。魚類は1心房1心室型心臓で、昆虫や甲殻類などの節足動物にいたっては、心臓の部屋に当たるようなものすらなく血管が脈を打つ。いずれも静脈と動脈は混ざる。心外導管型フォンタンの心臓は、構造上だけみれば魚類と同じ1心房1心室型である。しかし、すでにお分かりのように魚類とは決定的に異なる点は、静脈と動脈が混ざらないことだ。1心房1心室でありながら、静脈と動脈が混ざらない心臓。それは長い生命進化史の中でも、誕生しなかった。人類は、進化によってもなし得なかった奇跡を手に入れたのである。

しかし、奇跡は終焉を迎えた。フォンタン手術は長期的にはさまざまな合併症を生み出すことになった。不整脈、蛋白漏出性胃腸症、腎臓肝臓障害、浮腫、血栓。これまでに、医学的に多様な原因が示唆されている。ただ、生物学者の端くれのおいらは、生命進化の歴史も無視できないと感じている。心臓は、独立に進化を歩んだのではなく、他の臓器や体と密接にリンクして進化してきたことだろう。1心房1心室の心臓には、それに見合う体の構造が備わった。我々ほ乳類も、2心房2心室の心臓に対応した体が備わってきたことだろう。人類は生命史上生じ得なかった心臓を手にしたが、それは我々の体に必ずしも合うものでなかったのかもしれない。免疫系が細菌や他者の臓器を拒絶するかように、我々の体もまた未知の心臓を受け入れることができなかった。そして、他の器官が望むような血行動態を維持できなくなり、多くの臓器はうっ血し機能低下を招くことになった。

少しドラマチックに書きすぎた面はあるものの、フォンタンはプラス、マイナスどちらの面も、患者に劇的なインパクトを与えたのである。今、おいらはその両面を経験している。今後おいらの体がどう変化しているかは、おいら自身もおそらく医者も予測できないだろう。それは不安でもあり、どこか好奇心をそそられる。

フォンタンの負の面は、また後日お話ししたい。今日のところはここまで。